相対エントロピーから情報と物理を組み立てる 第4部 第2章 §4.2.4 ★★★ 非平衡の仕事の指数平均が平衡の自由エネルギー差を与える。第二法則の平均形・破れの確率の上界・平均を支配する稀な経路
等式とその帰結
定理 4.2.6(Jarzynski 等式 ★★★)
前向きの操作を平衡分布 pλ0eq から始めると、プロトコルの速さによらず
⟨e−βW⟩F=e−βΔF.(4.2.20)
証明
Crooks の定理 (4.2.17) を PF(W)e−βW=e−βΔFPR(−W) と書き、W について和(積分)をとると、右辺の PR の全確率が 1 なので式 (4.2.20) を得る。選び方 (b) の積分ゆらぎの定理 (4.2.11) に (4.2.16) を入れても同じである。
Jarzynski(1997)、Phys. Rev. Lett. 78、2690 がこの等式を示した(Crooks の定理より前に示された)。仮定は初めが平衡分布であることだけで、終わりの分布は平衡である必要がない。操作を終えた瞬間の系がどれほど平衡から離れていても、左辺は λN の平衡の自由エネルギーを与える。等式から出ることを順に挙げる。
第二法則の平均形。Jensen の不等式 e−β⟨W⟩≤⟨e−βW⟩ から
⟨W⟩F≥ΔF.(4.2.21)
破れの確率の上界。式 (4.2.13) を Σ=β(W−ΔF) に当てると
Pr(W≤ΔF−a)≤e−βa(a>0)(4.2.22)
で、ΔF を a だけ下回る仕事で済む確率は、a が kBT の数倍を超えると急速に小さくなる。
キュムラント展開。ln⟨e−βW⟩ は W のキュムラント κm の母関数なので
ΔF=⟨W⟩−2βσW2+6β2κ3−⋯,σW2:=⟨W2⟩−⟨W⟩2(4.2.23)
である。W が正規分布なら3次以上が消え、Crooks の節の式 (4.2.19) に戻る。
平均を決めるのは稀な経路
式 (4.2.20) の左辺の平均では、W の小さい経路に指数的に大きな重みが掛かる。W が正規分布 N(μ,σ2) に従う場合、PF(W)e−βW は平均 μ−βσ2 の正規分布に比例するので、平均に主に寄与するのは W∗:=μ−βσ2 付近の経路である。式 (4.2.19) の σ2=2Wdiss/β(Wdiss:=μ−ΔF)を使うと W∗−μ=−2Wdiss=−σ2βWdiss で、W∗ は前向きの分布の中心から標準偏差の 2βWdiss 倍だけ下にある。そこより下の経路が起こる確率は Φ(−2βWdiss)(Φ は標準正規分布の分布関数)で、βWdiss=1 で 0.079、βWdiss=4 で 0.0023 である。有限の Ns 回の試行で ⟨e−βW⟩ を標本平均で置き換えた推定量
ΔFNs:=−kBTln(Ns1i=1∑Nse−βWi)(4.2.24)
は、この稀な経路を1本も引かないうちは ⟨W⟩ に近い値を返し、ΔF を上に外す(Jensen の不等式から推定量の平均は常に ΔF 以上である)。必要な試行の回数は 1/Φ(−2βWdiss) の程度で、βWdiss が大きいと、平方根の因子を除いて eβWdiss に比例して増える(Jarzynski(2006)、Phys. Rev. E 73、046105 が稀な経路と推定量の収束の関係を調べた)。図 4.2.3 に推定量の偏りを示す。

図 4.2.3 Jarzynski の推定量 (4.2.24) の偏り。仕事を正規分布 N(Wdiss,2Wdiss/β)(ΔF=0)として、試行の回数ごとに推定量の平均を乱数で求めた(scripts/verify_ch4-02.py)。Ns=1 では偏りは βWdiss そのもので、βWdiss=1 では 100 回でほぼ消えるが、βWdiss=4 では 104 回でも 0.06kBT 残る。
Liphardt ほか(2002)、Science 296、1832 は、RNA の分子を引き伸ばす実験で、引く速さを変えても仕事の指数平均から求めた自由エネルギー差が、ゆっくり引いて得た可逆な仕事と誤差の範囲で合うことを確かめた。等式が実験で使えるのは、散逸仕事が小さく、上の稀な経路が実際の試行の回数で引ける範囲にある場合に限られる。
例題 4.2.4 ばねを一定の速さで引く ★★
オリジナル過減衰の Langevin 方程式 γx˙=−k(x−λt)+ξ に従う粒子を、ばねの中心 λt=vt を一定の速さ v で時間 τ だけ動かして引く。初めは λ=0 の平衡状態とする。緩和時間を τr:=γ/k と書く。
- ΔF を求め、仕事 W=∫0τ∂λUλ˙dt の平均を求めよ。
- W は正規分布に従う。Jarzynski 等式を使って σW2 を ⟨W⟩ で表せ。
- τ=τr、γv2τr=2kBT のとき、⟨W⟩、σW2、Pr(W<0)、Pr(W≤−kBT) を求め、上界 (4.2.22) と比べよ。
解答
(1) ばねの中心を動かしてもポテンシャルの形は変わらないので Z は一定で、ΔF=0 である。∂λU=−k(x−λ) なので W=−kv∫0τ(x−λt)dt。ずれ y:=x−λt は γy˙=−ky−γv+ξ に従い、平均は yˉ(t)=−vτr(1−e−t/τr)(初めの平均 0)である。したがって
⟨W⟩=kv2τr∫0τ(1−e−t/τr)dt=γv2[τ−τr(1−e−τ/τr)]
となる(kτr=γ)。τ≫τr では γv2τ に近づき、これは速さ v で粘性の抵抗に逆らって距離 vτ を進む仕事である。
(2) 方程式が線型で雑音が正規分布なので W は正規分布である。ΔF=0 と式 (4.2.19) から 0=⟨W⟩−βσW2/2、すなわち σW2=2kBT⟨W⟩ である。平均の散逸と分散が、Jarzynski 等式だけを通して結びついている。
(3) ⟨W⟩=2kBT(1−(1−e−1))=2e−1kBT=0.736kBT、σW2=1.472(kBT)2、σW=1.213kBT である。Pr(W<0)=Φ(−0.736/1.213)=Φ(−0.607)=0.272 で、4回に1回以上、粒子は熱浴から熱を吸い上げて外に仕事をしている。Pr(W≤−kBT)=Φ(−1.736/1.213)=0.076 で、上界 e−1=0.368 を満たす。時間を 103 歩に刻んだシミュレーション(4×104 本の軌道)では ⟨W⟩=0.731、σW2=1.479、⟨e−βW⟩=0.999、Pr(W<0)=0.275 で、理論の値と合う(scripts/verify_ch4-02.py)。
AI(Claude)が書いた教材を、木下が勉強しながら公開しています。式と数値は検算していますが、誤りが残っているかもしれません。誤りのご指摘・削除のご依頼をいただければ直します。 連絡先:support@tecktom.com