近似の数理 第9章 §9.7 ★★★ 厳密な存在定理と、具体形が分からない汎関数を閉じる C 型の近似の境目
設定
N 個の電子からなる系のハミルトニアンを、原子単位で
Hv=T+W+V,T=−21i=1∑NΔi,W=i<j∑∣xi−xj∣1,V=i=1∑Nv(xi)
と書く(スピンは記号から省く)。T と W はどの原子・分子でも共通で、系ごとに違うのは原子核がつくる外部ポテンシャル v だけである。反対称な波動関数 ψ の 1 粒子密度を
ρψ(x)=N∫∣ψ(x,x2,…,xN)∣2dx2⋯dxN
とすると、⟨ψ,Vψ⟩=∫vρψdx となる。外部ポテンシャルのエネルギーは密度だけで決まる。第5章の Hartree–Fock 近似は波動関数を Slater 行列式に制限する A 型の近似だった。DFT は、3N 変数の波動関数の代わりに 3 変数の密度 ρ を基本変数にとる。
Hohenberg–Kohn の定理
定理 9.10(Hohenberg–Kohn の第1定理 ★★★)
二つの外部ポテンシャル v1,v2 について、Hv1、Hv2 がそれぞれ縮退のない基底状態 ψ1,ψ2 をもち、その密度が等しい(ρψ1=ρψ2=ρ)とする。このとき v1−v2 は定数である。すなわち、縮退のない基底状態の密度は、外部ポテンシャルを定数の差を除いて決める。
証明
v1−v2 が定数でないと仮定して矛盾を導く。基底エネルギーを E1,E2 とする。
第1段(ψ1 と ψ2 は異なる)。もし ψ1=ψ2=ψ(位相を除いて)なら、二つの固有値方程式を引いて(∑i(v1−v2)(xi)−(E1−E2))ψ=0。ψ が正の測度の集合上で 0 にならない(ほとんど至る所で 0 でない)なら、∑ig(xi)=E1−E2(g=v1−v2)がほとんど至る所で成り立つ。x2,…,xN を固定して x1 だけ動かすと g(x1) が定数となり、仮定に反する。
第2段(変分原理)。ψ2 は Hv1 の基底状態ではない(Hv1 の基底状態は縮退がなく ψ1 だけで、第1段より ψ2=ψ1)。したがって変分原理(第3章)により厳密な不等号で
E1<⟨ψ2,Hv1ψ2⟩=⟨ψ2,Hv2ψ2⟩+∫(v1−v2)ρdx=E2+∫(v1−v2)ρdx.
1 と 2 の役割を入れ替えると E2<E1+∫(v2−v1)ρdx。二つを足すと E1+E2<E1+E2 となり矛盾する。
証明の中の微妙な一手
第1段の「固有関数が正の測度の集合上で 0 にならない」は、Schrödinger 作用素の固有関数の一意接続性(ある開集合上で 0 なら至る所で 0)から従う性質で、元の議論では暗黙に使われていた。Coulomb ポテンシャルのような特異性をもつ多体の作用素についてこれを厳密に示すことは自明でなく、比較的最近になって整備された。第2段の証明は 3 行で終わるが、定理の主張の重さ(3 変数の関数が 3N 変数の問題の全情報を決める)に比べてその証明は驚くほど短い。定理は「決まる」と言うだけで、ρ から v をどう求めるかは何も言わない。
定理から、ρ が v を(定数を除いて)決め、v が Hv を決め、Hv が基底状態 ψ を決める。したがって基底状態のすべての性質は ρ の汎関数であり、特に
FHK[ρ]=⟨ψρ,(T+W)ψρ⟩
が定義でき、Ev=minρ{FHK[ρ]+∫vρ} という密度についての変分原理(Hohenberg–Kohn の第2定理)が成り立つ。問題は FHK の定義域である。FHK は、ある v の基底状態の密度として現れる ρ(v 表現可能な密度)の上でしか定義されない。どの ρ が v 表現可能かは分かっておらず、表現可能でない密度が存在することも示されている。変分原理の探索範囲が分からないのでは、変分法として使えない。
