近似の数理 第3章 §3.5 ★★★ 束縛状態(離散)と散乱状態(真性)を区別する言葉。近似が狙えるのは前者だけ
離散スペクトルと真性スペクトル
定義 3.18(離散スペクトル・真性スペクトル)
自己共役作用素 A のスペクトルのうち、孤立した点(近くに他のスペクトルが無い)であって、重複度(固有空間の次元)が有限な固有値の全体を離散スペクトル σdisc(A) という。残り σess(A)=σ(A)∖σdisc(A) を真性スペクトル(本質的スペクトル)という。
真性スペクトルには三種類のものが入る。(i) 連続スペクトル(−21Δ の [0,∞) のように固有値でない点の連続体)、(ii) 無限重に縮退した固有値、(iii) 固有値の集積点(水素原子の 0)。名前の「真性」は、後で述べるように有限次元の摂動やコンパクトな摂動で動かない「作用素の本質的な部分」という意味である。よくある誤解は「真性スペクトル=連続スペクトル」というもので、(ii) と (iii) のように固有値やその集積点も真性スペクトルに入る。物理の言葉では、離散スペクトルは束縛状態、真性スペクトルは電離・散乱の始まる領域である。
Weyl の判定法
スペクトルを固有値方程式なしで捉える道具が Weyl の判定法である。固有関数が L2 に無くても、「ほぼ固有関数」の列があればよい。
定理 3.19(Weyl の判定法 ★★★)
A を自己共役作用素、λ∈R とする。
- (a) λ∈σ(A) ⟺ ∥ψn∥=1、∥(A−λ)ψn∥→0 を満たす列 ψn∈D(A)(Weyl 列)が存在する。
- (b) λ∈σess(A) ⟺ Weyl 列を正規直交系に選べる(同値な条件として、ψn⇀0、すなわち全ての χ で ⟨χ,ψn⟩→0 となるように選べる)。
証明
(a) ⇐:λ がレゾルベント集合にあれば 1=∥ψn∥≤∥(A−λ)−1∥∥(A−λ)ψn∥→0 で矛盾する。⇒:スペクトル定理で A を実数値関数 a の掛け算とする。λ∈σ(A) は、各 n で集合Mn={m:∣a(m)−λ∣<1/n} の測度が正であることと同値である(測度0なら 1/(a−λ) は本質的に有界で、その掛け算が逆作用素になる)。Mn に台をもつ規格化された ψn をとれば ∥(a−λ)ψn∥≤1/n。
(b) ⇐:λ が重複度 m<∞ の孤立固有値なら、固有空間への射影を P として ∥(1−P)ψn∥→0(λ の近くに他のスペクトルが無いので A−λ は Ran(1−P) 上で有界な逆をもつ)。すると ψn は m 次元の空間 RanP にほぼ入るが、有限次元空間の単位ベクトルの列は正規直交になれない。⇒:λ∈σess(A) なら、各 ε>0 でスペクトル射影 P(λ−ε,λ+ε)(A) の像は無限次元である(有限次元なら λ は孤立した有限重複の固有値になる)。ε=1/n の像から、それまでに選んだ ψ1,…,ψn−1 と直交する単位ベクトルを選べばよい。
Weyl 列は、物理で言う「規格化できない固有関数(平面波や散乱状態)を、大きな箱で規格化した波束の列で近似する」操作そのものである。真性スペクトルの Weyl 列は弱収束して0になる。これは波束が広がるか遠方へ逃げて、どの固定した領域にも確率が残らないことを表す。離散固有値の固有関数は局在して逃げない。この「逃げるか逃げないか」が、次節以降の HVZ 定理の核心になる。
例題 3.4 自由粒子の Weyl 列 ★★★
オリジナル[標準的な題材を自作]
L2(R) で A=−d2/dx2(D(A)=H2(R))とする。ϕ(x)=π−1/4e−x2/2 と実数 k についてψn(x)=n−1/2ϕ(x/n)eikx とおく。
- (1) ∥ψn∥=1 を確かめ、∥(A−k2)ψn∥2 を正確に計算せよ。
- (2) ψn⇀0 を示し、σess(A)⊃[0,∞) を結論せよ。
- (3) λ<0 が σ(A) に入らないことを示し、σ(A)=σess(A)=[0,∞) を結論せよ。
解答
(1) 変数変換 x=ny で ∥n−1/2g(x/n)∥=∥g∥ なので ∥ψn∥=∥ϕ∥=1。微分するとψn′′=n−1/2eikx[ϕ′′(x/n)/n2+2ikϕ′(x/n)/n−k2ϕ(x/n)] なので
(A−k2)ψn=−n−1/2eikx[n2ϕ′′(x/n)+n2ikϕ′(x/n)].
ϕ が実数値なので交差項 2Re⟨ϕ′′/n2,2ikϕ′/n⟩ は純虚数の実部で0。∥ϕ′∥2=21、∥ϕ′′∥2=43 を使うと
∥(A−k2)ψn∥2=4n43+n22k2 ⟶ 0(n→∞).
