相対エントロピーから情報と物理を組み立てる 第2部 第4章 §2.4.1 ★★★ 可逆な写像は D を変えない。体積を保つ写像は一様分布を動かさないので、D(ρt∥σ) も細かい密度のエントロピーも一定になる
孤立した力学系の状態についての知識を相空間の確率密度 ρ で表すと、その密度は Liouville の定理に従って流れ、Gibbs のエントロピー −kB∫ρlnρdΓ は厳密に一定に保たれる(解析力学から様々な理論分野を組み立てる 第3部第1章)。一方、熱力学の第二法則は、孤立系のエントロピーが減らないと述べ、実際の気体は放っておけば広がって戻らない。この食い違いは、統計力学を力学から組み立てるときに必ず出会う問いである。この章はこの問いに、この巻の背骨である相対エントロピー D の2つの性質だけで答える。
比べる2つの分布は、今の細かい密度 ρt と平衡の密度(エネルギー面の上の一様分布やカノニカル分布)である。最初の節で、相空間の体積を保つ可逆な写像のもとでは D(ρt∥σ) が変わらないことを示す。これが Liouville の定理を情報の側から言い直したものになる。次の節で、区画ごとに平均をとる操作や、部分系どうしの相関を忘れる操作(粗視化)が、D を減らす写像であることを示す。減った量は「捨てた情報」そのもので、Pythagoras の等式の形で正確に書くことができる。この2つを組み合わせると、粗視化したエントロピーは初めの値より小さくならない、という第二法則の1つの形が出てくる(2.4.3 節)。ただしこの形は、初めの時刻を特別扱いしており、時間について単調であることまでは主張しない。単調性は、毎回粗視化して力学を Markov 過程に置き換えたときに初めて出る(2.4.4 節)。2.4.5 節では、粗視化をマクロな変数での最大エントロピーへの射影として行う Jaynes の論法と、熱浴と接した系の Clausius の不等式を、同じ等式から導く。後者では、増えたエントロピーが「系と熱浴のあいだに生じた相関」と「熱浴が平衡からずれた分」の和に正確に等しい。
エントロピーの対数は自然対数で、単位は nat とする。熱力学のエントロピーに直すときは kB を掛ける。この章では定義に記号 := を使う。この巻の約束どおり p,q は確率分布に取っておくので、相空間の点は Γ、エネルギー関数(Hamiltonian)は E(Γ) と書く。
相空間の上の相対エントロピー
N 個の粒子の相空間の点を Γ と書き、体積要素 dΓ は Planck 定数と粒子の入れ替えで割って無次元にしたものdΓ=d3Nrd3Npmom/(h3NN!) とする(運動量の添字 mom は確率分布の p と区別するためで、この節の外では使わない)。系の状態についての知識を、∫ρdΓ=1 を満たす密度 ρ(Γ) で表す。
定義 2.4.1(相空間の上の相対エントロピーとエントロピー)
2つの密度 ρ,σ について
D(ρ∥σ):=∫ρ(Γ)lnσ(Γ)ρ(Γ)dΓ,H(ρ):=−∫ρ(Γ)lnρ(Γ)dΓ(2.4.1)
と定める。kBH(ρ) が Gibbs のエントロピーである。
有限集合の上の D(第1部第3章)と同じく、D(ρ∥σ)≥0 で、等号は ρ=σ(ほとんどいたるところ)のときに限る。証明も同じで、ln が上に凸であることを ρ による平均に当てはめればよい。一方 H(ρ) は連続の場合には負にもなり、体積要素の取り方を変えると定数だけずれる。D の方は分子と分母が同じ体積要素で割られているので、体積要素の取り方によらない。次の定理の証明ではこの違いを使う。
可逆な写像は D を変えない
時間 t のあいだの運動を、相空間の写像 Γ↦ϕt(Γ) で表す。密度は点と一緒に運ばれるので、時刻 t の密度は
ρt(Γ)=∣Jt(ϕt−1(Γ))∣ρ0(ϕt−1(Γ))(2.4.2)
になる。Jt は写像 ϕt の Jacobi 行列式で、小さな体積が何倍に伸びたかを表す。分母は、伸びた体積に同じ確率が薄まることを表している。Hamilton 力学では ∣Jt∣=1 で(Liouville の定理)、式 (2.4.2) は ρt=ρ0∘ϕt−1 になる。
定理 2.4.2(可逆な写像のもとでの D の不変性 ★★★)
ϕ を相空間の滑らかな全単射とし、ρ,σ を式 (2.4.2) の規則で運んだ密度を ϕ∗ρ,ϕ∗σ と書く。このとき