Levy–Lieb の制約付き探索と Lieb の凸解析
定義 (Levy–Lieb の汎関数)
密度 ρ≥0、∫ρ=N、ρ∈H1(R3) を満たす ρ(このような ρ はどれも有限な運動エネルギーをもつ反対称な ψ の密度として実現できる。これを N 表現可能という)について
FLL[ρ]=inf{⟨ψ,(T+W)ψ⟩ : ψ は反対称で正規化され、ρψ=ρ}(9.35)
と定める。「その密度を与える波動関数のうち、運動エネルギーと電子間反発の和が最小のもの」の値である。
命題 9.12(制約付き探索による変分原理 ★★★)
任意の v について
Ev:=ψinf⟨ψ,Hvψ⟩=ρinf{FLL[ρ]+∫vρdx}
(右辺の inf は N 表現可能な ρ 全体)。v 表現可能な ρ では FLL[ρ]=FHK[ρ] である。
証明
波動関数全体についての inf を、「まず密度を固定して ψ を動かし、次に密度を動かす」二段に分ける。⟨ψ,Hvψ⟩=⟨ψ,(T+W)ψ⟩+∫vρψ の第2項は密度を固定すれば定数なので
ψinf⟨ψ,Hvψ⟩=ρinf[ψ:ρψ=ρinf⟨ψ,(T+W)ψ⟩+∫vρ]=ρinf[FLL[ρ]+∫vρ].
ρ が v の基底状態 ψρ の密度なら、ρψ=ρ を満たす任意の ψ について⟨ψ,(T+W)ψ⟩+∫vρ=⟨ψ,Hvψ⟩≥⟨ψρ,Hvψρ⟩=FHK[ρ]+∫vρ。したがって FLL[ρ]≥FHK[ρ]、ψ=ψρ で等号がとられる。
この定式化は v 表現可能性の問題を回避する。探索範囲は N 表現可能な密度で、これは簡単な条件で特徴付けられている。Hohenberg–Kohn の定理(一意性)は、この変分原理を使うためにはもはや必要ない。
Lieb はさらにこの構造を凸解析の言葉で整理した。主張だけを述べる。基底エネルギー Ev を v の関数と見ると、Ev は v についてのアフィン関数 ⟨ψ,Hvψ⟩ の下限なので凹関数である。そこで Legendre–Fenchel 変換
FL[ρ]=vsup{Ev−∫vρdx}
を定義すると、FL は凸で下半連続な汎関数になり、Ev=infρ{FL[ρ]+∫vρ} が成り立つ(ρ∈L1∩L3、v∈L3/2+L∞ という対になる関数空間の上で)。FL は FLL の凸包(混合状態にまで探索を広げた汎関数)に一致する。Ev と FL の関係は、熱力学で内部エネルギーと自由エネルギーが Legendre 変換で結ばれるのと同じ構造である。凸性があるので、汎関数の性質(下半連続性、最小値の存在)を一般論から議論できる。ただし FL の微分可能性は自明でなく、Kohn–Sham 方程式の導出で使う「汎関数微分」の存在は数学的にはなお微妙な点として残っている。
Kohn–Sham 方程式
FLL は存在するが、その具体形は分からない。N 電子問題を解かずに FLL[ρ] を計算する方法がないからである。Kohn と Sham は、分からない部分をできるだけ小さくする書き換えを考えた。相互作用のない N 電子系の運動エネルギーを
Ts[ρ]=inf{⟨Φ,TΦ⟩ : Φ は Slater 行列式で ρΦ=ρ}
と定義し、古典的な静電エネルギー(Hartree エネルギー)を J[ρ]=21∬ρ(x)ρ(y)/∣x−y∣dxdy とする。そして
Exc[ρ]:=FLL[ρ]−Ts[ρ]−J[ρ](9.39)
を交換相関汎関数と定義する。これは定義なので、ここまでは何も近似していない。Exc には、Pauli 原理による交換エネルギー、電子が互いを避ける相関エネルギー、そして相互作用による運動エネルギーの増分 ⟨ψ,Tψ⟩−Ts が押し込まれている。