(2) χ が有界で台がコンパクト(台の長さ L、上限 C)なら、∣ψn∣≤n−1/2π−1/4 より∣⟨χ,ψn⟩∣≤CLn−1/2π−1/4→0。このような χ は L2 で稠密で ∥ψn∥=1 なので、全ての χ で ⟨χ,ψn⟩→0。定理 3.19(b) より k2∈σess(A)。k は任意の実数なので [0,∞)⊂σess(A)。
(3) フーリエ変換で A は p2 の掛け算になる。λ<0 なら p2−λ≥∣λ∣>0 なので1/(p2−λ) の掛け算が有界な逆作用素を与え、λ∈/σ(A)。よって σ(A)=[0,∞) で、孤立点が無いので全て真性スペクトルである(検算スクリプト)。
真性スペクトルの安定性と水素原子
定義 3.20(コンパクト作用素)
有界作用素 K が、任意の有界な列 ψn に対して Kψn が収束する部分列をもつとき、K をコンパクト作用素という。同値な言い方として、ψn⇀0 なら ∥Kψn∥→0 となる(弱収束を強収束に変える)。
有限次元の像をもつ作用素の極限がコンパクト作用素である。物理的には「遠方へ逃げる波束や速く振動する波束を、ノルムの小さいものへ写す」作用素であり、典型例は W(x)(−Δ+1)−1 で W(x)→0(∣x∣→∞)のものである。(−Δ+1)−1 が高い運動量を抑え、W が遠方を抑えるので、逃げ道が無くなる(Rellich のコンパクト性定理の内容)。
定理 3.21(Weyl の定理(真性スペクトルの安定性) ★★)
自己共役な A と、D(A)⊂D(B) を満たす対称作用素 B について、B(A+i)−1 がコンパクトで A+B が自己共役ならσess(A+B)=σess(A)。
証明の骨格は定理 3.19(b) で直ちに見える。ψn が A の弱収束する Weyl 列なら (A+i)ψn も弱収束して0になり(有界列で、稠密な集合との内積が0に近づく)、コンパクト性から ∥Bψn∥=∥B(A+i)−1(A+i)ψn∥→0。よって ψn は A+B の Weyl 列でもある。逆向きは A+B と A の役割を入れ替えた同じ議論で、B(A+B+i)−1 のコンパクト性を確かめればよい。物理的には、遠方へ逃げる波束(真性スペクトルの Weyl 列)は、遠方で消えるポテンシャルを感じないということである。
水素型原子 H=−21Δ−Z/r に当てはめると、Z/r→0 なので (Z/r)(H0+i)−1 はコンパクトで、σess(H)=σess(H0)=[0,∞) である。[0,∞) より下にあるのは離散スペクトルだけで、それは教科書で解かれている
En=−2n2Z2(n=1,2,3,…),重複度 n2 (スピンを除く)(3.9)
である。固有値は無限個あり、n→∞ で 0 に集積する。集積点 0 自身は固有値でないが、真性スペクトルの下端である(図 3.1)。クーロンポテンシャルが遠方で −Z/r とゆっくり減衰することが、無限個の束縛状態(Rydberg 系列)を生む。r−2 より速く減衰するポテンシャルでは、束縛状態は有限個しかない(3次元。束縛状態の個数を数える Birman–Schwinger の評価による)。

図 3.1 水素原子(Z=1)のスペクトル。赤の縦線が離散固有値 −1/(2n2)(n≤40 を描画)、青の帯が真性スペクトル [0,∞)。固有値は 0 に集積し、集積点 0 が真性スペクトルの下端になる。
例題 3.5 1次元 δ ポテンシャルのスペクトル ★★
オリジナル[標準的な題材を自作]
L2(R) で H=−21dx2d2−gδ(x)(g>0)を考える。これはD(H)={ψ∈H1(R): ψ は x=0 で H2, ψ′(0+)−ψ′(0−)=−2gψ(0)} 上で −21ψ′′ を返す自己共役作用素と定義する。
- (1) 接続条件 ψ′(0+)−ψ′(0−)=−2gψ(0) が、−21ψ′′−gδψ=Eψ を x=0 の近傍で積分して得られることを確かめよ。
- (2) 負の固有値と規格化固有関数を全て求めよ。
- (3) σess(H)=[0,∞) を示し、スペクトル全体を図示的に述べよ。
解答
(1) −21ψ′′−gδψ=Eψ を [−ε,ε] で積分すると−21(ψ′(ε)−ψ′(−ε))−gψ(0)=E∫−εεψ→0。よって ψ′(0+)−ψ′(0−)=−2gψ(0)。δ 関数は L2 上の作用素ではないので、この接続条件を定義域に書き込むことで初めて自己共役作用素が定まる。これは R∖{0} 上の −21d2/dx2 の自己共役拡大の一つを選ぶことに当たり、第 3.2 節の「境界条件が作用素を決める」の例である。
(2) E=−κ2/2(κ>0)とすると、x=0 で ψ′′=κ2ψ の L2 解は x>0 で Ae−κx、x<0 で Beκx。連続性から A=B。接続条件は −κA−κA=−2gA なので κ=g。よって負の固有値はただ一つ
E=−2g2,ψ(x)=ge−g∣x∣
(規格化 ∫ge−2g∣x∣dx=1)。x>0 と x<0 の減衰解はそれぞれ1次元で、連続性と接続条件で係数と κ が決まり尽くすので、束縛状態はこの1つだけである。
(3) 原点から遠い所に台をもつ Weyl 列(例題 3.4 の ψn を ±2n2 だけ平行移動したもの)は、接続条件に触れず−21d2/dx2 の Weyl 列として振る舞い、弱収束して0になる。よって [0,∞)⊂σess(H)。また δ ポテンシャルの影響は1次元の空間(ψ(0) という1つの値)にしか及ばないので、H と自由ハミルトニアンのレゾルベントの差は階数1の作用素で、真性スペクトルは変わらない。したがって
σ(H)={−g2/2}∪[0,∞),σdisc(H)={−g2/2},σess(H)=[0,∞).
真性スペクトルの下端 0 は「粒子が無限遠へ飛び去り、ポテンシャルから何も受け取らない」状態のエネルギーである。これは次節の HVZ 定理の1粒子版になっている(検算スクリプト)。
AI(Claude)が書いた教材を、木下が勉強しながら公開しています。式と数値は検算していますが、誤りが残っているかもしれません。誤りのご指摘・削除のご依頼をいただければ直します。 連絡先:support@tecktom.com