D(ϕ∗ρ∥ϕ∗σ)=D(ρ∥σ).(2.4.3)
さらに ϕ が体積を保つ(∣J∣=1)なら、H(ϕ∗ρ)=H(ρ) で、相空間のある領域 Ω の上の一様分布 uΩ は ϕ(Ω)=Ω のとき動かない。
証明
Γ′=ϕ(Γ) と変数を変えると dΓ′=∣J(Γ)∣dΓ である。ϕ∗ρ(Γ′)=ρ(Γ)/∣J(Γ)∣、ϕ∗σ(Γ′)=σ(Γ)/∣J(Γ)∣ なので、比の中では ∣J∣ が打ち消し合い、
D(ϕ∗ρ∥ϕ∗σ)=∫∣J(Γ)∣ρ(Γ)lnσ(Γ)ρ(Γ)∣J(Γ)∣dΓ=D(ρ∥σ)
となる。∣J∣=1 なら H の計算でも ∣J∣ が現れないので H(ϕ∗ρ)=H(ρ) で、uΩ を運んだものは Ω の上で一様な密度のままである。
この定理はデータ処理不等式(第1部第4章)からも導くことができる。決定論的な写像 ϕ は特別な通信路なので、D(ϕ∗ρ∥ϕ∗σ)≤D(ρ∥σ) である。ϕ が全単射なら逆写像 ϕ−1 も通信路で、ϕ∗ρ,ϕ∗σ を元に戻すので逆向きの不等式も成り立ち、等号になる。可逆な処理では情報は失われない、という当たり前のことを、D の言葉で言ったものが式 (2.4.3) である。
この議論で Liouville の定理を使うのは、後半の「一様分布が動かない」という部分である。平衡の密度 σ として、エネルギー面の近くの殻 Ω={Γ:E0≤E(Γ)≤E0+ΔE} の上の一様分布(ミクロカノニカル)や、カノニカル分布 ρcan=e−βE(Γ)/Z をとる。どちらも E(Γ) だけの関数なので、エネルギーが保存し体積が保たれる運動では動かない。したがって定理 2.4.2 から
D(ρt∥uΩ)=ln∣Ω∣−H(ρt)=一定,D(ρt∥ρcan)=β⟨E⟩ρt−H(ρt)+lnZ=一定(2.4.4)
が従う(∣Ω∣ は Ω の体積)。細かい密度で測ると、系は平衡に1歩も近づかない。左の式の ln∣Ω∣ は時間によらないので、Gibbs のエントロピー kBH(ρt) が一定であることと同じ内容である。
離散の Liouville の定理
相空間を有限個の点に区切り、運動をその点の置換で表すと、置換は全単射で、どの点にも1つの点しか移らないので「体積」(点の個数)を保つ。置換のもとで D(p∥q) と H(p) が変わらないことは、和の項の並べ替えにすぎない。2.4.3 節と 2.4.4 節の数値例は、この離散版を使って厳密に計算する。
例題 2.4.1 自由粒子の正規分布:全体は一定、周辺は広がる ★★
オリジナル1次元の自由粒子(質量 m)の集まりを考える。時刻 0 の密度は、位置 x と運動量 k が独立な正規分布で、標準偏差はそれぞれ σx,σk とする(この例題に限り、位置を x、運動量を k と書く)。運動は x↦x+kt/m、k↦k である。
- 時刻 t の共分散行列 Σt を求め、detΣt が時刻によらないことを示せ。
- 2変数の正規分布の H は ln(2πedetΣ) である。H(ρt) が一定であることを確かめよ。
- 位置の周辺分布と運動量の周辺分布のエントロピーの和 H(ρx,t)+H(ρk,t) は、時刻 0 からどれだけ増えるか。τ:=σkt/(mσx) で表し、τ=1 と τ=3 の値を求めよ。
解答
(1) 写像は線型で、行列 F=(10t/m1) で書ける。正規分布の共分散は Σt=FΣ0FT と運ばれるので、
Σt=(σx2+σk2t2/m2σk2t/mσk2t/mσk2),detΣt=detF⋅detΣ0⋅detFT=σx2σk2.
detF=1 が Liouville の定理にあたる。
(2) H(ρt)=ln(2πeσxσk) で、t を含まない。
(3) 1変数の正規分布の H は ln(2πeσ) である。運動量の分散は σk2 のままで、位置の分散は σx2(1+τ2) になるので、
[H(ρx,t)+H(ρk,t)]−[H(ρx,0)+H(ρk,0)]=21ln(1+τ2).
τ=1 で 21ln2=0.347、τ=3 で 21ln10=1.151 である。全体の H は一定なのに周辺の和は増え続ける。速い粒子ほど右へ進むので、位置と運動量のあいだに相関ができ、その相関の分が周辺だけを見ると見えなくなる。この差が次の節で相互情報量として正確に書かれる。
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