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なぜ勉強するのか:最終回に寄せて

2025年度 高2読み物2026年10月6日19分で読めます塾講師木下読み物

塾で高校2年生の数学を1年間受け持ち、その最終回に生徒へ配った文章です。ほぼそのまま載せています。あとから見つけた誤りは、本文を書き換えずに⚠️の印を付けて、脚注の欄で訂正しました。


今から綺麗事を書くので、綺麗事アレルギーの人は読まないほうがいいかもしれません。

さて。あっという間に春が来て、ついに高三ですね。ついこの前まで高一だったのに、って思っている人も多いことでしょう。僕も、なかなか感慨深いものがあります。

みなさんはこれまで、様々なことを勉強してきました。もちろんこの一年間の数Ⅲの勉強もそうですが、高校の二年間、中学の三年間、もっともっと遡れば小学校、早い人は保育園や幼稚園から。これまでのみなさんの人生の大半の期間で、みなさんの横には常に勉強があったはずです。では、みなさんはなぜ勉強しているのですか。

受験のため?テストでいい点をとるため?もちろんそれもとても大事です。将来自分がやりたいことのため、アイデンティティとして、褒められるのがうれしいから、あるいは単にやれと言われたから。どんな理由であれ、現にこの授業を受けている以上、人並み以上には努力をして勉強してきたはずですし、それはとても素晴らしいことです。1当たり前ですが、ここでいう「人並み以上」というのは、自分より勉強してこなかった人・勉強が滞っている人を蔑んだりして良い理由には全くなりません。そういう人たちは概して各々勉強以外の自分の尺度で生きている部分があり、それはみなさんと同様に尊いものです。この部分を取り違えて冷笑したり人を傷つける側に回らぬよう気をつけてください。下の脚注へしかし本当にそれだけでしょうか。勉強は、試験をパスしたり褒められたりするための手段でしかないのでしょうか。

そんなことない、つまり勉強にはそれをすること自体に大きな価値があることには、みなさんもうっすら気づいているでしょう。しかしふとすると忘れがちで、勉強のモチベーションが下がってしまうこともあるでしょうから、みなさんのために、(そして僕自身への備忘として)ここに言語化しておこうと思います。勉強する意義については話そうと思えばいくらでも話せそうなのですが、長くなってもアレなのでここでは2つほど僕の考えを共有しておきます。

まず一つの意義として、理解し難いものを根気強く理解しようとし続ける姿勢の獲得があると思います。この一年で嫌というほど実感した人も多いでしょうが、何か新しいことを学ぶときには、定義や定石の解説を一度読んだだけで理解できることはほとんどなく、何度も自分の頭で言い換えたり噛み砕いたりして、少しずつ理解していくことになります。それに数学(に限らず他の教科もですが)の入試問題というのは概して問題文が理解し難い、あるいは理解できても方針が一発で立たないものです。そんな入試で戦えるようにするには、同じ文面や事柄を何度も反芻して理解しよう、あるいは一度立てた方針がまずそうならなんども他の方法を試してみよう、という根気強い姿勢が不可欠になります。

世の中は、難しいことだらけです。普通に生きていくだけでも役所からの公的書類や契約書の文面、電化製品の説明書などなど。。そしてこれらが複雑で難しいのは、何も意地悪でそうしているわけではなくて、難しく複雑な事柄を正確に伝えるには、難しく複雑な文面に頼るしかないからなのです。今後の勉強・研究面でもそうです。大学の教科書や研究論文などは一見すると無駄に難解に書いてあるように感じられることも多いですが、それは意地悪ではなくて、正確で簡潔に表現するには難解に書かざるを得ないという事情があるのです。そういった文章を自分の中にしっかりと理解するには、根気強く難解なものに向き合う技能が必須になります。
今の世の中、YouTubeを探せばわかりやすい解説動画はいくらでもあるでしょうし、ChatGPTに聞けばそれなりの答えは返ってくるでしょう。シンプルで理解が容易なニュースもあるでしょう。しかし、それが一次情報でない限り、概して捨象されている情報があることを努々忘れないようにしてください。そしてそのような一次情報は先述の理由で大抵複雑難解なものです。過度に簡略化された情報に踊らされないために、難解なものを難解なまま読み解く技能が必ず必要になるのです。みなさんは、今その技能を磨いています。

