相対エントロピーから情報と物理を組み立てる 第4部 第1章 §4.1.1 ★★★ 過減衰の Langevin 方程式と Fokker–Planck 方程式を置き、D(pt∥πλt) が非平衡の自由エネルギーの余り (F[pt]−Feq)/kBT に等しいことを確かめる
水の中に浮かぶ直径 1μm ほどの粒子を光で作ったばね(光ピンセット)でとらえると、粒子は熱運動で絶えず揺れる。ばねの位置や強さを人が動かすと、粒子にはそのたびに仕事がなされ、粒子は水と熱をやりとりする。こうした小さな系では、1回ごとの仕事や熱が揺らぎと同じ大きさを持つので、熱力学の量を平均だけでなく1本の軌道ごとに定義する必要がある。この章は、その定義(確率熱力学、または確率エネルギー論と呼ばれる)を Langevin 方程式の上で組み立て、平均をとったときに第二法則がどの形で出るかを、この巻の背骨である相対エントロピー D で書く。
比べる2つの分布は、時刻 t の粒子の位置の分布 pt と、そのときのばねの設定 λt で決まる平衡分布 πλt である。第1節で模型と2つの分布を置き、D(pt∥πλt) が非平衡の自由エネルギーの余りであることを確かめる。第2節で、設定を止めたとき D が単調に減り、減る速さがエントロピー生成の速さに等しいことを示す(当てる性質は第1部第1章のデータ処理不等式の、連続時間の形である)。出てくるものは3つある。1本の軌道の第一法則(Sekimoto の熱と仕事)、平均の第二法則 ⟨W⟩−ΔF=kBT[ΔD+⟨Σ⟩]、そして有限の時間で操作するときに避けられない余分な仕事の下限である。最後に、授業で習う Langevin 方程式・Einstein の関係・Clausius の不等式・最大仕事の原理と並べる。
エントロピーの対数は自然対数で単位は nat、エントロピー生成 Σ は kB を単位とする無次元の量とする。この巻の約束どおり p,π は確率分布に取っておき、粒子の位置は x と書く。W は系がされる仕事、Q は系が受け取る熱で、どちらも正の向きをこの向きに取る。定義には記号 := を使う。
過減衰の Langevin 方程式
位置 x の粒子が、外から設定できるパラメータ λ を持つポテンシャル U(x,λ) の中にいて、温度 T の液体に浸かっているとする。光ピンセットなら U(x,λ)=2k(x−λ)2 で、λ はばねの中心、k はばねの強さである。液体は粒子に2種類の力を及ぼす。速度に比例する摩擦 −γx˙ と、分子の衝突による乱雑な力 ξ(t) である。ここで γ は摩擦係数(単位 kgs−1)で、半径 a の球が粘性率 η の液体の中を動くときは Stokes の式 γ=6πηa で与えられる。
粒子の質量を M とすると Newton の運動方程式は Mx¨=−∂xU−γx˙+ξ である。速度が摩擦で落ち着くまでの時間 M/γ が、ばねの中で位置が落ち着くまでの時間 γ/k よりはるかに短いときは、慣性の項 Mx¨ を落としてよい(例題 4.1.1 で数値を見る)。これを過減衰の極限と呼び、残る式は
γx˙=−∂xU(x,λt)+ξ(t),⟨ξ(t)⟩=0,⟨ξ(t)ξ(s)⟩=2γkBTδ(t−s)(4.1.1)
である。乱雑な力の強さ 2γkBT は自由に選べる量ではない。振動子の集まりでできた熱浴を Hamiltonian に含めて消去すると、摩擦と乱雑な力の両方がそろって出てきて、両者の比が kBT に固定される(解析力学から様々な理論分野を組み立てる 第3部第9章)。この章ではその結果を借りる。強さを 2γkBT にしておかないと、粒子の分布が平衡分布に落ち着かないことは、あとで式 (4.1.4) から分かる。
式 (4.1.1) の ξ は時間について相関を持たない(白色雑音)。現実の液体の衝突には 10−13s 程度の記憶があるが、観測する時間の刻みがそれより十分長ければ、記憶を0とみなしてよい。
近似の裏付け
型 B(極限) | 小さいもの Mk/γ2→0(速度の緩和時間 M/γ と位置の緩和時間 γ/k の比) | 証明 要確認(位置の軌道が過減衰の式の解に近づくことは Smoluchowski–Kramers の近似として知られるが、前提を原典で照合していない) | 行き先 近似の数理 第7章
近似の裏付け
型 B(極限) | 小さいもの 1/(ωcτr)→0(熱浴の遮断周波数 ωc と観測の時間 τr の積が大きい) | 証明 条件付き(熱浴が調和振動子の集まりで、スペクトル密度が Ohm 型のとき。解析力学から様々な理論分野を組み立てる 第3部第9章で導いた) | 行き先 近似の数理 第7章
分布の時間発展:Fokker–Planck 方程式
同じ準備をした粒子を何度も放したときの位置の分布を p(x,t) と書く。p は次の Fokker–Planck 方程式に従う。
∂t∂p=−∂x∂j,j(x,t):=−γ1∂xU(x,λt)p−γkBT∂xp.(4.1.2)
