量子力学入門 第7部 第2章 §7.2.3 ★ 分野横断で効く視点(発展・教養)
前節で Hamiltonian を H=px˙−L と定義したが、正直なところ「なぜこの形なのか」は天下りだったと思う。変数を x˙ から p に替えたいだけなら、p=∂L/∂x˙ を逆に解いて L に代入した関数 L(x,x˙(x,p)) ではいけないのか?——この素朴な疑問に正面から答えるのが本節である。答えを先に言うと:単純代入では情報が失われるが、Legendre 変換なら失われない。そしてこの変換は力学の専売特許ではなく、熱力学の自由エネルギー、統計力学の分配関数、量子力学の Fourier 変換に、まったく同じ構造で現れる。
単純代入では何がまずいか
★ Legendre 変換の動機
具体例で見る。L=21mx˙2(自由粒子)に p=mx˙ を単純代入すると L~(p)=p2/2m——一見問題なさそうだが、これは偶然(L が2次だから)に近い。一般の L(x˙) で単純代入 L~(p):=L(x˙(p)) を作ってから「L~ だけを渡されて元の L を復元せよ」と言われると、
L~(p)=L(x˙)かつp=L′(x˙)
という微分方程式を解く羽目になり、しかも解には積分定数の任意性が残る。幾何学的に言えば、x˙↦p=L′(x˙) という「傾きを名前にする」ラベルの張り替えだけでは、曲線の高さ方向の情報(どこに置かれていたか)が落ちる:L(x˙) と L(x˙)+const は同じ L~ を与えてしまうし、より一般には L(x˙)→L(x˙−c) のようなずらしも区別できない。変数変換のつもりが、実は非可逆な射影になっているのである。
凸関数は「接線の族」で書き直せる:Legendre 変換の幾何学
★ Legendre 変換の幾何的意味
情報を落とさない正しいやり方は、発想を転換して関数を「点の集合」ではなく「接線の集合」で記述し直すことである。下に凸な関数 f(v) を考える(f′′>0;力学なら f=L、v=x˙、f′′=m>0)。傾き p を一つ指定すると、凸性からその傾きをもつ接線はちょうど1本決まる。その接線の情報は「傾き p」と「切片」の2つの数で尽きるから、
g(p):=(傾き p の接線の切片)×(−1)
という切片の一覧表を作れば、接線族の全情報——したがって凸関数 f の全情報——が g に移る。切片を式にすると:接点 v∗ は f′(v∗)=p で決まり、接線は y=f(v∗)+p(v−v∗)、その v=0 での値が切片 f(v∗)−pv∗。よって
g(p)=pv∗−f(v∗)f′(v∗)=p=vmax[pv−f(v)] (7.2.3)
——これが Legendre 変換である(max 形は、pv−f(v) を v で微分してゼロと置くと p=f′(v) が出ることから;凸性がこの停留点を最大点にする)。H=px˙−L の「px˙ を引く前に足す」不思議な形は、接線の切片を記録するための形だったのである。
この見方から、重要な性質が芋づる式に出る。
(a) 対合性(2回で戻る). 凸関数は自分のすべての接線の包絡線として復元できる。式で言えば g にもう一度 Legendre 変換を施すと
pmax[vp−g(p)]=f(v)
——情報の損失がゼロであることの端的な表現である(L→H→L が確かに戻ることは、前節の自由粒子 21mx˙2→p2/2m→21mx˙2 で確認できる)。
(b) 変数と傾きの役割交換. (7.2.3) を p で微分すると(停留条件により v∗ の p 依存は効かず)g′(p)=v∗。つまり
p=dvdf⟺v=dpdg
——「f の傾きが p」と「g の傾きが v」が完全に対称になる。(v,f) の世界と (p,g) の世界は対等で、どちらを「元」と呼ぶかは便宜の問題にすぎない。
(c) 全微分で見る最短の説明. 実務ではこう覚えるのが速い。df=pdv(傾きの定義)を出発点に、積の微分 d(pv)=pdv+vdp を使って
d(pv−f)=vdp
——pv を足し引きするのは、全微分の「効く変数」を dv から dp に付け替えるためである。Hamilton 形式の導出(前節)で dH=x˙dp−p˙dx と dx˙ の項が消えたのは、まさにこの付け替えが働いた瞬間だった。
(d) Young の不等式. (7.2.3) の max を外せば、任意の v,p に対して
pv≤f(v)+g(p)
(等号は共役な組 p=f′(v) のとき)。f=v2/2 なら pv≤2v2+2p2——相加相乗平均の親玉であり、解析学の Hölder 不等式の心臓部でもある。共役な量のペア (v,p) は掛け算すると「エネルギーの次元の壁」f+g で頭を抑えられる、と読める。
