中動態という概念の由来は?
問いは木下が出したもので、答えは Claude Code と調べて書いたものです。
Q(木下):最近國分功一郎の本もあってホットだけど、中動態という概念の由来は?
A:由来は「古代ギリシャ文法の mesotēs(真ん中)」→「バンヴェニストによる能動/中動対立の再発見」→「國分による哲学的転用」の三段構え。
- 概念そのものの由来(古代ギリシャ文法):中動態はもともと國分の発明ではなく、古典ギリシャ語・サンスクリットなど古いインド・ヨーロッパ語に実在した動詞の「態」のカテゴリー。紀元前2世紀ごろのギリシャの文法家が動詞の態を、能動(エネルゲイア=はたらきかける)・受動(パトス=こうむる)・その中間(メソテース mesotēs=真ん中)の3つに分けた。この「メソテース=真ん中」がラテン語 medium と訳され、英語 middle voice・日本語「中動態」になった。最初は「能動と受動の中間」という消極的な位置づけ。
- 能動 vs 受動より古いという読み替え(バンヴェニスト):フランスの言語学者エミール・バンヴェニストの論文「動詞の能動態と中動態」(1950年)が國分の議論の下敷き。彼は比較言語学の証拠から、本来の対立は「能動 vs 受動」ではなく「能動 vs 中動」で、受動態はむしろ後から中動態の内側で派生した新しいものだと論じた。区別の中身は主語が過程の外にいるか内にいるか。能動=主語が自分の外へ作用を及ぼす(与える・曲げる)、中動=主語が過程の内側にいて過程が主語の中で起こる(生まれる・欲する・考える・横たわる)。「する/される」でなく「外か内か」で切っているのが核心。
- 國分功一郎の使い方:『中動態の世界 意志と責任の考古学』(2017)で、この文法史を借りて「われわれの言語は能動(する)か受動(される)かの二択を強いるが、実際の経験の多く(依存症・欲望・意志など)はそのどちらでもない中動態的な事態だ」と論じた。中動態は、意志や責任という近代的な枠組みを問い直す道具として使われている。