そして、複雑で難解なものといえば、文面だけではありません。他者です。人間は多様で、みんなそれぞれ違った尺度・論理で生きています。その上自分以外の人の心を覗くことはできませんし、人の言動はその心情論理に何重ものフィルターがかかって出力されているものです。自分から見ると非論理的だったり、おかしな行動に見えたりしても、その人の論理や哲学の中では正当なことかもしれません。勉強することで培われる根気強く物事を理解しようと向き合う姿勢は、他者が必ずしも自分と同じ論理で生きているわけではなく、そこに優劣もないということを納得し、それでも他者と折り合いをつけて生きていくために欠かせないものだと思います。最近では、インターネットを見ていると、2僕は大学に入るタイミングでツイッターをやめてしまったので最近はあまり見ていませんが、下の脚注へレスバや炎上などで人々が分断している様子を度々見かけます。そうした小さな場所に限らず、いろいろな国で起きている政治的な分断を見ても、自分と違う主張をする人を最初から理解できないとして排除する姿勢が根底にあるように思えます。このような世の中で必要なのは、自分と違う意見や考えの人をすぐに切り捨てるのではなく、一度その論理をしっかりと聞いた上で反芻して理解しようと努力し、その上で現実問題や自分の譲れない価値観とどうにかして折り合いをつけるために議論することではないでしょうか。3キモい理想論です。こういう説教くさい綺麗事が嫌いな人もいるでしょう。しかし、ここまで大きな話でなくとも、実際に自分の考えが他と違うからという理由でその論理も聞かずに切り捨てられて傷ついた経験がある人、少なくないのでは?みんなが幸せに自分らしく生きるために、自分と他人の人生における尺度が違うこと、そして他人にも自分と同じくらい複雑な思考や信念があることを心に留めておくことは意味があると僕は思います。下の脚注へそしてその最初のステップ、つまり他者の論理を理解しようと反芻する姿勢は、まさに勉強によって得られるものであると僕は信じています。

もうひとつ、4長くてごめんね下の脚注へ僕が勉強しててよかったなと思うのは、勉強をすることで世界を見る解像度が驚くほど上がることです。

例えば、遠心力の加速度がv2r\dfrac{v^2}{r}であることを知っているから、高速道路の下り口で速度と曲率半径に対する自分の加速度感覚に興奮できる。例えば、摩擦のある斜面での剛体の力学を考えたことがあるから、滑りやすい斜面で垂直抗力を大きく、斜面方向にかかる力を小さくしようと思える。5実際に意味があるのかはわかりません。。下の脚注へ例えば、固定重心に対する万有引力の運動が二次曲線である6ケプラーの第一法則は、じつは極形式の形で与えられ、離心率によっては軌道が楕円だけじゃなく双曲線になったりします。下の脚注へことを知っているから、いま目の前にある双曲線軌道に乗っている彗星がもう今後地球に近づくことはないことにロマンを感じられる。例えば、足の匂いの原因物質がカルボン酸であることを知っているから、靴に重曹を入れてみて匂いが消えるか確かめようと思える。7真似しないでください。塩基で足が溶けてぬるぬるになり靴はボロボロになるし、汗でできた重曹の濃厚溶液のラウールの法則により汗が全く乾かず足はべちょべちょ、弱塩基遊離でアンモニア臭がし始めます。下の脚注へ例えば、弱酸遊離を知っているから、コロナビールにライムを絞った時に出る泡が化学反応由来だとわかる。8僕は飲んでいませんよ
※執筆当時木下が19歳だったことに由来する記載です下の脚注へ
例えば、アボカドの種がでかいのは既に絶滅している巨大哺乳類に飲み込まれて分布を広げるためだったと知っているから、SUBWAYでアボカドサンドを食べる時に壮大な進化に思いを馳せてうっとりできる。

この世界は、言ってしまえばはちゃめちゃに自由度の高いオープンワールドゲームです。人に極端な迷惑をかけなければ(そして法を犯さなければ)、どう生きたってあなたの自由です。そして、この世界には上にあげたようなちょっとした隠しネタがいっぱい転がっています。9もちろん、ちょっとしたネタどころか人類の生活を支える基盤となるような法則もたくさんありますが。。下の脚注へ何の役に立つのか全然わかんないような勉強も、日常の意外な場面を彩るものです。せっかくの人生ですから、この世界を楽しみ尽くしたいじゃないですか。そのために、勉強は大いに役立ってくれるんです。