熱力学:エネルギーの Legendre 変換
★ 他分野に現れる同型(教養)
この構造が力学の外で最初に、そして最も日常的に現れるのが熱力学である。内部エネルギー U(S,V) の全微分は
dU=TdS−pdV(T=∂S∂U)
——エントロピー S の「共役な傾き」が温度 T である。ところが実験室で制御しやすいのは S(測れない)ではなく T(恒温槽につなぐだけ)だ。そこで「独立変数を S から傾き T に替えたい」——まさに前小節の状況であり、正しい処方は単純代入ではなく Legendre 変換
F(T,V):=U−TS⟹dF=−SdT−pdV
——Helmholtz の自由エネルギーである((c) の付け替え d(TS)=TdS+SdT がそのまま働いている。符号の慣習が力学と逆向き〔U−TS 型〕なのは、U が S の凸関数で最小原理側に立つため)。同様に、圧力を制御したければ V とその傾き −p を替えてエンタルピー Hent=U+pV、両方替えれば Gibbs 自由エネルギー G=U−TS+pV。熱力学ポテンシャルの一覧表は、「どの変数を握って実験するか」に応じて Legendre 変換で持ち替えた同一情報の別表示にすぎない——ここでも情報は一切失われておらず、どのポテンシャルからも他のすべてが復元できる。
凸性の役割も熱力学で生々しくなる。U が S について凸(∂T/∂S=T/C>0、比熱正)でなければ Legendre 変換は可逆でない——つまり熱力学的安定性が、ポテンシャル間の翻訳可能性を保証している。相転移で凸性が破れる(自由エネルギーに直線部分が出る)ところでは変換が一対一でなくなり、Maxwell の等面積則や相共存といった現象がまさにその破れの表現として現れる。また、各ポテンシャルの2階微分の対称性 ∂2F/∂T∂V=∂2F/∂V∂T を読み下すと Maxwell の関係式(∂S/∂V∣T=∂p/∂T∣V など)がただで出る——「1つの関数の混合偏微分」という構造ごと Legendre 変換が運んでくれるからである。
統計力学:分配関数の対数は Legendre 変換の「なめらか版」
★ 他分野に現れる同型(教養)
熱力学の F=U−TS は、統計力学ではどこから来るのか。ミクロカノニカルの状態数 Ω(E)(エントロピー S(E)=kBlnΩ)から出発すると、カノニカル分配関数は
Z(β)=∫dEΩ(E)e−βE=∫dEexp[kBS(E)−βE](β=kBT1)
——eS/kB の Laplace 変換である。ここで系を大きくする(S,E∝N→∞)。指数の肩が N に比例して巨大になるから、積分は肩が最大になる一点 E∗ の近傍だけで決まる(Laplace 法=実軸上の鞍点法;第4章で Airy 関数の漸近形を出したのと同じ技術であり、一般論は数学的手法の教科書の鞍点法の章)。最大の条件と最大値は
∂E∂SE∗=T1,kBTlnZ ≃ Emax[TS(E)−E]=−Emin[E−TS(E)]
すなわち
F(T)=−kBTlnZ(β) N→∞ Emin[E−TS(E)] (7.2.4)
——熱力学の Legendre 変換 F=U−TS は、分配関数という「和」の鞍点評価の影だったのである。有限の N では lnZ は Legendre 変換をゆらぎの分だけなまらせたもの(積分は最大点だけでなく幅 ∼N の近傍を拾う)で、N→∞ で先鋭化して厳密な Legendre 変換に漸近する。「Laplace(Fourier)変換の対数は、指数が大きい極限で Legendre 変換になる」——この一文が、熱力学と統計力学の接続の数学的な要約である(確率論ではこの構造を大偏差原理と呼び、レート関数とキュムラント母関数が Legendre 対をなす——確率数理の教科書で再会する)。
例題 2.1(Laplace 変換の鞍点が Legendre 変換になることを手で確かめる ★)
オリジナル状態数が Ω(E)=CEαN(α,C 定数;単原子理想気体なら α=3/2)で与えられる系について、(1) Z(β) を厳密に計算して F=−kBTlnZ を求め、(2) Legendre 変換 minE[E−TS(E)] と比較して、N→∞ で一致することを示せ。
解答
(1) 厳密計算. ガンマ関数の定義そのもので
Z=∫0∞CEαNe−βEdE=CΓ(αN+1)β−(αN+1).
Stirling の公式 lnΓ(αN+1)≃αNln(αN)−αN(これ自体も Laplace 法の帰結!)を使うと、N に比例する主要部は
F=−kBTlnZ ≃ −αNkBT[ln(αNkBT)−1].
