量子力学入門 第8部 第1章 §8.1.2 ★★★ 一次遷移振幅 cn(t)。
相互作用描像の方程式を、無摂動固有状態 H^0∣ϕn(0)⟩=En(0)∣ϕn(0)⟩ で展開する。Schrödinger 描像の状態を
∣ψ(t)⟩=n∑cn(t)e−iEn(0)t/ℏ∣ϕn(0)⟩
と書く(各項の e−iEn(0)t/ℏ は無摂動の自明な位相)。係数 cn(t) が時間依存性の本質を担い、cn(t)=⟨ϕn(0)∣ψI(t)⟩ に等しい。相互作用描像の方程式に代入し ⟨ϕn(0)∣ を掛けると
iℏc˙n(t)=m∑VnmI(t)cm(t),VnmI(t)≡⟨ϕn(0)∣V^I(t)∣ϕm(0)⟩=⟨ϕn(0)∣V^(t)∣ϕm(0)⟩ei(En(0)−Em(0))t/ℏ
を得る。記号を明確にしておく:肩の I は相互作用描像(Interaction picture)の目印で、VnmI は「素の行列要素 Vnm(t)=⟨ϕn(0)∣V^(t)∣ϕm(0)⟩ に Bohr 振動数の位相 eiωnmt(ωnm=(En(0)−Em(0))/ℏ)を掛け終わったあとの行列要素」である(左右の e±iH^0t/ℏ が固有状態に当たって位相になった)。物理的には、外場の時間依存と準位の自然な位相回転を合成した「遷移を実際に駆動する実効的な揺さぶり」で、両者が釣り合って VnmI の位相がほぼ止まるときが共鳴である。Heisenberg 描像の添字 H(H^ 全体で回した演算子)と対にして、I は「H^0 だけで回した演算子」と覚えるとよい。さて、上の方程式は厳密だがまだ解けていない(cn が右辺にも現れる)。摂動論は、これを積分方程式 cn(t)=cn(t0)−ℏi∑m∫t0tVnmI(t1)cm(t1)dt1 にして逐次代入(反復)する:
時間依存摂動論(Dyson 級数)
cn(t)=cn(t0)−ℏim1∑∫t0tdt1Vnm1I(t1)cm1(t0)+(−ℏi)2m1,m2∑∫t0tdt1∫t0t1dt2Vnm1I(t1)Vm1m2I(t2)cm2(t0)+⋯
「遷移の経路」とは何か. 上の各次の項は、始状態から終状態 ∣n⟩ へ至る摂動を受けた回数と、その途中で経由した状態を表している。具体的に読むと:
- 1次項:始状態 ∣m1⟩ にいた系が、時刻 t1 に摂動 V^I(t1) を一度だけ受けて ∣m1⟩→∣n⟩ と直接飛ぶ。振幅は行列要素 Vnm1I(t1) をあらゆる時刻 t1 で足し上げた(積分した)もの。
- 2次項:系が時刻 t2 にまず ∣m2⟩→∣m1⟩ と飛び、のちの時刻 t1(>t2) に再び蹴られて ∣m1⟩→∣n⟩ と飛ぶ。中間状態 ∣m1⟩ はどの状態でもよいので m1 について和をとり、二度の時刻も積分する。直接は結ばれない準位(Vnm2I=0)へも、中継点 ∣m1⟩ を経由すれば到達できる——これが2次以降が効く典型である。
- k 次項:摂動を k 回受け、∣mk⟩→⋯→∣m1⟩→∣n⟩ と k−1 個の中間状態を渡り歩く経路。
つまり全遷移振幅は、「摂動に何回・いつ蹴られ・どの中間状態を渡ったか」というあらゆる経路の寄与の重ね合わせである(各中間状態の和と各時刻の積分がその「あらゆる」の中身)。時間順序 t≥t1≥t2≥⋯≥t0 は、「後に受けた蹴りほど左に書く」という因果的な並びを表す。この描像は、のちの Feynman 図(頂点=摂動を受けた瞬間、内線=中間状態の伝播)の最も素朴な原型になっている。
補足:時間順序積による閉じた表式。
Dyson 級数は時間順序積(time-ordered product)T を使うと一行に畳める。二つの演算子に対し
