近似の数理 第3章 §3.4 ★★★ 「下に有界」でなければ変分原理も基底状態も意味を失う。原子が崩壊しない理由の数学的な形
水素型原子の正確な下界
命題 3.17(水素型原子の下界 ★★★)
ψ∈H1(R3) について
⟨ψ,(−21Δ−rZ)ψ⟩ ≥ −2Z2∥ψ∥2(3.7)
が成り立ち、等号は ψ=ce−Zr のときに限る。
証明
完全平方 ∫∣∇ψ+Zx^ψ∣2dx≥0(x^=x/r)を展開する。
0≤∫∣∇ψ∣2+Z2∫∣ψ∣2+2ZRe∫x^⋅ψˉ∇ψ=∫∣∇ψ∣2+Z2∫∣ψ∣2+Z∫x^⋅∇∣ψ∣2.
最後の項を部分積分すると、∇⋅x^=2/r(3次元)より −Z∫∣ψ∣2(2/r)。したがって∫∣∇ψ∣2−2Z∫∣ψ∣2/r≥−Z2∥ψ∥2 で、両辺を2で割れば (3.7)。等号は ∇ψ=−Zx^ψ、すなわち ∂rψ=−Zψ かつ角度方向の微分が0のときで、ψ=ce−Zr に限る。
この証明は、不確定性原理による「Δr∼1/Z だから E∼−Z2」という見積もりと違い、定数まで正確である。しかも等号を与える関数が L2 に入るので、−Z2/2 は実際に基底エネルギーである。(3.7) は、Hardy の不等式と同じく「完全平方が非負」という一手で出ている点に注意してほしい。変分法が試行関数から上界を出すのに対し、完全平方の方法は下界を出す。両者が一致すれば答えが確定する。
多電子系の下界
(3.1) の電子間反発は正なので捨てると H は小さくなる。核が K 個あるとき、運動エネルギーを−21Δi=∑k=1K(−2K1Δi) と K 等分し、各片を一つの核への引力と組にする。−2K1Δ−Z/r=K1(−21Δ−KZ/r) に (3.7) を使うと下界 −K1(KZ)2/2=−KZ2/2 を得るので、
H ≥ −2NKk=1∑KZk2(3.8)
(作用素の不等式 A≥c は全ての ψ で ⟨ψ,Aψ⟩≥c∥ψ∥2 の意味)。これは粗い評価だが、有限であることが重要である。このように H が有限の下界をもつことを第一種の安定性という。これに対し、下界が粒子数に比例すること(E0≥−CN、物質がバルクとして安定であること)を第二種の安定性といい、証明には Pauli の排他原理が本質的に必要になる(Dyson と Lenard、のちに Lieb と Thirring による)。第二種の安定性は第6章の平均場極限で、エネルギーが粒子数に比例するというスケーリングの前提として使われる。
Kato–Rellich の定理からも下界が出る
A≥0 で ∥Bψ∥≤a∥Aψ∥+b∥ψ∥(a<1)なら A+B≥−b/(1−a) である。実数 μ<0 について∥A(A−μ)−1∥≤1、∥(A−μ)−1∥≤1/∣μ∣ なので、定理 3.15 の証明と同じ評価で∥B(A−μ)−1∥≤a+b/∣μ∣ となり、μ<−b/(1−a) では Neumann 級数で A+B−μ が逆をもつ。水素型原子に当てはめると、∥(Z/r)ψ∥≤a′∥H0ψ∥+(2Z2/a′)∥ψ∥(H0=−21Δ)から下界 −2Z2/{a′(1−a′)} を得て、a′=1/2 で最良の −8Z2 になる。正しい値 −Z2/2 の16倍も緩く、一般論の下界は存在を保証するだけで定量的ではない。原子・分子では (3.8) のほうが直接的である。
下に有界でない例と、変分原理が意味を失う理由
ポテンシャルを 1/r から 1/r2 に変えると事情が変わる。ψλ(x)=λ3/2ψ(λx) とスケールすると∥ψλ∥=∥ψ∥ のまま