(2) Legendre 変換. S(E)=kBlnΩ=kBαNlnE+const より、ϕ(E):=E−TS(E) の最小は
ϕ′(E∗)=1−E∗kBTαN=0⟹E∗=αNkBT (等分配則!),
ϕ(E∗)=αNkBT[1−ln(αNkBT)]
——(1) と完全に一致する(数値でも確認済み:1粒子あたりの差は N=102 で 8×10−2、N=104 で 10−3 と、O(lnN/N) で消えていく。この残差の正体が Stirling 公式の補正 21ln(2παN)、すなわち鞍点まわりのガウスゆらぎである)。副産物として、鞍点条件が「カノニカル分布で最も効くエネルギー=等分配則のエネルギー」を与えている点も味わってほしい:温度を決めて和を取る(カノニカル)ことと、エネルギーを決めて数える(ミクロカノニカル)ことが、熱力学極限で同じ答えを出す——アンサンブルの等価性そのものが、Legendre 変換の可逆性(=S(E) の凸性)の言い換えなのである。■
量子論:Fourier 変換の停留位相が Legendre 変換
★ WKB との接点(発展)
最後に量子力学に戻る。上の話の「e大きな実の指数 の Laplace 積分」を「ei×大きな位相 の Fourier 積分」に置き換えたものが、そっくりそのまま量子力学に現れる——大きさの役を担うのが 1/ℏ である。
(i) 位置表示 ↔ 運動量表示. WKB 形の波動関数 ψ(x)∼eiS(x)/ℏ を運動量表示に移すと
ψ~(p)=∫dxe−ipx/ℏeiS(x)/ℏ=∫dxei[S(x)−px]/ℏ.
ℏ→0 で停留位相:停留条件は S′(x∗)=p——解析力学の「運動量は作用の傾き」(§7.2.6)が停留条件として再登場し、位相の停留値は S(x∗)−px∗=−maxx[px−S(x)]、すなわち
ψ~(p) ∼ e−iS~(p)/ℏ,S~(p)=(S の Legendre 変換)
——表示の取り替え(Fourier 変換)の半古典極限が、作用の Legendre 変換である(2次の作用 S=ax2/2 ではガウス積分が厳密に実行でき、位相 −p2/2aℏ=Legendre 変換がそのまま出ることを数値でも確認済み)。「位置と運動量」という量子力学の共役対は、半古典の世界では「変数とその傾き」という Legendre の共役対に降りてくる。
(ii) 時間 ↔ エネルギー. 同じことが時間方向でも起きる。§7.2.6 の分離 S(x,t)=W(x)−Et を見直すと、これは「S(t の関数)と W(E の関数)が、共役対 (t,−E) に関する Legendre 対」だと読める:実際 ∂S/∂t=−E と対をなして ∂W/∂E=t(軌道がその点に達する時刻)が成り立つ。量子側の対応物は、時間依存の波動関数と定常状態の間のエネルギーについての Fourier 分解 ψ(x,t)=∫dEe−iEt/ℏφE(x) であり、その停留位相がまさに S=W−Et を返す。統計力学 (7.2.4) と見比べると、
(E,β) の Laplace 変換 β→it/ℏ (E,t) の Fourier 変換
という平行関係(Wick 回転)まで含めて、統計力学の Ω↔Z と量子力学の「定常状態 ↔ 時間発展」は同じ数学の実・虚バージョンである(Z=Tre−βH^ が「虚時間 t=−iℏβ の時間発展の跡」であることは、第10部『開いた量子系と量子情報』の密度行列の議論とつながる)。
(iii) 位相空間経路積分から Lagrangian へ. 第1章の経路積分は、より根源的には位相空間版
∫DxDp exp[ℏi∫(px˙−H(x,p))dt]
で書かれる。各時刻の p 積分を停留位相(H が p の2次ならガウス積分で厳密)で実行すると、停留条件 x˙=∂H/∂p のもとで肩は maxp[px˙−H]=L(x,x˙)——Hamiltonian から Lagrangian への逆 Legendre 変換が、経路積分の p 積分として実行される。前節までの「L↔H」は、量子論では「どの変数で経路の和を取るか」の違いにすぎなかったのである。
Legendre 変換の見取り図——共役対の一覧
| 分野 | Legendre 対(関数) | 共役な変数の組 |
| 力学 | L(x˙) ↔ H(p) | (x˙,p) |
| 力学(H–J) | S(x,t) ↔ W(x,E) | (t,−E) |
| 熱力学 | U(S) ↔ F(T)(他に Hent、G) | (S,T)、(V,−p)、(N,μ) |
| 統計力学 | S(E)/kB ↔ lnZ(β)(N→∞) | (E,β) |
| 確率論 | レート関数 ↔ キュムラント母関数 | 大偏差原理 |
| 量子力学 | S(x) ↔ S~(p)(停留位相) | (x,p):表示の Fourier 変換 |
読み方:下3行の変換は正確には Laplace/Fourier 変換であり、指数の肩が大きい極限(N→∞、ℏ→0)で上3行の厳密な Legendre 変換に落ちる。逆に言えば、Legendre 変換とは「積分変換の鞍点近似」であり、熱力学と古典力学は、統計力学と量子力学のそれぞれ鞍点の影である——有限 N のゆらぎ・有限 ℏ の量子効果が、なまった Legendre 変換の「丸み」に対応する。凸性(力学:m>0/熱力学:比熱正)が変換の可逆性=情報の保存を保証し、凸性の破れが相転移として現象する。
なお、この構造は場の量子論で「生成汎関数 W[J] と有効作用 Γ[φ] が Legendre 対をなす」という形でもう一度主役を張る(外場 J と平均場 φ が共役対)。本節の見取り図を頭に入れておけば、熱力学・統計力学・量子論・場の理論のどこで「max を取って傾きを変数にする」操作に出会っても、同じ一枚の絵の別の切り口だと見抜けるはずである。
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