相対エントロピーから情報と物理を組み立てる 第2部 第2章 §2.2.1 ★★★ 比べる相手を Gibbs 分布に選ぶと、相対エントロピーに kBT を掛けたものが自由エネルギーの余りになる。大正準・量子でも同じ形
前の章(第2部第1章)では、平均エネルギーだけが分かっているときに最も偏りの少ない分布として Gibbs 分布を選んだ。そこでは平均エネルギーを決めてエントロピーを最大にした。この章では向きを変え、温度を決めて自由エネルギーを最小にする。序章(第1部第1章)で示したとおり、任意の分布 p について
F[p]−Feq=kBTD(p∥peq)≥0
が成り立ち、自由エネルギーは Gibbs 分布でただ1つの最小値をとる。これが Gibbs の変分原理である。この章では、この1本の式から何が引き出せるかを順に確かめる。
2.2.1節では、比べる2つの分布を整理し、粒子数が出入りする系(大正準)と量子系へ式を広げる。2.2.2節では、相対エントロピーの凸性と、Gibbs 分布の族に対して成り立つ Pythagoras の分解を示す。この分解によって、前の章の最大エントロピー原理とこの章の自由エネルギー最小の原理が、1つの恒等式の2つの項として並ぶ。2.2.3節から2.2.5節は出てくるものである。2.2.3節では、自由エネルギーの余り kBTD が熱浴と接した系から取り出せる仕事の上限であることを示し、上限に達する操作を具体的に作る。2.2.4節では、試す分布を独立な分布に限ると平均場近似になり、その誤差が kBT と相対エントロピーの積で測れることを示す。2.2.5節では、温度の違う2つの Gibbs 分布の相対エントロピーを計算し、その2次の係数が熱容量であることを示す。2.2.6節で統計力学の授業で習う Gibbs–Bogoliubov の不等式・Weiss の平均場・Landau の展開との対応を並べ、2.2.7節でまとめる。この章ではエントロピーの対数を自然対数とし、kBH(p) を Gibbs のエントロピーとして使う。
非平衡の自由エネルギー
温度 T の熱浴と接した系が、エネルギー Ei の状態 i をとるとする。β=1/(kBT) とおき、Gibbs 分布と平衡の自由エネルギーを
peq(i)=Ze−βEi,Z=i∑e−βEi,Feq=−kBTlnZ(2.2.1)
と書く。平衡でない任意の分布 p についても、平均エネルギーと Gibbs のエントロピーから
F[p]=⟨E⟩p−kBTH(p),⟨E⟩p=i∑p(i)Ei,H(p)=−i∑p(i)lnp(i)(2.2.2)
と自由エネルギーを定める。F[p] は分布を入れて数を返すので、汎関数として角括弧で書く。これを非平衡の自由エネルギーと呼ぶ。lnpeq(i)=−βEi−lnZ を D(p∥peq)=∑ip(i)lnp(i)−∑ip(i)lnpeq(i) に入れると
F[p]−Feq=kBTD(p∥peq)(2.2.3)
を得る。この計算は序章で行ったものと同じである。
定理 2.2.1(Gibbs の変分原理 ★★★)
温度 T を決めたとき、すべての分布 p について F[p]≥Feq が成り立ち、等号は p=peq のときだけ成り立つ。すなわち
Feq=−kBTlnZ=pminF[p]
で、最小を与える分布は Gibbs 分布 (2.2.1) ただ1つである。
証明
式 (2.2.3) の右辺は相対エントロピーの非負性(序章の定理)から 0 以上で、0 になるのは p=peq のときだけである。
この定理には2つの読み方がある。1つは、分配関数を計算する代わりに F[p] を最小にすれば Feq が求まる、という計算の方法としての読み方である。最小化を全部の分布の上で行えば答えは厳密に Gibbs 分布になる。最小化を扱いやすい分布の族に限れば、Feq の上界が得られる。これが2.2.4節の平均場近似である。もう1つは、F[p]−Feq を「平衡から離れていることの量」と読む読み方である。2.2.3節では、この量がちょうど取り出せる仕事の上限になることを示す。
F[p] の定義 (2.2.2) は、熱力学の F=U−TS の U を平均エネルギーに、S を Gibbs のエントロピー kBH(p) に置き換えたものである。平衡でない分布に温度 T を割り当てているわけではない。T は熱浴の温度で、系の分布 p とは別に決まっている。この区別は2.2.2節の Pythagoras の分解で、もう1つの温度 T∗ が出てくるときに大事になる。