⟨ψλ,−Δψλ⟩=λ2⟨ψ,−Δψ⟩,⟨ψλ,r21ψλ⟩=λ2⟨ψ,r21ψ⟩,⟨ψλ,r1ψλ⟩=λ⟨ψ,r1ψ⟩
となる。クーロンでは λ→∞(原点への収縮)で運動エネルギー ∝λ2 がポテンシャル ∝λ に勝つので、収縮すると損をする。これが原子が崩壊しない理由の数学的な形である。一方 −Δ−c/r2 では両者が同じ λ2 で増えるので、一つでも ⟨ψ,(−Δ−c/r2)ψ⟩<0 となる ψ があれば、λ→∞ でエネルギーは −∞ に落ちる。Hardy の定数 4 が最良であることは「c>1/4 ならそのような ψ がある」と同値なので、−Δ−c/r2 は c≤1/4 で下に有界、c>1/4 で下に有界でない。これが古典力学の「中心への落下」に対応する量子力学の現象である。
下に有界でない H では、Rayleigh 商 ⟨ψ,Hψ⟩/∥ψ∥2 の下限が −∞ なので「基底状態」が存在せず、試行関数を改良するとエネルギーがいくらでも下がる。第4章の Rayleigh–Ritz 法は「下限に上から近づく」方法なので、下限が有限であることを前提にしている。原子・分子でこの前提が成り立つことを保証するのが (3.8) である。
例題 3.3 逆2乗ポテンシャルの崩壊とクーロンの安定性 ★★
オリジナル[標準的な題材を自作]
R3 で規格化された試行関数 ψα(x)=(α3/π)1/2e−αr(α>0)を考える。
- (1) ⟨ψα,−21Δψα⟩、⟨ψα,r−1ψα⟩、⟨ψα,r−2ψα⟩ を求めよ。
- (2) Hc=−21Δ−c/r2 について ⟨ψα,Hcψα⟩ を求め、c>1/4 なら α→∞ で −∞ に発散することを示せ。(この試行関数で発散を示せる範囲と、Hardy の最良定数から決まる真の境界 c=1/8 を比較せよ。Hc では運動エネルギーに 21 がついている点に注意。)
- (3) H=−21Δ−Z/r について ⟨ψα,Hψα⟩ を α について最小化せよ。
解答
(1) ψα′=−αψα なので ⟨ψα,−21Δψα⟩=21∫∣∇ψα∣2=2α2。⟨ψα,r−1ψα⟩=πα34π∫0∞re−2αrdr=4α3⋅4α21=α。⟨ψα,r−2ψα⟩=4α3∫0∞e−2αrdr=2α2。
(2) ⟨ψα,Hcψα⟩=2α2−2cα2=α2(21−2c)。c>1/4 で係数が負になり、α→∞ で −∞ に発散する。真の境界は、Hardy の不等式 ∫∣ψ∣2/r2≤4∫∣∇ψ∣2 を21∫∣∇ψ∣2≥81∫∣ψ∣2/r2 と書き直して c=1/8 である。この試行関数では Hardy の比 Q=1/2(例題 3.2)なので、示せるのは c>1/4 だけで、1/8<c≤1/4 の崩壊を見るには r−1/2 に近い試行関数が必要になる。試行関数の選び方によって「見える」不安定性の範囲が変わる。
(3) E(α)=2α2−Zα。E′(α)=α−Z=0 より α=Z、E(Z)=−2Z2。これは命題 3.17 の下界と一致するので、−Z2/2 が正確な基底エネルギーである(Z=1 で −1/2。検算スクリプト)。
AI(Claude)が書いた教材を、木下が勉強しながら公開しています。式と数値は検算していますが、誤りが残っているかもしれません。誤りのご指摘・削除のご依頼をいただければ直します。 連絡先:support@tecktom.com