近似の数理 第3章 §3.2 ★★★ 「エルミートなら十分」という直観がどこで足りないかを、定義域の言葉で特定する
共役作用素・対称・自己共役
定義 3.6(共役作用素)
稠密な定義域をもつ作用素 A について、ϕ∈H で「ある η∈H が存在して全ての ψ∈D(A) で⟨ϕ,Aψ⟩=⟨η,ψ⟩」となるもの全体を D(A∗) とし、A∗ϕ=η と定める。A∗ を A の共役作用素という。
D(A) が稠密なので η は一意に決まる。A∗ の定義域は「A と内積をとって部分積分できる相手」の全体であり、D(A) を狭くするほど条件が緩くなって D(A∗) は広がる。この逆向きの関係が以下の議論の要である。
定義 3.7(対称作用素・自己共役作用素)
A が対称であるとは、全ての ϕ,ψ∈D(A) で ⟨ϕ,Aψ⟩=⟨Aϕ,ψ⟩ が成り立つこと、すなわち A⊂A∗ であることをいう。A=A∗(定義域まで一致)のとき自己共役という。
物理の「エルミート」は通常「対称」の意味で使われている。対称性は期待値 ⟨ψ,Aψ⟩ が実数であることを保証するが、それだけでは足りない。対称な A では D(A∗) が D(A) より真に広いことがあり、そのとき A には「余分な境界条件の自由度」が残っている。自己共役とは、その自由度を一つに決め切った状態である。
区間上の運動量:境界条件が作用素を決める
H=L2(0,1) で P=−id/dx を考える。部分積分で
⟨ϕ,Pψ⟩−⟨Pϕ,ψ⟩=−i∫01(ϕˉψ′+ϕˉ′ψ)dx=−i[ϕˉ(1)ψ(1)−ϕˉ(0)ψ(0)](3.2)
となる。右辺の境界項が消えるかどうかが、定義域の選び方で決まる。
- D(Pmin)={ψ∈H1(0,1):ψ(0)=ψ(1)=0} とすると、Pmin は対称である。共役 Pmin∗ は、相手の ψ が両端で消えているので境界項が ϕ に条件を課さず、D(Pmin∗)=H1(0,1)(境界条件なし)となる。D(Pmin)⊊D(Pmin∗) なのでPmin は対称だが自己共役ではない。
- θ∈[0,2π) を一つ選び、D(Pθ)={ψ∈H1(0,1):ψ(1)=eiθψ(0)} とする。ϕ,ψ が同じ条件を満たせば ϕˉ(1)ψ(1)=∣eiθ∣2ϕˉ(0)ψ(0)=ϕˉ(0)ψ(0)で境界項は消える。逆に ϕ∈D(Pθ∗) なら、ψ(0)=0 の ψ∈D(Pθ) を入れて境界項が消えることからϕ(1)=eiθϕ(0) が従う。よって Pθ=Pθ∗ は自己共役である。
Pθ は θ ごとに別の作用素であり、固有値も違う。eikx が D(Pθ) に入る条件はeik=eiθ なので、
σ(Pθ)={θ+2πn: n∈Z}.(3.3)
物理的には、θ は環状の導線を貫く磁束(Aharonov–Bohm 位相)や、周期系の Bloch 波数に当たる。同じ微分記号 −id/dx でも、境界条件という定義域の情報が違えば測定値の集合が違う。一方 Pmin のスペクトルは複素平面全体になる(例題 3.1)。これは「対称なのに実スペクトルをもたない」作用素の具体例である。
自己共役性の判定法と、それが要る理由
定理 3.8(自己共役性の基本判定法 ★★)
A を対称作用素とする。Ran(A+i)=Ran(A−i)=H ならば A は自己共役である。逆に A が自己共役なら、全ての実数 μ=0 について A−iμ は D(A) から H への全単射で、∥(A−iμ)−1∥≤1/∣μ∣ を満たす。
証明
前半を示す。A⊂A∗ なので D(A∗)⊂D(A) を言えばよい。ψ∈D(A∗) をとる。Ran(A−i)=H より、(A−i)ϕ=(A∗−i)ψ を満たす ϕ∈D(A) がある。A⊂A∗ だから(A∗−i)(ψ−ϕ)=0。任意の χ∈D(A) について⟨(A+i)χ,ψ−ϕ⟩=⟨χ,(A∗−i)(ψ−ϕ)⟩=0 であり、Ran(A+i)=H なので ψ−ϕ は H の全ての元と直交する。よって ψ=ϕ∈D(A)。