粒子数が出入りする系
系が熱浴とエネルギーだけでなく粒子もやりとりし、熱浴の化学ポテンシャルが μ のとき、状態 i の粒子数を Ni として
peq(i)=Ξe−β(Ei−μNi),Ξ=i∑e−β(Ei−μNi),Ωeq=−kBTlnΞ(2.2.4)
が平衡の分布とグランドポテンシャルである。式 (2.2.2) の E を E−μN に置き換えて Ω[p]=⟨E−μN⟩p−kBTH(p) と定めると、同じ計算で
Ω[p]−Ωeq=kBTD(p∥peq)≥0(2.2.5)
が出る。比べる相手が「その熱浴と釣り合う Gibbs 分布」であれば、熱浴が何をやりとりするかによらず同じ形になる。一般に、熱浴とやりとりする量が f1,…,fK で、それぞれに β を掛けた共役な量が λ1,…,λK なら、比べる相手は e−∑kλkfk/Z(λ) の形の分布になる。前の章の最大エントロピー原理で、平均を決めた量の数だけ未定乗数が現れたことと対応している。
例題 2.2.1 吸着サイトの占有率を変分で決める ★★
オリジナル表面の1つのサイトに分子が1個まで吸着できる。空のときのエネルギーを 0、吸着したときのエネルギーを −εad(εad>0)とする。サイトは温度 T・化学ポテンシャル μ の気体と接している。サイトが占有されている確率を θ とする。
- (1) Ω を θ の関数として書き、最小にする θ を求めよ。
- (2) β(εad+μ)=ln3 のとき、最小の θ と Ωeq を求めよ。占有率を θ=1/2 に固定したときの Ω−Ωeq を kBT 単位で求め、相対エントロピーと一致することを確かめよ。
解答
(1) 占有のとき E−μN=−εad−μ、空のとき 0 なので
Ω(θ)=−(εad+μ)θ+kBT[θlnθ+(1−θ)ln(1−θ)].
θ で微分して 0 とおくと −(εad+μ)+kBTln1−θθ=0 なので
θ=e−β(εad+μ)+11.
2階微分は kBT/(θ(1−θ))>0 なので最小である。これは式 (2.2.4) の占有の確率そのもので、Fermi 分布と同じ形をしている(1つのサイトに2個入れないことが Pauli の原理と同じ役をする)。
(2) e−β(εad+μ)=1/3 なので θ=3/4。Ξ=1+3=4 から Ωeq=−kBTln4≈−1.386kBT。θ=1/2 では Ω(1/2)=−21kBTln3−kBTln2 なので
Ω(1/2)−Ωeq=kBT(ln4−ln2−21ln3)=21kBTln34≈0.1438kBT.
一方、D((21,21)∥(43,41))=21ln3/41/2+21ln1/41/2=21ln34 で、式 (2.2.5) のとおり一致する。
量子系
量子系では、分布の代わりに密度行列 ρ^ を使い、F[ρ^]=Tr(ρ^H^)−kBTS(ρ^) と定める。S(ρ^)=−Tr(ρ^lnρ^) は von Neumann エントロピーである。Gibbs 状態 ρ^eq=e−βH^/Z について lnρ^eq=−βH^−lnZ が演算子として成り立つので、古典と同じ計算で
F[ρ^]−Feq=kBTD(ρ^∥ρ^eq),D(ρ^∥σ^)=Trρ^(lnρ^−lnσ^)(2.2.6)
を得る。右辺が負にならないこと(Klein の不等式)は 第3部第2章 で示す。
重ね合わせの持つ自由エネルギー
エネルギーの固有基底 B で ρ^ の非対角成分を 0 にしたものを ΔB(ρ^) と書く(第3部第2章の式 (3.2.15) で一般の基底について定義し、下の分解は式 (3.2.26) として証明する)。ρ^eq はこの基底で対角なので Trρ^lnρ^eq=TrΔB(ρ^)lnρ^eq となり、
D(ρ^∥ρ^eq)=D(ΔB(ρ^)∥ρ^eq)+[S(ΔB(ρ^))−S(ρ^)]
と分かれる。第1項は占有確率だけで決まる古典の部分、第2項は重ね合わせ(コヒーレンス)の分である。例題 2.2.1 と同じ (3/4,1/4) の Gibbs 状態に対し、占有確率 (1/2,1/2) の混合状態では D=21ln34≈0.144、同じ占有確率を持つ純粋状態 (∣0⟩+∣1⟩)/2 では D=21ln316≈0.837 で、差はちょうど ln2 である。
AI(Claude)が書いた教材を、木下が勉強しながら公開しています。式と数値は検算していますが、誤りが残っているかもしれません。誤りのご指摘・削除のご依頼をいただければ直します。 連絡先:support@tecktom.com