相対エントロピーから情報と物理を組み立てる 第1部 第1章 §1.1.1 ★★★ 巻を通す量 D ( p ∥ q ) D(p\,\|\,q) D ( p ∥ q ) を定義し、「p p p が正しいとき、q q q と見分ける手がかりが1回の観測あたりどれだけあるか」と読む
情報理論は Shannon エントロピーから、統計学は尤度から、統計力学は分配関数から、熱力学は第二法則から、それぞれ別の出発点で始まる。この巻では、これらを1つの量の別々の使い方として読み直す。その量は2つの確率分布 p p p , q q q の相対エントロピー
D ( p ∥ q ) = ∑ x p ( x ) ln p ( x ) q ( x ) D(p\,\|\,q)=\sum_xp(x)\ln\frac{p(x)}{q(x)} D ( p ∥ q ) = x ∑ p ( x ) ln q ( x ) p ( x )
である。分野ごとに違うのは、どの2つの分布を比べるかであり、使う性質は「D D D は負にならない」と「同じ確率的な処理を両方に施すと D D D は増えない」の2つでほぼ尽きる。相対エントロピーは Kullback–Leibler ダイバージェンス(KL ダイバージェンス)とも呼ぶ。
この章は巻全体の構成を示す。1.1.1節で D D D を定義し、何を測る量なのかを硬貨の例で確かめる。1.1.2 節では、巻を通して使う2つの性質、非負性とデータ処理不等式を証明する。どちらも証明は数行で済む。1.1.3 節と1.1.4 節では、比べる分布を選ぶと何が出てくるかを2つの方向で示す。1.1.3 節は情報理論と統計学の方向で、Shannon エントロピー・相互情報量・Fisher 情報がどれも D D D の特別な場合になることを確かめる。1.1.4 節は統計力学と熱力学の方向で、自由エネルギーの余りが k B T D k_{\mathrm B} T\,D k B T D に等しいこと、熱浴と接した系の緩和で D D D が減ることが第二法則の1つの姿であることを示す。1.1.5 節では巻の7部46章の並びと記号の約束を述べ、1.1.6 節で授業や資格の勉強で習った形との対応を並べ、1.1.7 節でまとめる。細かい導出は第1部の後の章で行うので、この章では結果を先に借りる所がある。借りた所には、どの章で示すかを書き添える。
定義
有限個の値をとる確率変数 X X X を考え、その値の集合を X \mathcal X X とする。X \mathcal X X の上の2つの確率分布 p p p , q q q について、
D ( p ∥ q ) = ∑ x ∈ X p ( x ) ln p ( x ) q ( x ) (1.1.1) D(p\,\|\,q)=\sum_{x\in\mathcal X}p(x)\ln\frac{p(x)}{q(x)}\tag{1.1.1} D ( p ∥ q ) = x ∈ X ∑ p ( x ) ln q ( x ) p ( x ) ( 1.1.1 )
を p p p の q q q に対する相対エントロピー と呼ぶ1 1 S. Kullback and R. A. Leibler (1951), Ann. Math. Statist. 22, 79–86。 。和は p ( x ) > 0 p(x)>0 p ( x ) > 0 の x x x についてだけとる(0 ln 0 = 0 0\ln0=0 0 ln 0 = 0 と約束する)。p ( x ) > 0 p(x)>0 p ( x ) > 0 なのに q ( x ) = 0 q(x)=0 q ( x ) = 0 となる x x x があれば D ( p ∥ q ) = + ∞ D(p\,\|\,q)=+\infty D ( p ∥ q ) = + ∞ とする。対数は自然対数で、単位は nat である。ビットで述べたいときは ln 2 \ln 2 ln 2 で割る(1 ビット = ln 2 =\ln2 = ln 2 nat)。
式 (1.1.1) は、対数尤度比 ln ( p ( X ) / q ( X ) ) \ln\bigl(p(X)/q(X)\bigr) ln ( p ( X ) / q ( X ) ) を X ∼ p X\sim p X ∼ p で平均したもの
D ( p ∥ q ) = ⟨ ln p ( X ) q ( X ) ⟩ p (1.1.2) D(p\,\|\,q)=\langle \ln\frac{p(X)}{q(X)} \rangle _p\tag{1.1.2} D ( p ∥ q ) = ⟨ ln q ( X ) p ( X ) ⟩ p ( 1.1.2 )
と読むことができる。X X X を1回観測したとき、その値が分布 p p p から出たとする仮説と q q q から出たとする仮説のどちらをどれだけ支持するかは、尤度の比 p ( x ) / q ( x ) p(x)/q(x) p ( x ) / q ( x ) で測る。対数をとっておくと、独立な n n n 回の観測の対数尤度比は1回ごとの和になる。したがって、本当の分布が p p p のとき、n n n 回の観測で積み上がる対数尤度比の平均は n D ( p ∥ q ) nD(p\,\|\,q) n D ( p ∥ q ) である。D ( p ∥ q ) D(p\,\|\,q) D ( p ∥ q ) は「p p p が正しいとき、q q q と見分ける手がかりが観測1回あたり平均でどれだけ得られるか」を表す量である。
非対称であること
