相対エントロピーから情報と物理を組み立てる 第4部 第1章 §4.1.3 ★★★ Sekimoto の定義:仕事は設定を動かしたことによるエネルギーの変化、熱は液体の力が粒子にした仕事。1本の軌道ごとに第一法則 ΔU=Q+W が厳密に成り立つ
Sekimoto の熱と仕事
マクロな熱力学では、仕事は外から変えるパラメータ(体積など)を通じて系に入るエネルギー、熱はそれ以外の経路で熱浴から入るエネルギーである。Sekimoto は、この区別を Langevin 方程式の1本の軌道 x(t) の上にそのまま持ち込んだ(K. Sekimoto (1997), J. Phys. Soc. Jpn. 66, 1234;K. Sekimoto (1998), Prog. Theor. Phys. Suppl. 130, 17)。
粒子のエネルギーは U(x(t),λt) である。これが変わる原因は2つある。設定 λ を人が動かすこと(粒子が動かなくても U が変わる)と、粒子が動くこと(設定を止めても U が変わる)である。前者を仕事、後者を熱と呼ぶ。後者が熱と呼べるのは、粒子を動かしているのが液体の力だからで、式 (4.1.1) から液体が粒子に及ぼす力の合計 −γx˙+ξ は ∂xU に等しい。
定義 4.1.2(1本の軌道の仕事と熱)
時刻 0 から tf までの軌道 x(⋅) と設定の変え方 λt(プロトコルと呼ぶ)について
W[x]:=∫0tf∂λU(x(t),λt)λ˙tdt,Q[x]:=∫0tf∂xU(x(t),λt)∘dx(t)=∫0tf(−γx˙+ξ)∘dx(4.1.11)
と定める。W は系がされた仕事、Q は系が液体から受け取った熱である。∘ は Stratonovich の積(区間の中点で被積分関数を評価する積)を表す。
Stratonovich の積では普通の微積分の連鎖律がそのまま成り立つので、dU=∂xU∘dx+∂λUdλ から
U(x(tf),λtf)−U(x(0),λ0)=Q[x]+W[x](4.1.12)
が軌道ごとに成り立つ。これが1本の軌道の第一法則である。W[x] も Q[x] も軌道ごとに違う値をとる確率変数で、平均をとったものがマクロな熱と仕事になる。液体の側から見ると、液体は粒子に Q だけのエネルギーを渡したので、液体のエネルギーは −Q 変わり、液体のエントロピーは(液体を温度 T の大きな熱浴とみなして)−Q/T 変わる。
平均の熱の流れは、確率の流れで書ける。Stratonovich の積の平均は ⟨∂xU∘x˙⟩=∫∂xUjdx になるので
⟨W˙⟩=∫∂λUλ˙pdx,⟨Q˙⟩=∫∂xUjdx(4.1.13)
である。2つ目は、Fokker–Planck 方程式 (4.1.2) を使って dtd⟨U⟩=⟨W˙⟩+∫U∂tpdx=⟨W˙⟩−∫U∂xjdx を部分積分したものと一致する。平均の第一法則 dtd⟨U⟩=⟨W˙⟩+⟨Q˙⟩ も成り立つ。
積の取り方を間違えると何が起きるか
式 (4.1.11) で Stratonovich の積を指定したのは、乱雑な力を含む積分では、被積分関数を区間のどこで評価するかで答えが変わるからである。区間の始点で評価する Itô の積 ∂xU⋅dx を使うと、Itô の公式 dU=∂xU⋅dx+γkBT∂x2Udt+∂λUdλ から
∫∂xU⋅dx=Q[x]−γkBT∫∂x2Udt(4.1.14)
となり、第一法則 (4.1.12) が右辺の第2項の分だけ破れる。dx の2乗の平均が dt の1次(2kBTdt/γ)であることによって、この余分な項が現れる。Itô の積は確率過程の計算には便利だが、熱を定義するときは、エネルギーの保存を軌道ごとに保つ Stratonovich の積を使う。
例題 4.1.3 平衡にある粒子の熱の流れ ★★
オリジナル調和ばね U=2k(x−λ)2 の設定を止め、粒子は平衡分布 πλ にあるとする。
- (1) Stratonovich の積で定義した熱の平均の流れ ⟨Q˙⟩ が0であることを示せ。
- (2) Itô の積で同じ量を計算するとどうなるか。例題 4.1.1 の粒子で数値を求めよ。
解答
(1) 平衡分布では式 (4.1.4) の j がどこでも0なので、式 (4.1.13) から ⟨Q˙⟩=0 である。Stratonovich の積を短い時間で書くと ∂xU∘dx=∂xU⋅dx+21∂x2U(dx)2 で、⟨∂xU⋅dx⟩=−γ1⟨(∂xU)2⟩dt=−γk2σeq2dt=−γkkBTdt、⟨21∂x2U(dx)2⟩=21k⋅γ2kBTdt=γkkBTdt なので、和は確かに0である。粒子は液体に熱を渡したり受け取ったりしているが、平均すると出入りは釣り合っている。
(2) Itô の積だけを残すと ⟨Q˙⟩Itoˆ=−kkBT/γ=−kBT/τr になる。例題 4.1.1 の粒子ではkBT/τr=4.14×10−21/1.88×10−2=2.20×10−19W、つまり毎秒 53kBT の熱が平衡にある粒子から液体へ流れ続けることになる。平衡の粒子のエネルギーは一定(平均 kBT/2)なので、これはエネルギーの保存と矛盾し、Itô の積が熱の定義として誤りであることを示している。
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