相対エントロピーから情報と物理を組み立てる 第3部 第3章 §3.3.2 ★★★ Lieb の凹性定理 → 同時凸性 → 部分トレースでの単調性 → Stinespring 表示で全部のチャネル、の4段で証明の骨格を書く
主張
定理 3.3.2(量子データ処理不等式 ★★★)
任意の量子チャネル N と状態 ρ^、σ^ について
D(N(ρ^)∥N(σ^))≤D(ρ^∥σ^).(3.3.3)
この定理は Lindblad(1975)が強劣加法性(Lieb と Ruskai による)を使って CPTP 写像に対して証明し1G. Lindblad (1975), Commun. Math. Phys. 40, 147.強劣加法性は E. H. Lieb and M. B. Ruskai (1973), J. Math. Phys. 14, 1938。、Uhlmann(1977)が完全正値より広い Schwarz 写像(の双対)に広げた2A. Uhlmann (1977), Commun. Math. Phys. 54, 21. トレースを保つ正写像すべてについての単調性は、A. Müller-Hermes and D. Reeb (2017), Ann. Henri Poincaré 18, 1777 が示した。。証明は図 3.3.1 の4段でできている。最初の段(Lieb の凹性定理)だけは行列解析の深い定理で、この章では認める。残りの3段はすべてこの節で示す。

図 3.3.1 量子データ処理不等式の証明の骨格(上の段)と、そこから出るもの(下の段)。左上の Lieb の凹性定理だけを認め、ほかの矢印はすべてこの章で示す
第1段:Lieb の凹性定理から同時凸性へ
定理 3.3.3(Lieb の凹性定理(証明は省く)★★)
0≤t≤1 とする。正定値の行列 A^、B^ について、ft(A^,B^):=TrA^tB^1−t は (A^,B^) の組について同時に凹である。すなわち A^=λA^1+(1−λ)A^2、B^=λB^1+(1−λ)B^2(0≤λ≤1)についてft(A^,B^)≥λft(A^1,B^1)+(1−λ)ft(A^2,B^2)。
これは E. H. Lieb(1973)が Wigner–Yanase–Dyson の予想を解いたときに示した定理である3E. H. Lieb (1973), Adv. Math. 11, 267.。A^ と B^ が交換するなら、同時に対角化して ∑iaitbi1−t となり、各項 atb1−t が2変数の凹関数(重み付きの幾何平均)であることから直ちに従う。交換しない場合の証明は難しく、量子の単調性の証明で難しい部分はこの定理1つに限られる。
この ft から D を取り出す。ft(ρ^,σ^) は t=1 で Trρ^=1 になり、t で微分すると dtdρ^t=ρ^tlnρ^ などから
dtdft(ρ^,σ^)t=1=Trρ^lnρ^−Trρ^lnσ^=D(ρ^∥σ^),よってD(ρ^∥σ^)=t→1−lim1−t1−ft(ρ^,σ^)(3.3.4)
を得る(σ^ の台が ρ^ の台を含むとする。微分の中で ρ^t と σ^1−t は交換しないが、トレースの中では巡回させて上の形にまとめられる)。
命題 3.3.4(同時凸性 ★★★)
状態の組 (ρ^x,σ^x) と確率 px について
D(x∑pxρ^xx∑pxσ^x)≤x∑pxD(ρ^x∥σ^x).(3.3.5)
証明
0<t<1 を固定する。ft が同時に凹なので 1−ft は同時に凸で、正の数 1−t で割っても凸のままである。式 (3.3.4) の右辺の極限の前の量を gt(ρ^,σ^) と書けば、gt(∑pxρ^x,∑pxσ^x)≤∑pxgt(ρ^x,σ^x)。t→1− の極限をとると、凸関数の不等式は各点の極限で保たれるので式 (3.3.5) を得る。
前の章では第1引数だけについての凸性を示したが、ここで示したのは2つの引数を同時に混ぜたときの凸性で、こちらの方が強い。古典の D(p∥q) の同時凸性は、第1部第3章の対数和不等式から1行で出た。量子では、Lieb の凹性定理を経由しないと出てこない。
第2段:部分トレースは Pauli 演算子の平均で書ける
部分トレースを、ユニタリと混合だけで書き直す。1量子ビットの任意の状態 ρ^ について
41(ρ^+Xρ^X+Yρ^Y+Zρ^Z)=21(3.3.6)
が成り立つ。ρ^=21(1+rxX+ryY+rzZ) と Bloch ベクトルで書くと、X で挟むと ry、rz の符号が反転し、Y では rx、rz、Z では rx、ry の符号が反転するので、4つを平均すると各成分は (1+1−1−1)/4=0 になるからである。d 次元の系でも、X^d∣j⟩=∣j+1modd⟩、Z^d∣j⟩=e2πij/d∣j⟩ から作るd2 個のユニタリ U^jk=X^djZ^dk で平均すると d21∑jkU^jkρ^U^jk†=1/d となる。
2つの系 AB の状態で B の側だけをこれらのユニタリで挟んで平均すると、ρ^AB=∑μa^μ⊗b^μ と展開して各 b^μ に上の式を当てれば
dB21j,k∑(1A⊗U^jk)ρ^AB(1A⊗U^jk)†=ρ^A⊗dB1B(3.3.7)
となる(Trb^μ だけが残り、∑μa^μTrb^μ=ρ^A)。部分トレースで B を捨てることは、B をでたらめなユニタリで回して完全に混ざった状態に置き換えることと同じ情報しか残さない。
第3段:部分トレースでの単調性
命題 3.3.5(部分トレースで D は増えない ★★★)
2つの系の状態 ρ^AB、σ^AB について D(ρ^A∥σ^A)≤D(ρ^AB∥σ^AB)。
証明
加法性(前の章)と D(1/dB∥1/dB)=0 から D(ρ^A∥σ^A)=D(ρ^A⊗1/dB∥σ^A⊗1/dB)。右辺の2つの状態を式 (3.3.7) で同じ確率 1/dB2 の混合に書き、同時凸性 (3.3.5) を当てると
D(ρ^A∥σ^A)≤dB21j,k∑D(V^jkρ^ABV^jk†V^jkσ^ABV^jk†),V^jk=1A⊗U^jk.
