相対エントロピーから情報と物理を組み立てる 第1部 第1章 §1.1.2 ★★★ 巻で使う D の性質は「負にならない」と「同じ処理を両方に施すと増えない」の2つで、証明は lnx≤x−1 の1本から出る
非負性
定理 1.1.1(非負性(Gibbs の不等式) ★★★)
任意の確率分布 p, q について D(p∥q)≥0 である。等号は p=q のときに限る。
証明
x>0 で lnx≤x−1 が成り立ち、等号は x=1 のときに限る(x−1−lnx は x=1 で最小値 0 をとる)。p(x)>0 の x だけで和をとると
−D(p∥q)=x:p(x)>0∑p(x)lnp(x)q(x)≤x:p(x)>0∑p(x)(p(x)q(x)−1)=x:p(x)>0∑q(x)−1≤0.
等号には、p(x)>0 のすべての x で q(x)=p(x) であることが要る。
この証明で使ったのは対数の凹性だけである。Jensen の不等式の形で書き直したものは 第1部第3章 で扱う。
データ処理不等式
次に、X の値をそのまま見るのでなく、確率的な処理を通した結果 Y を見る場合を考える。処理は、入力 x に対して出力 y が出る条件付き確率 W(y∣x) で決まる。W(y∣x)≥0 と ∑yW(y∣x)=1 を満たす行列 W を確率行列(または通信路)と呼ぶ。分布 p を入れたときの出力の分布は
(Wp)(y)=x∑W(y∣x)p(x)(1.1.3)
である。雑音のある通信路・測定の誤差・粗い目盛りで読むこと・熱浴と接して時間が経つことは、どれもこの形の処理として書くことができる。
定理 1.1.2(データ処理不等式 ★★★)
任意の確率行列 W と確率分布 p, q について
D(Wp∥Wq)≤D(p∥q).(1.1.4)
証明
まず log-sum 不等式を示す。正の数 a1,…,ak, b1,…,bk について A=∑iai, B=∑ibi とおくと
i∑ailnbiai≥AlnBA.
左辺から右辺を引くと A∑iAailnbi/Bai/A となり、これは確率分布 (ai/A) の (bi/B) に対する相対エントロピーの A 倍なので、定理 1.1.1 から 0 以上である。
出力の値 y を1つ固定し、ax=W(y∣x)p(x), bx=W(y∣x)q(x) として log-sum 不等式を当てると
(Wp)(y)ln(Wq)(y)(Wp)(y)≤x∑W(y∣x)p(x)lnW(y∣x)q(x)W(y∣x)p(x)=x∑W(y∣x)p(x)lnq(x)p(x).
y について和をとり、∑yW(y∣x)=1 を使うと式 (1.1.4) が出る。
式 (1.1.4) の意味は、1.1.1節の読み方でそのまま言い表すことができる。2つの仮説を見分ける手がかりは、データに確率的な処理を施しても増えない。雑音を足しても、目盛りを粗くしても、時間を経たせても、元のデータに無かった手がかりは出てこない。等号は、処理を元に戻せる場合(たとえば値の並べ替え)に成り立つ。どういうときに等号になるかは十分統計量の話になり、第1部第4章 で扱う。
2つの性質だけで何が言えるか
非負性は「比べる相手を正しく選べば、ある量が最小になる」という変分原理の形で使う。統計力学では、比べる相手を Gibbs 分布に選ぶと、自由エネルギーが平衡で最小になることが出る(1.1.4節)。データ処理不等式は「ある量が時間とともに減る」という単調性の形で使う。熱浴と接した系の時間発展を確率行列 W で書き、Gibbs 分布が W で動かないことを使うと、第二法則が出る(同じ節)。この巻の大部分は、この2つの使い方の組み合わせである。量子系では、確率行列を量子チャネルに、和をトレースに置き換えて同じ2つの性質が成り立ち(第3部第3章)、経路の確率に置き換えると情報熱力学の第二法則になる(第4部第3章)。
例題 1.1.2 雑音のある通信路を通すと見分けにくくなる ★★
オリジナル入力の 0, 1 をそれぞれ確率 r=0.1 で反転させる通信路(2元対称通信路)W を考える。例題 1.1.1 の p=Bern(0.9), q=Bern(0.5) をこの通信路に通す。
- (1) 出力の分布 Wp, Wq を求めよ。
- (2) D(Wp∥Wq) を求め、式 (1.1.4) を確かめよ。
- (3) 同じ通信路をもう一度通すと D はいくらになるか。
解答
(1) 出力が 1(表)になる確率は、入力が 1 のまま残るか 0 が反転するかで、p については 0.9×0.9+0.1×0.1=0.82 である。よって Wp=Bern(0.82)。q は 0.5×0.9+0.5×0.1=0.5 で、Wq=Bern(0.5) のまま変わらない。
(2) D(Wp∥Wq)=0.82ln0.50.82+0.18ln0.50.18=0.82×0.4947−0.18×1.0217≈0.222 nat で、通す前の 0.368 nat より小さい。
(3) もう一度通すと表の確率は 0.82×0.9+0.18×0.1=0.756 になり、D(W2p∥W2q)=0.756ln0.50.756+0.244ln0.50.244≈0.137 nat とさらに減る。通すたびに出力の分布は公平な硬貨に近づき、見分ける手がかりは減り続ける。公平な硬貨 q は通信路で動かない分布になっていて、この「動かない分布との D が減り続ける」形が、1.1.4節で熱浴と接した系に当てはめる形である。
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