j は確率の流れで、第1項は力に押されて流れる分、第2項は乱雑な力で濃い所から薄い所へ広がる分である。第2項の係数 kBT/γ が拡散の速さを表す。式 (4.1.2) は、確率が湧いたり消えたりせず、流れ j で運ばれるだけであることを表す連続の式の形をしている。導き方は標準的で、短い時間 dt のあいだの変位 dx の平均 −∂xUdt/γ と分散 2kBTdt/γ から、分布の変化を dt の1次まで求めればよい。
ばねの設定を λ に止めたときの平衡分布は Boltzmann 分布
πλ(x):=Z(λ)e−βU(x,λ),Z(λ)=∫e−βU(x,λ)dx,Feq(λ)=−kBTlnZ(λ)(4.1.3)
である(β=1/kBT)。lnπλ=−βU+βFeq なので ∂xlnπλ=−β∂xU で、流れの式は
j=−γkBTp∂xlnπλp(4.1.4)
と書き直せる。p=πλ なら流れはどこでも0で、πλ は確かに止まった分布になる。乱雑な力の強さを 2γkBT 以外の値にすると、式 (4.1.2) の第2項の係数が変わり、止まる分布が e−βU からずれる。これが前の節で「強さは自由に選べない」と書いた理由である。
2つの分布の D と非平衡の自由エネルギー
比べる2つの分布は、今の分布 pt と、今の設定での平衡分布 πλt である。その相対エントロピーを
D(pt∥πλt)=∫p(x,t)lnπλt(x)p(x,t)dx(4.1.5)
と書く。連続の分布の D は長さの単位の取り方によらず、D≥0 で等号は pt=πλt のときに限る(第2部第4章)。任意の分布 p の自由エネルギーを、第1部第1章と同じく
F[p,λ]:=⟨U(⋅,λ)⟩p−kBTH(p),H(p)=−∫plnpdx(4.1.6)
と定めると、lnπλ=−βU+βFeq(λ) を式 (4.1.5) に入れるだけで
F[p,λ]−Feq(λ)=kBTD(p∥πλ)(4.1.7)
が出る(第1部第1章・第2部第2章 の Gibbs の変分原理を、連続の位置の分布で書いたもの)。H(p) は連続の分布では長さの単位で定数だけずれるが、そのずれは Feq の中の lnZ のずれと打ち消し合い、差の式 (4.1.7) には残らない。
調和ばね U=2k(x−λ)2 では、平衡分布は平均 λ・分散 σeq2=kBT/k の正規分布である。今の分布も平均 m・分散 σ2 の正規分布なら、s:=σ2/σeq2 として
D(p∥πλ)=平均のずれ2kBTk(m−λ)2+幅のずれ21(s−1−lns)(4.1.8)
になる。この章の例はすべて調和ばねで、分布は正規分布のまま動くので、D はこの2項で書ける。2項目の関数 21(s−1−lns) は s=1 で0になり、s=1 の近くで 41(s−1)2 のようにふるまう。
例題 4.1.1 光ピンセットの中のコロイド粒子 ★★
オリジナル半径 a=1.0μm・密度 1.05×103kgm−3 の球が、粘性率 η=1.0×10−3Pas の水の中で、強さ k=1.0×10−6Nm−1 の調和ばねにとらえられている。温度は T=300K とする。
- (1) 摩擦係数 γ、質量 M、速度の緩和時間 M/γ、位置の緩和時間 τr:=γ/k を求め、過減衰の極限が使えることを確かめよ。
- (2) 平衡分布の幅 σeq=kBT/k を求めよ。
- (3) 粒子の分布が平均 λ+σeq・分散 2σeq2 の正規分布であるとき、D(p∥πλ) と自由エネルギーの余り F[p]−Feq を求めよ。
解答
(1) Stokes の式で γ=6πηa=6π×1.0×10−3×1.0×10−6=1.88×10−8kgs−1 である。質量は M=34πa3×1.05×103=4.40×10−15kg で、M/γ=2.33×10−7s である。位置の緩和時間は τr=γ/k=1.88×10−2s で、比は (M/γ)/τr=1.24×10−5 である。速度は位置が少しでも動く前に何万回も熱平衡の値に落ち着くので、位置の運動だけを見る限り慣性は無視してよい。
(2) kBT=1.381×10−23×300=4.14×10−21J なので σeq=4.14×10−21/1.0×10−6=6.44×10−8m、つまり約 64nm である。粒子の半径の 1/15 ほどの範囲で揺れている。
(3) 式 (4.1.8) で、平均のずれの項は kσeq2/(2kBT)=1/2、幅のずれの項は s=2 で 21(2−1−ln2)=0.153 である。合わせて D=0.653 nat で、自由エネルギーの余りは kBT×0.653=2.71×10−21J である。この量は、第2部第2章で見たとおり、ばねを適切に操作すればこの非平衡の分布から取り出せる仕事の上限になる。
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