近似の数理 第9章 §9.6 ★★ A 型の射影を非線型・長時間に使うと、誤差を制御する定理がなくなる
Rayleigh–Bénard 対流から3変数へ
下から加熱された流体層(Rayleigh–Bénard 対流)を、2次元・Boussinesq 近似・上下の境界で自由すべり、という最も単純な設定で考える。流れ関数 ψ(x,z,t) と、線型な温度分布からのずれ θ(x,z,t) を未知数とし、層の厚さを H とする。Saltzman は ψ,θ を 2 重 Fourier 級数に展開し、有限個のモードで打ち切った常微分方程式系を数値的に調べた。Lorenz(1963年)はそのうち最も少ない 3 つのモード
ψ∝X(t)sinHπaxsinHπz,θ∝Y(t)cosHπaxsinHπz−Z(t)sinH2πz(9.29)
だけを残し、方程式をこれらのモードの上に射影した。これは第4章の Galerkin 法そのもの(A 型の射影)である。
射影で何が捨てられたかを具体的に見る。非線型項は Jacobi 行列式 J(ψ,θ)=ψxθz−ψzθx の形で現れる。k=πa/H、m=π/H と書くと、直接計算により(検算スクリプト)
J(sinkxsinmz, coskxsinmz)J(sinkxsinmz, sin2mz)=2kmsin2mz,=kmcoskx(sin3mz−sinmz).
1つ目は Z のモードそのものなので残る。2つ目のうち coskxsinmz は Y のモードとして残るが、coskxsin3mz は 3 つのモードの外にあり、捨てられる。渦度の方程式の非線型項 J(ψ,∇2ψ) は、単一モードでは ∇2ψ∝ψ なので 0 になる。こうして得られるのが Lorenz 方程式
X˙=σ(Y−X),Y˙=X(r−Z)−Y,Z˙=XY−bZ(9.30)
である。時間は熱拡散の時間で無次元化してあり、σ=ν/κ は Prandtl 数、r=Ra/Rac は臨界値で割った Rayleigh 数、b=4/(1+a2) である。自由すべり境界での臨界 Rayleigh 数は Rac(a)=π4(1+a2)3/a2 で、a2=1/2 で最小値 27π4/4≈657.5 をとる。このとき b=8/3 となる。Lorenz が使った値 σ=10、b=8/3、r=28 はここから来ている(検算スクリプト)。
例題 9.7 Lorenz 方程式の固定点と対流の発生 ★★
オリジナル[標準的な題材を自作]
- (9.30) の固定点をすべて求めよ。
- 原点の線型安定性を調べ、r=1 で安定性が変わることを示せ。これは物理的に何に対応するか。
- σ=10、b=8/3、r=28 での非自明な固定点の座標を数値で書け。
解答
(1) X˙=0 から Y=X。Z˙=0 から Z=X2/b。Y˙=0 に代入して X(r−1−X2/b)=0。よって原点 (0,0,0) と、r>1 のときに限り C±=(±b(r−1), ±b(r−1), r−1)(複号同順)。
(2) 原点での Jacobi 行列は−σr0σ−1000−b。Z 方向は固有値 −b<0。(X,Y) のブロックはトレース −(σ+1)<0、行列式 σ(1−r)。r<1 なら行列式が正で、2つの固有値はともに実部負となり原点は安定。r>1 なら行列式が負で、正と負の固有値をもつ鞍点となり不安定。原点は「流れがなく熱伝導だけで熱を運ぶ状態」、C± は「時計回り・反時計回りの定常な対流ロール」である。r=1、すなわち Ra=Rac で熱伝導状態が不安定になり対流が始まる。これは元の PDE の線型安定性解析の結果と一致する。臨界点の近くの振る舞いは、3 モードの打ち切りが正しく再現する部分である。
(3) b(r−1)=38⋅27=72 なので C±=(±62, ±62, 27)≈(±8.485, ±8.485, 27)。この 2 点は r>rH=σ(σ+b+3)/(σ−b−1)≈24.74 で不安定になり(Hopf 分岐)、r=28 では軌道はどの固定点にも落ち着かない(検算スクリプト)。

図 9.2 Lorenz 方程式(σ=10、b=8/3、r=28)の軌道の (X,Z) 面への射影(5≤t≤30)。軌道は二つの不安定な固定点 C± の周りを不規則に行き来する。
打ち切った系のカオスは元の系の縮図か
r=28 の Lorenz 方程式は、決定論的なのに非周期的で、初期値の微小な差が指数的に拡大する(最大 Lyapunov 指数はおよそ 0.9。検算スクリプト)。軌道は図 9.2 のような奇妙なアトラクタに乗る。このアトラクタが本当に存在する(数値誤差の産物でない)ことは、Tucker による計算機援用証明で確かめられた。Lorenz 方程式は「決定論的な系がカオスを示しうる」ことの模範例として、数学的にも物理的にも大きな意味をもつ。
しかし、このカオスが元の対流の PDE の振る舞いを忠実に縮めたものだという保証はない。r=28 は Ra が臨界値の 28 倍の状態で、実際の対流はそこでは 3 次元的な構造をもち、2 次元・3 モードの記述とは対応しない。捨てたモード coskxsin3mz は、臨界点の近くでは振幅が小さく無視できるが、臨界から遠い所では小さい理由がない。より多くのモードを残した打ち切り系では、同じパラメータでの振る舞いが変わりうる。
この状況を、第4章の線型問題の Galerkin 法と比べる。線型の楕円型問題では、部分空間 Vh 上の Galerkin 近似 uh について
∥u−uh∥H1≤λΛv∈Vhinf∥u−v∥H1(9.31)
(Céa の補題)が成り立った。誤差は「真の解を部分空間でどれだけよく近似できるか」で抑えられ、解が滑らかなら少ないモードで十分である。時間発展の非線型問題では、打ち切りの誤差 e(t)(真の解の低次モードと打ち切り系の解の差)は、捨てたモードからの寄与を δ、ベクトル場の Lipschitz 定数を L とすると、Grönwall の不等式により
∥e(t)∥≤∥e(0)∥eLt+Lδ(eLt−1)(9.32)
としか抑えられない(検算スクリプト)。有限時間 t なら δ→0 で誤差は 0 に行くが、評価は時間について指数的に悪化する。カオス系では eLt の増大は評価の甘さでなく実際に起きることで(Lyapunov 指数がその速さ)、個々の軌道を長時間追うことは原理的にできない。長時間で問えるのは統計(不変測度、時間平均)だけだが、「打ち切り系の統計が元の系の統計に近い」ことを保証する一般的な定理はない。
例外的に、散逸の強い系では正の結果がある。2次元 NS 方程式では、有限個の Fourier モードの長時間の振る舞いが全体の長時間の振る舞いを決めること(決定モード、Foias–Prodi)が証明されている。また一部の散逸的な PDE では、有限次元の不変多様体(慣性多様体)の上に長時間の力学が乗ることが示されている。これらは「打ち切りが正当化できるための構造」が何であるかを示しているが、3次元の対流や乱流には適用できない。
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