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量子力学はなぜ複素数か — 実部と虚部の組・フロベニウスの定理・クラマース縮退・ダイソンの三分法

2026年10月30日科学と数学教養

問いは木下が出したもので、答えは Claude Code と調べて書いたものです。

目次
  1. 1. 複素数=実数2つ+「90°回す」構造
  2. 1.1 実数で2倍の次元に書き直せる。ただし構造が1つ残る
  3. 1.2 組になる2つは、座標と運動量
  4. 1.3 組み方を勝手に変えられない理由:合成系
  5. 1.4 大きさと偏角で書いてもよいが、組は残り、線形性が失われる
  6. 1.5 なぜ実測では実数しか出ないか(前提の整理)
  7. 2. フロベニウスの定理:割り算のできる数の体系は3つしかない
  8. 2.1 主張
  9. 2.2 証明の筋(細部は省略)
  10. 3. クラマース縮退:時間反転を2回かけると になる系
  11. 3.1 時間反転は「反ユニタリ」
  12. 3.2 クラマースの定理
  13. 3.3 なぜ「四元数」が出てくるのか
  14. 4. ダイソンの三分法:どの数で書けるかは対称性が決める
  15. 5. 勉強の順番と文献

2026-10-30、量子物理工学 第4回(マグノン・くりこみ)の講義中の質問から始まった。最初の問いは「エネルギーや物質が複素数とはどういうことか」。そこから「なぜ実測では実数しか出ないのか」「なぜ2次元の複素数で足りるのか」「実数で2倍の次元に書けばよいのでは。なぜ2つを組にするのか」と続いた。最後に、フロベニウスの定理とクラマース縮退を「どこかでよくよく勉強してみたい」となったので、あとで勉強するときの入口としてまとめた。講義中の一問一答の原本は 2026-10-30_第4回_授業中メモ の 4〜10 にある。

この教材の筋は、次の3つの問いを順にたどることである。

  1. 量子力学の複素数は、実数2つに何を足したものか(§1)
  2. 数の体系として、ほかに何がありうるか(§2 フロベニウスの定理)
  3. 物理はどの数の体系を選ぶのか。何で決まるのか(§3 クラマース縮退、§4 ダイソンの三分法)

1. 複素数=実数2つ+「90°回す」構造

1.1 実数で2倍の次元に書き直せる。ただし構造が1つ残る

成分が nn 個の波動関数は、実部と虚部に分ければ実数 2n2n 成分で書ける。ただしこのとき、各成分の組 (q,p)(q,p) を (−p, q)(-p,\,q) に回す実行列 JJ が必ず残り、J2=−1J^2=-1 を満たす。さらに、物理的な演算子 O^\hat O はすべて [J,O^]=0[J,\hat O]=0 を満たさなければならない。複素数の正体は、実数2つとこの JJ(虚数単位 ii)の組である。どの2つを組にするかは、JJ が互いに混ぜる2つとして決まっている。

1.2 組になる2つは、座標と運動量

成分を ψj=(qj+i pj)/2\psi_j=(q_j+i\,p_j)/\sqrt{2} と置き、HH を実対称行列とする。シュレーディンガー方程式は次のように書き直せる。

iℏψ˙=Hψ⟺ℏq˙=Hp,ℏp˙=−Hqi\hbar\dot\psi=H\psi\quad\Longleftrightarrow\quad \hbar\dot q=Hp,\qquad \hbar\dot p=-Hq

エネルギーの期待値を古典的なハミルトニアンとみなす。

H(q,p)=⟨ψ∣H∣ψ⟩=12(qTHq+pTHp)\mathcal H(q,p)=\langle\psi|H|\psi\rangle=\tfrac12\bigl(q^{\mathsf T}Hq+p^{\mathsf T}Hp\bigr)

すると上の式はハミルトン方程式 ℏq˙=∂H/∂p\hbar\dot q=\partial\mathcal H/\partial p、ℏp˙=−∂H/∂q\hbar\dot p=-\partial\mathcal H/\partial q そのものになる(ランダムな HH で数値的に確かめた)。