ユニタリ不変性から各項は D(ρ^AB∥σ^AB) に等しく、平均もそれに等しい。
第4段:Stinespring 表示で任意のチャネルへ
第3部第1章の Stinespring 表示により、任意のチャネル N は、環境 E を純粋状態 ∣0⟩E に用意して付け足し、系と環境に共通のユニタリ U^ を当て、環境を捨てる操作として
N(ρ^)=TrE[U^(ρ^⊗∣0⟩⟨0∣E)U^†](3.3.8)
と書ける(出力の系が入力と違う場合も、捨てる系を選び直せば同じ形になる)。
定理 3.3.2 の証明
式 (3.3.8) の3つの操作を順に見る。付け足しは加法性で D(ρ^⊗∣0⟩⟨0∣∥σ^⊗∣0⟩⟨0∣)=D(ρ^∥σ^) と D を変えない。ユニタリはユニタリ不変性で D を変えない。最後の部分トレースは命題 3.3.5 で D を増やさない。合わせて式 (3.3.3) を得る。
量子の単調性が難しい理由
古典の単調性の証明は、W を通した後の比 (Wp)(y)/(Wq)(y) を、逆向きの条件付き分布で平均した比の形に書けることを使った。量子では、ρ^ と σ^ が交換しないので「比」ρ^σ^−1 がエルミートでなく、この書き方をすることができない。上の証明では、比を作る代わりに、難しい部分をすべて Lieb の凹性定理という1つの行列不等式に帰着させた。部分トレースとユニタリと付け足しへの分解は、そのための段取りである。
例題 3.3.2 部分トレースを Pauli の平均で見る ★★
オリジナルρ^=∣Φ+⟩⟨Φ+∣、σ^=21(∣00⟩⟨00∣+∣11⟩⟨11∣) とする。
- D(ρ^∥σ^) を求めよ。
- P∈{1,X,Y,Z} について ρ^P=(1⊗P)ρ^(1⊗P) と σ^P を求め、D(ρ^P∥σ^P) がすべて (1) と等しいことを確かめよ。
- 4つの ρ^P の平均と4つの σ^P の平均を求め、命題 3.3.5 の証明の不等式の両辺の値を比べよ。
解答
(1) σ^ の台は {∣00⟩,∣11⟩} で、∣Φ+⟩ はその中にあり、σ^ はこの2次元の中で 1/2 である。よって lnσ^ はその上で −ln2、D(ρ^∥σ^)=−S(ρ^)−⟨Φ+∣lnσ^∣Φ+⟩=0+ln2=ln2=0.6931 nat。
(2) (1⊗X)∣Φ+⟩=(∣01⟩+∣10⟩)/2、(1⊗Y)∣Φ+⟩=i(∣01⟩−∣10⟩)/2(位相は密度行列では消える)、(1⊗Z)∣Φ+⟩=(∣00⟩−∣11⟩)/2。σ^P は P=1,Z で σ^ のまま、P=X,Y で 21(∣01⟩⟨01∣+∣10⟩⟨10∣) になる。どの P でも ρ^P は σ^P の台の中の純粋状態で、σ^P はその台の上で 1/2 なので、(1) と同じ計算で D(ρ^P∥σ^P)=ln2。これはユニタリ不変性の例である。
(3) 4つの ρ^P は4つの Bell 状態で、正規直交基底をなすので平均は 1/4。σ^P の平均は 41⋅2⋅21(∣00⟩⟨00∣+∣11⟩⟨11∣+∣01⟩⟨01∣+∣10⟩⟨10∣)=1/4。これは式 (3.3.7) で ρ^A=σ^A=1/2 とした形である。左辺は D(1/4∥1/4)=0=D(ρ^A∥σ^A)、右辺は ln2 で、0≤ln2 が成り立つ。B を捨てると、ρ^ と σ^ を分けていた ∣00⟩ と ∣11⟩ の間のコヒーレンスは A だけからは見えなくなる。
1 G. Lindblad (1975), Commun. Math. Phys. 40, 147.強劣加法性は E. H. Lieb and M. B. Ruskai (1973), J. Math. Phys. 14, 1938。
2 A. Uhlmann (1977), Commun. Math. Phys. 54, 21. トレースを保つ正写像すべてについての単調性は、A. Müller-Hermes and D. Reeb (2017), Ann. Henri Poincaré 18, 1777 が示した。
3 E. H. Lieb (1973), Adv. Math. 11, 267.
AI(Claude)が書いた教材を、木下が勉強しながら公開しています。式と数値は検算していますが、誤りが残っているかもしれません。誤りのご指摘・削除のご依頼をいただければ直します。 連絡先:support@tecktom.com