後半のうちノルムの評価を示す。対称な A と ψ∈D(A) について、⟨ψ,Aψ⟩ が実数であることから交差項が打ち消し合い、
∥(A−iμ)ψ∥2=∥Aψ∥2+μ2∥ψ∥2(3.4)
となる。よって A−iμ は単射で、逆写像のノルムは 1/∣μ∣ 以下。全射であることは、Ran(A−iμ) が閉じていること(自己共役作用素は閉作用素、すなわち ψn→ψ かつ Aψn→η なら ψ∈D(A), Aψ=η を満たし、これと (3.4) から従う)と、その直交補空間が Ker(A∗+iμ)=Ker(A+iμ)={0} であることから従う(Aψ=−iμψ なら ⟨ψ,Aψ⟩=−iμ∥ψ∥2 が実数なので ψ=0)。
Pmin で判定法が破れる様子を見ると意味がよく分かる。Ran(Pmin−i) の直交補空間は Ker(Pmin∗+i)、すなわち −iϕ′=−iϕ の解 ϕ=ex が張る1次元空間である。同様に Ker(Pmin∗−i) は e−x が張る。この二つの次元 (1,1) を不足指数といい、それが等しいことが自己共役拡大の存在条件、その間のユニタリ写像(ここでは位相 eiθ 一つ)が拡大の自由度に当たる(von Neumann の拡大理論)。
自己共役性が必要な理由は、次の二つの定理に集約される。
定理 3.9(スペクトル定理(乗算作用素形) ★★★)
A を自己共役作用素とする。ある測度空間 (M,μ)、実数値関数 a:M→R、ユニタリ写像 U:H→L2(M,μ) が存在して、UAU−1 は「a を掛ける」作用素になる(定義域は a⋅f∈L2 となる f 全体)。
−21Δ ではフーリエ変換が U、a(k)=∣k∣2/2 である。一般の自己共役作用素も、適切な「座標変換」で実数値関数の掛け算に直せるというのがこの定理の内容であり、有限次元の「エルミート行列はユニタリ行列で実対角化できる」の無限次元版である。これにより関数 f(A)(f(a) を掛ける作用素)が定義でき、特に区間 Ω の指示関数からスペクトル射影 PΩ(A)=1Ω(A)、指数関数から e−itA が作れる。対称だが自己共役でない作用素にはこの定理が成り立たず、Pmin のようにスペクトルが実数に収まらないこともある。
定義 3.10(スペクトル)
A−λ が D(A) から H への全単射で逆写像が有界になる λ∈C の集合をレゾルベント集合、その補集合をスペクトル σ(A) という。
自己共役作用素では、判定法の後半を A−Reλ に適用して σ(A)⊂R が従い、スペクトル定理の表示では σ(A) は関数 a の「本質的な値域」に一致する。固有値は σ(A) の一部にすぎず、−21Δ のスペクトル [0,∞) には固有値が一つも無い(eik⋅x は L2 に入らない)。
定理 3.11(Stone の定理 ★★★)
H を自己共役作用素とすると、U(t)=e−itH はユニタリ作用素の族で U(t+s)=U(t)U(s) を満たし、強連続(各 ψ について t↦U(t)ψ が連続)であり、ψ∈D(H) ならidtdU(t)ψ=HU(t)ψ が成り立つ。逆に、強連続な1パラメータ・ユニタリ群 U(t) は、ちょうど一つの自己共役作用素 Hによって U(t)=e−itH と書ける。
前半はスペクトル定理から直ちに従う(掛け算作用素 e−ita は絶対値1の関数を掛けるのでユニタリ)。さらに、シュレディンガー方程式の解の一意性もここから出る。ψ(t)∈D(H) が iψ˙=Hψ を満たすとき、χ(t)=U(−t)ψ(t) を微分すると χ˙=U(−t)(iHψ−iHψ)=0 なので χ は一定、すなわち ψ(t)=U(t)ψ(0) である。
