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なんで19世紀後半〜20世紀前半の統計学者って優生学者が多いの?

2026年8月16日ふとした疑問

問いは木下が出したもので、答えは Claude Code と調べて書いたものです。

Q(木下):なんで19世紀後半から20世紀前半の統計学者って優生学者が多いの?

A:偶然の重なりではなく、近代統計学(特にイギリスの生物統計学=biometrics)そのものが優生学の研究プログラムから生まれたから。

出発点はフランシス・ゴルトン(ダーウィンの従兄弟)。「知能や体格のような形質は親から子へどれくらい遺伝するのか」を数値で捉えたいという動機から、相関係数や回帰(regression=「平均への回帰」という言葉自体、親子の身長データを見て彼が作った概念)を発明した。相関・回帰という道具は抽象的な数学的興味からでなく、「優秀な形質を選択的に増やせないか」という優生学的な問いに答えるために作られたもの。

引き継いだカール・ピアソンはカイ二乗検定・標準偏差の用語整備などを行い、ゴルトンの研究室(UCLのバイオメトリック研究所)を率いた。ピアソンとウェルドンが創刊した学術誌『Biometrika』も「遺伝・進化を統計的に扱う」ことを明示目的に作られている。さらにゴルトンは遺言でUCLに「ゴルトン優生学講座」を設立させ、初代教授がピアソン、二代目がロナルド・フィッシャー。近代統計学の中核ポストそのものが制度として優生学と一体化していた。

フィッシャーは分散分析(ANOVA)・最尤推定・実験計画法・有意性検定(p値)など現代統計の中核をほぼ全部作った人物だが、彼が働いていたロザムステッド農事試験場は品種改良(作物育種)の実験地で、フィッシャーの手法はもともと「どの品種の組み合わせが優れた収量を生むか」を判定するために設計された。彼はこの育種の発想を人間にもそのまま適用できると考えており、方法論的に統計手法と優生学は地続きだった。

もう一つは時代の空気:当時の優生学は今日のような明確なタブーではなく、「科学的に社会を進歩させる」進歩的思想として政治的立場を問わず知識人に広く支持されていた。ナチスの大量虐殺との結びつきで決定的に忌避されるのは1930〜40年代以降で、それ以前は英米エリート層の主流科学だった。

まとめると「統計学者なのに優生学者だった」のではなく、「人間の遺伝・形質のばらつきを科学的に扱いたい」という優生学的動機こそが相関・回帰・検定という近代統計学の核を生んだ原動力だった、という順番。

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