1.3 組み方を勝手に変えられない理由:合成系

2つの系を合わせると、実数で数えた次元が合わない。

dim⁡R(Cn⊗Cm)=2nm,dim⁡(R2n⊗R2m)=4nm\dim_{\mathbb R}\bigl(\mathbb C^{n}\otimes\mathbb C^{m}\bigr)=2nm,\qquad \dim\bigl(\mathbb R^{2n}\otimes\mathbb R^{2m}\bigr)=4nm

両方の系の ii を「同じ1つの ii」とみなして初めて、正しい次元になる。実数だけで量子力学を組む案は、複数の光源を組み合わせたベル型の実験で複素数版と予言が分かれることが示された(Renou ら, Nature 600, 625 (2021))。2022年の実験はいずれも複素数版を支持した。

1.4 大きさと偏角で書いてもよいが、組は残り、線形性が失われる

ψ=ρ eiS/ℏ\psi=\sqrt{\rho}\,e^{iS/\hbar} と書くと、ρ\rho と SS が正準共役の組になる(マデルング形式。個数と位相が共役なのと同じ)。全体の位相は物理ではないので、物理的な状態空間は複素射影空間 CPn−1\mathbb{CP}^{n-1} になる。2準位系ならブロッホ球で、2つの角度で書ける。ただし角度で書くと、重ね合わせと時間発展が非線形になる。両方を線形に保つ座標が複素振幅である。

1.5 なぜ実測では実数しか出ないか(前提の整理)

2. フロベニウスの定理:割り算のできる数の体系は3つしかない

2.1 主張

実数を含み、足し算・掛け算・割り算(0以外で割れる)ができ、掛け算が結合法則を満たす有限次元の数の体系は、次の3つに限られる(フロベニウス, 1877)。

体系 実数で数えた次元 掛け算
実数 R\mathbb R 1 可換
複素数 C\mathbb C 2 可換
四元数 H\mathbb H 4 非可換(ij=−jiij=-ji)

四元数は、実数に3つの虚数単位を足したものである。

i2=j2=k2=ijk=−1i^2=j^2=k^2=ijk=-1

2×22\times2 の行列で書くと、パウリ行列を使って i=−iσxi=-i\sigma_x、j=−iσyj=-i\sigma_y、k=−iσzk=-i\sigma_z と表せる(数値で確かめた)。スピン 12\tfrac{1}{2} の回転と四元数が近いのは、このためである。

結合法則を捨てて「ノルムが積を保つ」ことだけを要求すると、八元数(8次元)が4つ目として加わり、そこで終わる(フルヴィッツの定理)。1・2・4・8 の次元しか現れない。

2.2 証明の筋(細部は省略)

  1. 各元は2次以下の式を満たす:有限次元なので、どの元 xx も実係数の多項式を満たす。割り算ができるので最小多項式は既約で、実数係数の既約多項式は1次か2次しかない。
  2. 「純虚数」の部分空間ができる:各元は「実数+2乗すると負の実数になる部分」に分けられる。後者が線形な部分空間になり、そこに負定値の内積が入る。
  3. 互いに反可換な単位を並べていくと、3つで止まる:互いに反可換で2乗が −1-1 の単位 i,ji,j を取ると k=ijk=ij も同じ性質を持つ。結合法則のもとで4つ目を足そうとすると矛盾が出る。

予備知識は線形代数と、体・多項式の初歩(代数学の入門)で足りる。

3. クラマース縮退:時間反転を2回かけると −1-1 になる系

3.1 時間反転は「反ユニタリ」

時間反転 TT は、運動量とスピンの向きを反転させる操作である。ふつうの演算子(ユニタリ)と違い、複素共役 KK を含む。

T=UK,⟨Tϕ∣Tχ⟩=⟨χ∣ϕ⟩T=U K,\qquad \langle T\phi|T\chi\rangle=\langle\chi|\phi\rangle

このような演算子を反ユニタリと呼ぶ。スピン 12\tfrac{1}{2} では T=−iσyKT=-i\sigma_yK と取れ、2回かけると T2=−1T^2=-1 になる(数値で確かめた)。電子が NN 個なら、T2=(−1)NT^2=(-1)^N である。