ここから一年間、みなさんは受験に特化した勉強にシフトしていくことになります。時には何のためにやっているのかわからない小手先のテクニックに嫌気が差したり、周りと比べて自分がひどく遅れているように感じたりして、勉強が嫌になる瞬間もあるでしょう。でも、決して勉強を嫌いにならないで欲しいと思います。何事も、イヤイヤやっていたら気も滅入りますが、楽しもうと努力すれば案外(というかめちゃくちゃ)楽しいものです。今の自分の勉強は、今後の自分の人生を彩る種を蒔いているものだと思って、好奇心を忘れず、後悔のないように走り切って欲しいと思います。僕も気づけば学生生活の後半です。残り少ない学生生活、後悔のないよう目一杯勉強しようと思います。お互い頑張ろう。

最後に、ありきたりではありますが、太宰治の「正義と微笑」から有名な一節を引いて終わろうと思います。ここまで読んでくれてありがとう。一年間、一緒に勉強してくれてありがとう。みなさんの今後の人生が豊かなものであることを心から祈っています。頑張れ。

太宰治『正義と微笑』より

もう君たちとは逢えねえかも知れないけど、お互いに、これから、うんと勉強しよう。勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!これだけだ、俺の言いたいのは。君たちとは、もうこの教室で一緒に勉強は出来ないね。けれども、君たちの名前は一生わすれないで覚えているぞ。君たちも、たまには俺の事を思い出してくれよ。

1 当たり前ですが、ここでいう「人並み以上」というのは、自分より勉強してこなかった人・勉強が滞っている人を蔑んだりして良い理由には全くなりません。そういう人たちは概して各々勉強以外の自分の尺度で生きている部分があり、それはみなさんと同様に尊いものです。この部分を取り違えて冷笑したり人を傷つける側に回らぬよう気をつけてください。

2 僕は大学に入るタイミングでツイッターをやめてしまったので最近はあまり見ていませんが、

3 キモい理想論です。こういう説教くさい綺麗事が嫌いな人もいるでしょう。しかし、ここまで大きな話でなくとも、実際に自分の考えが他と違うからという理由でその論理も聞かずに切り捨てられて傷ついた経験がある人、少なくないのでは?みんなが幸せに自分らしく生きるために、自分と他人の人生における尺度が違うこと、そして他人にも自分と同じくらい複雑な思考や信念があることを心に留めておくことは意味があると僕は思います。

4 長くてごめんね

5 実際に意味があるのかはわかりません。。

6 ケプラーの第一法則は、じつは極形式の形で与えられ、離心率によっては軌道が楕円だけじゃなく双曲線になったりします。

 【訂正】ケプラーの第一法則そのものは、観測から得た「惑星は太陽を焦点の一つとする楕円を描く」という主張で、双曲線は含みません。軌道が極方程式 r=p1+ecos⁡θr=\dfrac{p}{1+e\cos\theta} で与えられ、離心率 ee によって楕円(e<1e<1)・放物線(e=1e=1)・双曲線(e>1e>1)になるのは、ニュートンの運動方程式を解いて得られる結果(第一法則の一般化)です。

7 真似しないでください。塩基で足が溶けてぬるぬるになり靴はボロボロになるし、汗でできた重曹の濃厚溶液のラウールの法則により汗が全く乾かず足はべちょべちょ、弱塩基遊離でアンモニア臭がし始めます。

 【訂正】ラウールの法則では、汗が乾かなくなるほど水の蒸気圧は下がりません。重曹は水 100 g に 10 g ほどしか溶けず(20℃で 9.6 g)、飽和しても、溶けている粒子(Na+\mathrm{Na^+} と HCO3−\mathrm{HCO_3^-})は水の分子 100 個あたり 4 個ほどです。ラウールの法則で下がる水の蒸気圧はこの割合と同じ約 4% なので、周りの空気の湿度が 96% を下回っていれば、汗は真水のときとほぼ同じように乾いていきます。足がべちょべちょになるとすれば、原因は別のところにあります。粉が汗を吸って肌に貼りつくと、汗が靴下の繊維へ吸い上げられて広い面から乾いていく道がふさがれ、水分が肌の上に残ったままになるのです。