T[V^I(t1)V^I(t2)]≡{V^I(t1)V^I(t2)V^I(t2)V^I(t1)(t1≥t2)(t2≥t1)
——「遅い時刻ほど左に並べ直す」操作と定義する(k 個でも同様)。k 次の項の積分領域は単体 t≥t1≥⋯≥tk≥t0 だが、T の中でなら k 個の積分変数を独立に [t0,t] 全体で走らせてよい:立方体 [t0,t]k は変数の大小関係で k! 個の単体に分割でき、T がどの単体でも同じ値を与えるから、全体を k! で割れば単体1個分に一致する。よって
U^I(t)=k=0∑∞k!1T[(−ℏi∫t0tV^I(t′)dt′)k]=Texp(−ℏi∫t0tV^I(t′)dt′)
V^I が時間に依らない場合や異なる時刻どうしで可換な場合は T が外れ、ただの指数関数(1次元なら exp(−ℏi∫VIdt′))に退化する。Texp は非可換な生成子をもつ時間発展の最も一般的な形式解であり、場の量子論の摂動展開はこの式から出発する。
これが1次の遷移振幅の公式である。ただし抽象的なままでは手が動かないので、実戦で毎回なぞる手順を定石として固めておく。その前に、1次の遷移振幅 cf(1) がなぜあの積分の形になるのかを一段ずつ確かめる。
出発点は、前節で導いた厳密な係数の方程式
iℏc˙n(t)=m∑VnmI(t)cm(t)
である。これはまだ近似を含まない(cn が右辺にも現れるので閉じていない)。ここで摂動論の発想を入れる:V^ が小さければ、係数は初期値からほとんど動かない。始状態 ∣i⟩ から出発した(cm(0)=δmi)とし、右辺の cm(t) をゼロ次の値 cm(0)=δmi で近似する(これが「1次」の意味——右辺を初期値で置き換える)。すると終状態 f=i の成分について、和が m=i の一項だけに潰れて
iℏc˙f(1)(t)=m∑VfmI(t)δmicm(0)=VfiI(t).
右辺が既知の関数(H^0 の固有状態で挟んだ行列要素)になったので、あとは時間で積分するだけ。cf(1)(0)=0(最初は ∣f⟩ にいない)を初期条件として
cf(1)(t)=iℏ1∫0tVfiI(t1)dt1=−ℏi∫0tVfiI(t1)dt1.
最後に VfiI(t1)=⟨f∣V^(t1)∣i⟩eiωfit1(前節の相互作用描像の行列要素、ωfi=(Ef(0)−Ei(0))/ℏ)を代入すれば、定石ボックスの公式そのものになる。
要点は三つ。(i) 「1次」とは、厳密な連立方程式の右辺に現れる cm を無摂動の初期値で置き換えることに尽きる(次数を上げるとは、右辺に1次の cm(1) を入れて2次を作る、という反復である——これが前節の Dyson 級数)。(ii) その置き換えで右辺が既知関数になるから、微分方程式がただの積分に化ける。(iii) 積分の中身に現れる位相 eiωfit1 こそが、遷移が起こるかどうかを決める(外場の振動と釣り合えば積分が大きく育ち、ずれれば激しく振動して打ち消し合う——次項の共鳴)。
定石:1次の遷移確率
始状態 ∣i⟩(cm(t0)=δmi)から終状態 ∣f⟩=∣i⟩ への遷移振幅は、Dyson 級数の1次で
cf(1)(t)=−ℏi∫t0t⟨f∣V^(t1)∣i⟩eiωfit1dt1 ,ωfi≡ℏEf(0)−Ei(0) (Bohr 振動数),
遷移確率は Pi→f(t)=∣cf(1)(t)∣2。手順は毎回同じ4段:
- Step 0. 無摂動固有状態・固有値を整理し、問題の遷移の ωfi を書く。
- Step 1. 行列要素 ⟨f∣V^(t)∣i⟩ を計算する(ここで選択則が働き、どの遷移が生き残るかが決まる)。
- Step 2. 位相 eiωfit を掛けて VfiI(t) を作る。