エネルギー Ts[ρ]+J[ρ]+Exc[ρ]+∫vρ を最小にする ρ が、ある Slater 行列式 Φ=det(ϕ1,…,ϕN) の密度ρ=∑i∣ϕi∣2 として実現され(非相互作用 v 表現可能性の仮定)、Exc が汎関数微分 vxc=δExc/δρ をもつと仮定する。軌道 ϕi について正規直交性の制約のもとで変分をとると(Lagrange 乗数 εi)
(−21Δ+v(x)+vH(x)+vxc(x))ϕi=εiϕi,vH(x)=∫∣x−y∣ρ(y)dy,ρ=i=1∑N∣ϕi∣2(9.40)
が得られる。これが Kohn–Sham 方程式で、相互作用のない電子が有効ポテンシャル vs=v+vH+vxc の中を運動する 1 体の問題の形をしている。vs が ρ に依存するので、Hartree–Fock と同じく自己無撞着に解く。
構造をまとめると、Kohn–Sham の枠組みは Exc が厳密なら厳密であり、近似はすべて Exc の選び方に集約される。運動エネルギーの大部分(Ts)を軌道で厳密に扱うので、Thomas–Fermi 理論(第6章)のように運動エネルギーを密度の局所式で近似したときの大きな誤差(原子の殻構造が出ない、分子が結合しない)は起きない。未知の部分を、全エネルギーの中で比較的小さな Exc に押し込んだことが、この書き換えの要点である。
交換相関汎関数の近似:C 型の閉じ方
Exc の厳密な形は存在が保証されるだけで分からない。実際の計算では近似形を使う。
- 局所密度近似(LDA):ExcLDA[ρ]=∫ρ(x)exc(ρ(x))dx。exc(n) は密度 n の一様電子気体の 1 電子あたりの交換相関エネルギーである。交換部分は解析的に求まり ex(n)=−Cxn1/3、Cx=43(3/π)1/3≈0.7386(検算スクリプト)。相関部分は Ceperley と Alder の量子モンテカルロ計算を補間した式が使われる。
- 一般化勾配近似(GGA):密度の勾配も入れて ExGGA=−Cx∫ρ4/3Fx(s) とする。s∝∣∇ρ∣/ρ4/3 は無次元の勾配、Fx は増大因子。
- 混成汎関数:Hartree–Fock 型の厳密交換エネルギーを一定の割合で混ぜる。B3LYP の 3 つの混合パラメータは、分子の熱化学データに合うように決められた。
どれも小さいパラメータの極限として導かれたものではなく、C 型の閉じ方である。それでも、正当化の完全な欠如ではない部分が二つある。
第一に、LDA はある極限で厳密である。 一様電子気体ではもちろん厳密で、密度がゆっくり変化する極限(密度の変化の長さが局所的な Fermi 波長に比べて長い)では、LDA が厳密な汎関数の主要項を与えることがLewin、Lieb、Seiringer によって数学的に証明されている。LDA は、B 型の極限で正しい式を、その極限から遠い原子・分子(密度が原子核の近くで急変し、外側で指数的に減衰する)に外挿して使っている。外挿がなぜ予想以上にうまくいくかについては、LDA の交換相関の「穴」が和則(穴に含まれる電子がちょうど 1 個であること)を満たしている、という説明がなされている。
第二に、厳密条件が正当化の代わりの制約として使われる。 厳密な Exc が満たすべき性質のうち証明できるものがいくつかあり、近似汎関数をそれに合わせて作る。代表例は次の二つである。
- 座標の一様スケーリング:交換エネルギーは ργ(x)=γ3ρ(γx) について Ex[ργ]=γEx[ρ] を満たす(例題 9.8)。