 【訂正】重曹でアンモニア臭がし始めるのは本当ですが、仕組みは弱塩基遊離ではありません。なぜ臭うのかを詳しく書いておきます。
弱塩基遊離は、強い塩基が、弱い塩基とその共役酸からなる塩から弱い塩基を追い出す反応です。汗に含まれるアンモニウムイオンと重曹の炭酸水素イオンの間の平衡 NH4++HCO3−⇄NH3+H2CO3\mathrm{NH_4^+ + HCO_3^- \rightleftarrows NH_3 + H_2CO_3} を見ると、平衡定数は K=Ka(NH4+)Ka1(H2CO3)=10−9.2510−6.35≈1.3×10−3K=\dfrac{K_\mathrm{a}(\mathrm{NH_4^+})}{K_\mathrm{a1}(\mathrm{H_2CO_3})}=\dfrac{10^{-9.25}}{10^{-6.35}}\approx1.3\times10^{-3} で、1 よりずっと小さくなります。HCO3−\mathrm{HCO_3^-} は NH3\mathrm{NH_3} より弱い塩基なので、この平衡は左に偏っていて、弱塩基遊離の「強い塩基が弱い塩基を追い出す」の形にはなっていません。
それでも臭いが出るのは、2つの理由が重なるからです。
1つ目は pH です。NH3\mathrm{NH_3} と NH4+\mathrm{NH_4^+} の比は [NH3][NH4+]=10 pH−9.25\dfrac{[\mathrm{NH_3}]}{[\mathrm{NH_4^+}]}=10^{\,\mathrm{pH}-9.25} で、溶液の pH だけで決まります。弱酸性の汗(pH 5.5 前後)では NH3\mathrm{NH_3} の形でいるのは 0.02% ほどですが、重曹水は濃さによらず pH がおよそ 6.35+10.332≈8.3\dfrac{6.35+10.33}{2}\approx8.3 になるので、約 11% が NH3\mathrm{NH_3} の形をとります。重曹をいくら増やしても pH は 8.3 から動かないので、この割合はそこで頭打ちです。
2つ目はルシャトリエの原理です。NH3\mathrm{NH_3} は揮発して空気中へ逃げます。溶液の中の NH3\mathrm{NH_3} が減ると、平衡はそれを補う向き、つまり NH4+→NH3\mathrm{NH_4^+}\to\mathrm{NH_3} の向きへずれます。逃げた分がまた補われるので、平衡に落ち着くことはなく、アンモニウムイオンは少しずつアンモニアとして出ていきます。肌の上では炭酸も CO2\mathrm{CO_2} として抜けていくので、同じ理由で HCO3−\mathrm{HCO_3^-} が H+\mathrm{H^+} を受け取る向きに反応が進み、pH は 8.3 より上がっていきます(pH 9 で約 36%、pH 10 で約 85% が NH3\mathrm{NH_3} の形)。アンモニアはごく薄くても臭うので、汗の中のわずかなアンモニウムイオンで臭いとして十分に感じられます。
高校化学の言葉でいえば、濃硫酸と塩化ナトリウムから塩化水素が出る「揮発性の酸の遊離」の、塩基の版です。あちらも硫酸が塩化水素より強い酸だから進むのではなく、塩化水素が気体として出ていくから進みます。

8 僕は飲んでいませんよ
※執筆当時木下が19歳だったことに由来する記載です

 【訂正】この泡は弱酸遊離による化学反応ではありません。弱酸遊離で二酸化炭素が出るには炭酸水素イオン(HCO₃⁻)が溶けている必要がありますが、ビールは pH 約4の酸性で、溶けている炭酸のうち HCO₃⁻ は1%にも届きません。泡の正体は、ビールに過飽和で溶けていた二酸化炭素が、果汁や果肉の粒をきっかけに一気に気泡になったもので、メントスコーラと同じ物理的な現象です。

 【訂正】アボカドの種が大きい理由を絶滅した巨大哺乳類(メガファウナ)に結びつける話は、1982年に Janzen と Martin が唱えた有力な仮説で、確かめられた事実ではありません。「という説を知っているから」と読んでください。

9 もちろん、ちょっとしたネタどころか人類の生活を支える基盤となるような法則もたくさんありますが。。

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