- Step 3. 時間で積分し、絶対値の2乗をとる。
Step 2 の位相 eiωfit は何者か. 定石の心臓は Step 2 で掛ける Bohr 振動数の位相なので、その素性を押さえておく。この位相は、相互作用描像に移る操作から機械的に生じる。§1.2 で状態を ∣ψ(t)⟩=∑ncn(t)e−iEn(0)t/ℏ∣ϕn(0)⟩ と、各準位の自然な位相回転 e−iEn(0)t/ℏ を分離して書いた(定常状態は E/ℏ の速さで位相が回る、という§8.0.2)。遷移振幅の方程式を作ると、VfiI には終状態のブラから e+iEf(0)t/ℏ、始状態のケットから e−iEi(0)t/ℏ が出て掛かり、
e+iEf(0)t/ℏe−iEi(0)t/ℏ=ei(Ef(0)−Ei(0))t/ℏ=eiωfit
となる。すなわち ωfi は始・終状態の位相回転の速さの差——二準位が別々の速さ Ef(0)/ℏ, Ei(0)/ℏ で回るときのうなり(ビート)の振動数である(§8.0.2の2準位ビート cos2ℏ(E1−E0)t と同じもの)。名前は Bohr の振動数条件 ℏω光=∣Ef−Ei∣(遷移で放出・吸収される光の振動数)に由来する。
時間に依存しない摂動論との関係. ここが要である。時間非依存摂動論が決める静的な準位差 Ef(0)−Ei(0) が、時間依存摂動論では遷移振動数 ωfi という時間の言葉に翻訳される。両者の役割分担は明快だ——時間非依存摂動論は系のスペクトル(準位そのもの)を決め、時間依存摂動論はその準位間の遷移を記述する。そして ωfi が両者をつなぐ蝶番になる。実際 Step 3 の積分 ∫Vfieiωfit1dt1 で、外場が振動数 ω で揺さぶると位相は ei(ωfi∓ω)t1 となり(次項の離調 Δ)、外場を静的な準位差に合わせた ℏω=∣Ef(0)−Ei(0)∣ のとき積分が打ち消し合わずに大きく育つ——これが共鳴である。静的なスペクトル(時間非依存が与える準位)が、動的な遷移(時間依存が与える確率)を通じて観測されるという構図で、後述の Rabi の共鳴条件 ℏω=2μBB0=E+−E− もその一例にほかならない。
Step 3 で最もよく現れるのが単色摂動——行列要素が単一振動数で回る ⟨f∣V^(t)∣i⟩=ve∓iωt の場合——である。このとき VfiI(t)=veiΔt、ただし
Δ≡ωfi∓ω(離調:駆動振動数と準位間隔のずれ)
となり、Step 3 の積分は初等的に実行できる:
∫0teiΔt1dt1=iΔeiΔt−1=eiΔt/2⋅iΔeiΔt/2−e−iΔt/2=eiΔt/2Δ2sin(Δt/2).
(2番目の等号で eiΔt/2 をくくり出して指数の差を sin に畳むのが定石の変形。)先頭の位相因子は絶対値で消えるので、
Pi→f(t)=ℏ2Δ24∣v∣2sin22Δt
という単色摂動の万能公式に到達する。読み方:時刻 t を固定して Δ の関数と見ると、共鳴 Δ=0 に高さ ∣v∣2t2/ℏ2 の鋭いピークをもち、その幅は ∼2π/t。時間 t の観測はエネルギー差を ℏ/t 程度までしか分解できないという、エネルギーと時間の不確定性の現れである。有効条件は摂動論の大前提 ∣c(1)∣≪1:離調が大きければ ∣v∣≪ℏ∣Δ∣ でいつまでも成立するが、共鳴上では t≪ℏ/∣v∣ の短時間に限られる(この破れ方は磁気共鳴の例で厳密解と突き合わせて精密に見る)。
以下の例題で、この定石を「厳密に解ける模型」に適用し、摂動論の各次数が厳密解のどの部分を再現するかを確かめる。
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