- Lieb–Oxford の下界:電子間反発の期待値と古典的な静電エネルギーの差について⟨ψ,Wψ⟩−J[ρψ]≥−CLO∫ρψ4/3 がすべての ψ で成り立ち、CLO≤1.68(Lieb と Oxford の評価)。Exc に対する下界を与える。
Perdew–Burke–Ernzerhof の GGA(PBE)は、経験的なパラメータを使わずに厳密条件だけから増大因子 Fx(s)=1+κ−κ/(1+μs2/κ) を決めている。上限 1+κ の κ=0.804 は、完全にスピン偏極した場合に局所的に Lieb–Oxford の界を満たす最大の値として選ばれている。実際、21/3(1+κ)Cx=21/3×1.804×0.7386≈1.679 となる(検算スクリプト)。
例題 9.8 座標のスケーリングと厳密条件 ★★
オリジナル[標準的な題材を自作]
N 電子の波動関数 ψ に対し、γ>0 として ψγ(x1,…,xN)=γ3N/2ψ(γx1,…,γxN) とおく(空間を 1/γ 倍に縮めた状態)。
- ψγ が正規化されていること、⟨ψγ,Tψγ⟩=γ2⟨ψ,Tψ⟩、⟨ψγ,Wψγ⟩=γ⟨ψ,Wψ⟩ を示せ。
- ρψγ(x)=γ3ρψ(γx)=:ργ(x) を示せ。
- LDA の交換エネルギー ExLDA[ρ]=−Cx∫ρ4/3 が ExLDA[ργ]=γExLDA[ρ] を満たすことを示せ。Thomas–Fermi の運動エネルギー ∫ρ5/3 はどう変わるか。
解答
(1) 変数変換 xi′=γxi(Jacobi 行列式 γ−3N)で ∫∣ψγ∣2=γ3Nγ−3N∫∣ψ∣2=1。∇xiψγ=γ3N/2γ(∇ψ)(γx) なので、運動エネルギー 21∑∫∣∇iψγ∣2 は同じ変数変換で γ2 倍になる。1/∣xi−xj∣=γ/∣xi′−xj′∣ なので、電子間反発は γ 倍になる。
(2) 定義より ρψγ(x)=Nγ3N∫∣ψ(γx,γx2,…)∣2dx2⋯。x2,…,xN について変数変換すると γ−3(N−1) が出て、γ3ρψ(γx) になる。
(3) ∫ργ4/3dx=γ4∫ρ(γx)4/3dx=γ4γ−3∫ρ4/3=γ∫ρ4/3。同様に ∫ργ5/3=γ5γ−3∫ρ5/3=γ2∫ρ5/3 で、(1) の運動エネルギーの γ2 と一致する(検算スクリプト)。
厳密な交換エネルギーは、Ts を最小にする Slater 行列式 Φρ を使って Ex[ρ]=⟨Φρ,WΦρ⟩−J[ρ] と定義される。(1) より T は一様に γ2 倍されるので、ργ に対する最小化の解は (Φρ)γ であり、W と J がともに γ 倍されることから Ex[ργ]=γEx[ρ] が従う。LDA の交換はこの厳密条件を満たす。一方、相関エネルギーは γ の単純な冪では変わらず、満たすべきなのは不等式の形の条件である。こうした条件を満たすように汎関数を作ることは、近似の正しさを保証しないが、物理的にあり得ない振る舞いを排除する。
DFT の実際の評価は、厳密に解ける極限(一様電子気体、1 電子系、強い圧縮の極限など)での一致、厳密条件の充足、そして量子化学の高精度計算や実験値からなるベンチマーク集合での誤差統計によって行われる。LDA から GGA、混成汎関数へと進む系列は、パラメータを加えるごとにベンチマークの誤差を減らしてきたが、それは「ある極限で誤差が 0 に行く」という形の保証ではない。特定の系(強相関電子系、分散力、自己相互作用誤差が目立つ系)では、どの近似汎関数も系統的に誤ることが知られている。
AI(Claude)が書いた教材を、木下が勉強しながら公開しています。式と数値は検算していますが、誤りが残っているかもしれません。誤りのご指摘・削除のご依頼をいただければ直します。 連絡先:support@tecktom.com