式 (1.1.1) は p p p と q q q について対称でなく、一般に D ( p ∥ q ) ≠ D ( q ∥ p ) D(p\,\|\,q)\neq D(q\,\|\,p) D ( p ∥ q ) = D ( q ∥ p ) である。平均をとる分布が左の引数なので、「本当はどちらなのか」という前提が入れ替わると値が変わる。図 1.1.1 は、表の出る確率が x x x の硬貨 B e r n ( x ) \mathrm{Bern}(x) Bern ( x ) と公平な硬貨 B e r n ( 1 / 2 ) \mathrm{Bern}(1/2) Bern ( 1/2 ) について、2つの向きの D D D を比べたものである。公平な硬貨が本当のときは、x x x が 0 0 0 や 1 1 1 に近い硬貨とは、一方の面が出た瞬間にほぼ見分けがつくので D D D が大きくなり、x → 0 x\to0 x → 0 で発散する。逆に、偏った硬貨が本当のときは、ほとんど同じ面ばかり出て、公平な硬貨でも同じ面が続くことはあるので、見分ける手がかりは1回あたり ln 2 \ln 2 ln 2 を超えない。
図 1.1.1 相対エントロピーの2つの向き。青(丸)は偏った硬貨が本当のときに公平な硬貨と見分ける手がかりで、ln 2 − h b ( x ) \ln2-h_{\mathrm b}(x) ln 2 − h b ( x ) に等しく ln 2 \ln2 ln 2 を超えない。赤(四角)は公平な硬貨が本当のときに偏った硬貨と見分ける手がかりで、1 2 ln 1 4 x ( 1 − x ) \frac12\ln\frac{1}{4x(1-x)} 2 1 ln 4 x ( 1 − x ) 1 に等しく x → 0 , 1 x\to0,1 x → 0 , 1 で発散する。どちらも厳密な値で、点は verify_ch1-01.py で計算した。
この非対称性のため、D D D は距離の公理(対称性と三角不等式)を満たさない。それでも「2つの分布の違いを測る量」として巻の全部の章で使うのは、次の節で示す2つの性質から、物理と情報の法則の多くがそのまま導かれるからである。
例題 1.1.1 偏った硬貨と公平な硬貨を見分ける ★★★
オリジナル 表の出る確率が 0.9 0.9 0.9 の硬貨を p = B e r n ( 0.9 ) p=\mathrm{Bern}(0.9) p = Bern ( 0.9 ) 、公平な硬貨を q = B e r n ( 0.5 ) q=\mathrm{Bern}(0.5) q = Bern ( 0.5 ) とする。
(1) D ( p ∥ q ) D(p\,\|\,q) D ( p ∥ q ) と D ( q ∥ p ) D(q\,\|\,p) D ( q ∥ p ) を nat とビットで求め、等しくないことを確かめよ。
(2) 本当の硬貨が p p p のとき、20 回投げて得られる対数尤度比 ∑ k = 1 20 ln ( p ( X k ) / q ( X k ) ) \sum_{k=1}^{20}\ln\bigl(p(X_k)/q(X_k)\bigr) ∑ k = 1 20 ln ( p ( X k ) / q ( X k ) ) の平均を求め、尤度比に直すとおよそいくらかを述べよ。
解答 (1) 式 (1.1.1) から
D ( p ∥ q ) = 0.9 ln 0.9 0.5 + 0.1 ln 0.1 0.5 = 0.9 × 0.5878 − 0.1 × 1.6094 ≈ 0.368 n a t , D(p\,\|\,q)=0.9\ln\frac{0.9}{0.5}+0.1\ln\frac{0.1}{0.5}=0.9\times0.5878-0.1\times1.6094\approx0.368\ \mathrm{nat}, D ( p ∥ q ) = 0.9 ln 0.5 0.9 + 0.1 ln 0.5 0.1 = 0.9 × 0.5878 − 0.1 × 1.6094 ≈ 0.368 nat ,
D ( q ∥ p ) = 0.5 ln 0.5 0.9 + 0.5 ln 0.5 0.1 = − 0.5 × 0.5878 + 0.5 × 1.6094 ≈ 0.511 n a t . D(q\,\|\,p)=0.5\ln\frac{0.5}{0.9}+0.5\ln\frac{0.5}{0.1}=-0.5\times0.5878+0.5\times1.6094\approx0.511\ \mathrm{nat}. D ( q ∥ p ) = 0.5 ln 0.9 0.5 + 0.5 ln 0.1 0.5 = − 0.5 × 0.5878 + 0.5 × 1.6094 ≈ 0.511 nat .
ln 2 ≈ 0.693 \ln2\approx0.693 ln 2 ≈ 0.693 で割ると、それぞれ 0.531 0.531 0.531 ビットと 0.737 0.737 0.737 ビットである。2つは等しくない。D ( q ∥ p ) D(q\,\|\,p) D ( q ∥ p ) の方が大きいのは、公平な硬貨が本当のときに裏が出ると(確率 0.5 0.5 0.5 )、偏った硬貨では確率 0.1 0.1 0.1 しかない出来事が起きたことになり、1回で大きな手がかりになるからである。
(2) 投げる回は独立なので、対数尤度比は1回ごとの和で、その平均は 20 D ( p ∥ q ) ≈ 20 × 0.368 = 7.36 20\,D(p\,\|\,q)\approx20\times0.368=7.36 20 D ( p ∥ q ) ≈ 20 × 0.368 = 7.36 である。尤度比に直すと e 7.36 ≈ 1.57 × 10 3 \mathrm{e}^{7.36}\approx1.57\times10^{3} e 7.36 ≈ 1.57 × 1 0 3 で、20 回の観測で「偏った硬貨である」という仮説が平均でおよそ千倍以上支持される。平均の対数尤度比が回数に比例して伸びる、という性質を確率の言葉で精密に述べたものが 第1部第8章 の Stein の補題である。
1 S. Kullback and R. A. Leibler (1951), Ann. Math. Statist. 22, 79–86。
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