3.2 クラマースの定理

T2=−1T^2=-1 で、ハミルトニアンが時間反転と交換するなら、すべての準位が少なくとも2重に縮退する。

証明は3行で済む。固有状態 ψ\psi に対し TψT\psi も同じエネルギーの固有状態である。反ユニタリ性で ϕ=ψ\phi=\psi、χ=Tψ\chi=T\psi と置くと、次の式が出る。

⟨Tψ∣T2ψ⟩=⟨Tψ∣ψ⟩ ⇒ −⟨Tψ∣ψ⟩=⟨Tψ∣ψ⟩ ⇒ ⟨Tψ∣ψ⟩=0\langle T\psi|T^2\psi\rangle=\langle T\psi|\psi\rangle\ \Rightarrow\ -\langle T\psi|\psi\rangle=\langle T\psi|\psi\rangle\ \Rightarrow\ \langle T\psi|\psi\rangle=0

ψ\psi と TψT\psi は直交するので、別の状態である。こうしてできる2重の組をクラマース対と呼ぶ。ランダムに作った時間反転対称なハミルトニアン(2軌道×スピン、6×6)を対角化すると、固有値は確かに2つずつ組になった。

3.3 なぜ「四元数」が出てくるのか

TT は反線形で T2=−1T^2=-1 を満たし、ハミルトニアンと交換する。さらに虚数単位 ii との間に iT=−TiiT=-Ti が成り立つ(TT が複素共役を含むため)。したがって ii、TT、iTiT の3つが、四元数の i,j,ki,j,k と同じ関係を満たす。この系のハミルトニアンは、四元数を成分とする行列として書ける。「4つを1つの要素に押し込める」ことが、実際の物理で起きている例である。

4. ダイソンの三分法:どの数で書けるかは対称性が決める

Dyson(1962, J. Math. Phys. 3, 1199)は、時間反転の性質によってハミルトニアンが3つの型に分かれることを示した。

系 ハミルトニアンの成分 ランダム行列のクラス 準位反発 P(s)∝sβP(s)\propto s^\beta
時間反転があり T2=+1T^2=+1(スピンを無視できる粒子) 実数(実対称行列) GOE β=1\beta=1
時間反転が無い(磁場の中) 複素数(エルミート行列) GUE β=2\beta=2
時間反転があり T2=−1T^2=-1(スピン軌道相互作用が強い) 四元数(自己双対行列) GSE β=4\beta=4

β\beta は、隣り合う準位が近づきにくい度合いを表す(準位の間隔 ss が小さいところで確率が sβs^\beta のように消える)。原子核の準位や量子ドットの準位の統計で、実際に3つの型が観測されている。フロベニウスの「3つの数」と、物理の「3つの対称性の型」が1対1に対応している点が、この話の面白いところである。

この先:時間反転に加えて粒子–正孔対称性とカイラル対称性を考えると、型は10通りに増える(Altland–Zirnbauer, 1997)。これを使うとトポロジカル絶縁体・超伝導体を分類できる(Kitaev の周期表, 2009)。T2=−1T^2=-1 の型(クラス AII)から出るのが Z2\mathbb Z_2 トポロジカル絶縁体(Kane–Mele, 2005)で、クラマース対の性質が端の状態を守っている。量子物理工学のシラバス第8章「トポロジカル構造」の先にある話である。

5. 勉強の順番と文献

順 何を 予備知識 文献
1 時間反転とクラマース縮退 量子力学第一・第二 Sakurai『現代の量子力学』の時間反転の節
2 フロベニウスの定理と四元数・八元数 線形代数・代数の入門 J. Baez, "The Octonions", Bull. AMS 39, 145 (2002) の前半(無料で読める)
3 量子力学と3つの数の体系 1・2 J. Baez, "Division Algebras and Quantum Theory", arXiv:1101.5690
4 ランダム行列と三分法 3・統計力学 F. Dyson, "The Threefold Way", J. Math. Phys. 3, 1199 (1962)
5 十分法とトポロジカル絶縁体 固体物理第一・第二 B. A. Bernevig, Topological Insulators and Topological Superconductors (Princeton, 2013)

数式の検算:§1.2 の実形式の時間発展、§2.1 のパウリ行列による四元数、§3.1 の T2=−1T^2=-1、§3.2 の2重縮退は numpy で確かめた(2026-10-30)。