自己共役性が物理に対応するもの
Stone の定理は「確率を保存する時間発展」と「自己共役なハミルトニアン」が一対一に対応することを言う。対称だが自己共役でない Pmin を生成子に選ぶと、∂tψ=−iPψ=−∂xψ は右向きの並進であり、波束が右端 x=1 に達した後どうなるかを方程式は決めていない。Pθ を選ぶことは「右端から出た波は位相 e−iθ をかけて左端から戻る」という規則を指定することに当たり、そこで初めて時間発展が一意になる。自己共役性とは「境界(無限遠や特異点も含む)で確率がどう振る舞うか」を決め切ることである。
「エルミートなら十分」が外れる場面
滑らかで台がコンパクトな関数の上で対称な作用素は、物理で出会うほぼ全ての作用素がそうである。足りないのは次の場面である。(1) 区間・半直線・穴のあいた領域のように境界がある系(境界条件の選び方が物理を決める)。(2) ポテンシャルが特異な系。例えば3次元で −Δ−c/∣x∣2 は c が大きいと自己共役拡大が一意に決まらず、さらに下に有界でもなくなる(第 3.4 節)。(3) 一点に集中した相互作用(δ ポテンシャル)。これは「原点を除いた直線上の −d2/dx2」の自己共役拡大の一つとして定義される(例題 3.5)。「エルミート」の確認は滑らかな関数での計算に閉じているので、これらの場面で何が起きるかを判定できない。
例題 3.1 区間上の運動量の自己共役拡大 ★★
オリジナル[標準的な題材を自作]
H=L2(0,1)、Pmin=−id/dx、D(Pmin)={ψ∈H1(0,1):ψ(0)=ψ(1)=0} とする。
- (1) 任意の λ∈C について λ∈σ(Pmin) であることを示せ。
- (2) Ker(Pmin∗∓i) を求め、不足指数が (1,1) であることを確かめよ。
- (3) 自己共役拡大 Pθ(ψ(1)=eiθψ(0))の固有値と規格化固有関数を求め、e−itPθ が波動関数をどう動かすかを述べよ。
解答
(1) ϕλ(x)=eiλˉx とおく。任意の ψ∈D(Pmin) について、部分積分の境界項は ψ が両端で消えるので0で、⟨ϕλ,(Pmin−λ)ψ⟩=⟨(−iϕλ′−λˉϕλ),ψ⟩=0(−iϕλ′=λˉϕλ による)。よって Ran(Pmin−λ) は 0 でない ϕλ と直交し、Pmin−λ は全射でない。したがって λ∈σ(Pmin)。スペクトルは C 全体である。
(2) D(Pmin∗)=H1(0,1) で Pmin∗=−id/dx。−iϕ′=iϕ の解は ϕ=ce−x、−iϕ′=−iϕ の解は ϕ=cex。いずれも H1(0,1) に入るので、Ker(Pmin∗−i)=span{e−x}、Ker(Pmin∗+i)=span{ex} で、不足指数は (1,1)。等しいので自己共役拡大が存在し、拡大は二つの1次元空間の間のユニタリ写像(絶対値1の複素数一つ)でパラメータづけられる。これが θ である。
(3) ψ=eikx が境界条件を満たす条件は eik=eiθ、すなわち kn=θ+2πn(n∈Z)。規格化固有関数は en(x)=ei(θ+2πn)x で、これらは L2(0,1) の正規直交基底をなす(eiθx を掛けたフーリエ級数)。ψ=∑ncnen に対し e−itPθψ=∑ncne−iknten で、en(x−t)=e−iknten(x) だから(e−itPθψ)(x)=ψ~(x−t) である。ここで ψ~ は ψ を「ψ~(x+1)=eiθψ~(x)」で実数全体へ延長したもの。波は右へ速さ1で進み、右端を出た部分は位相 e−iθ を掛けられて左端から戻る。θ ごとに時間発展が違い、θ を決めない限り時間発展は決まらない(検算スクリプト)。
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