相対エントロピーから情報と物理を組み立てる 第4部 第2章 §4.2.2 ★★★ Σ=ln(P/P~) の指数平均は P~ の規格化だけから 1 になる。Jensen の不等式を当てた ⟨Σ⟩=D(P∥P~)≥0 より強い等式
積分ゆらぎの定理
前向きの経路の確率と逆回しの経路の確率の対数比を
Σ[Γ]:=lnP~[Γ~]P[Γ]=lnp~0(xN)p0(x0)−βQ[Γ](4.2.10)
と定める。2つ目の等号は定理 4.2.2 である。Σ は経路ごとに値が決まる確率変数で、その P による平均は
⟨Σ⟩P=Γ∑P[Γ]lnP~[Γ~]P[Γ]=D(P∥P~)
となり、経路の空間の上の2つの分布の相対エントロピーそのものである(経路を逆にたどる写像 Γ↦Γ~ は経路の集合の上の全単射なので、P~ を Γ の分布とみなしてよい)。相対エントロピーの非負性(第1部第3章)は、ln が上に凸であることを P による平均に当てはめて示した。そこで使った等式を、ここでは不等式にする前の形で取り出す。
定理 4.2.3(積分ゆらぎの定理 ★★★)
P~[Γ~]>0 ならば P[Γ]>0 であるとする(逆回しで起こる経路は、前向きでも起こる)。このとき
⟨e−Σ⟩P=1.(4.2.11)
証明
P[Γ]>0 の経路だけで和をとると ⟨e−Σ⟩P=∑P[Γ]>0P[Γ]P~[Γ~]/P[Γ]=∑P[Γ]>0P~[Γ~] である。仮定から P~[Γ~]>0 の経路はすべてこの和に入るので、和は P~ の全確率 1 に等しい。
この等式から3つのことが直ちに出る。第一に、e−s が下に凸なので Jensen の不等式から e−⟨Σ⟩≤⟨e−Σ⟩=1、すなわち
⟨Σ⟩P=D(P∥P~)≥0(4.2.12)
で、これは相対エントロピーの非負性である。第二に、Σ は負の値もとりうる。平均が 1 の正の量 e−Σ が 1 より大きい値(Σ<0)を一度もとらないなら、平均が 1 になるには e−Σ=1 でなければならない。つまり Σ≡0 でない限り、Σ<0 となる経路は必ず正の確率で起こる。第三に、負の側の大きなずれは指数的に稀である。Markov の不等式 Pr(Y≥c)≤⟨Y⟩/c を Y=e−Σ、c=ea に当てると
Pr(Σ≤−a)≤e−a(a>0)(4.2.13)
を得る。
前提の「逆回しで起こる経路は前向きでも起こる」
定理 4.2.3 の仮定が破れると、和から P~ の一部が漏れて ⟨e−Σ⟩P<1 になる。前向きを確実に1つの状態から始めたときが典型で、逆回しでその状態以外に戻る経路には前向きの相手がない。このとき ⟨e−Σ⟩P=1−λai で、λai は相手のない逆回しの経路の確率の合計である(Murashita・Funo・Ueda(2014)、Phys. Rev. E 90、042110 は、これを絶対不可逆性と呼んだ)。非負性 (4.2.12) の方は、この場合も成り立つ(例題 4.2.2 (2))。
詳細ゆらぎの定理
逆回しの操作の側でも、前向きを参照にとって Σ~[Γ~]:=ln(P~[Γ~]/P[Γ]) を定める。逆回しのさらに逆回しは前向きなので、Σ~[Γ~]=−Σ[Γ] である。Σ の値の分布を P(Σ=s)、Σ~ の値の分布を P~(Σ~=s) と書く。
定理 4.2.4(詳細ゆらぎの定理 ★★★)
定理 4.2.3 と同じ仮定のもとで、P(Σ=s)>0 となる値 s について
P~(Σ~=−s)P(Σ=s)=es.(4.2.14)
証明
Σ[Γ]=s となる経路の集合を As とすると、Σ~[Γ~]=−s となる逆回しの経路の集合は {Γ~:Γ∈As} である。As の各経路で P[Γ]=esP~[Γ~] なので、和をとると P(Σ=s)=∑AsP[Γ]=es∑AsP~[Γ~]=esP~(Σ~=−s) である。
式 (4.2.14) の分母を払って s について和をとると、式 (4.2.11) に戻る。詳細ゆらぎの定理は、積分ゆらぎの定理を Σ の値ごとに分けたものである。
初めの分布の2つの選び方
Σ の意味は、逆回しの初めの分布 p~0 の選び方で決まる。この章で使う選び方は2つある。
(a) 逆回しを前向きの終わりの分布から始める。 p~0=pN(前向きの N 歩後の分布)とすると、式 (4.2.10) は
Σ[Γ]=[−lnpN(xN)]−[−lnp0(x0)]+(−βQ[Γ])(4.2.15)
となる。−lnpn(xn) は、その時刻に系が実際にいる状態の驚き(第1部第2章)で、pn で平均すると系の Shannon エントロピー H(pn) になる。したがって Σ は、1本の経路について「系のエントロピーの変化」と「熱浴のエントロピーの変化」を足したもの、すなわち全エントロピー生成である(Seifert(2005)、Phys. Rev. Lett. 95、040602)。式 (4.2.11) はどんな初めの分布・どんなプロトコルでも成り立つ。
(b) 両方を平衡分布から始める。 p0=pλ0eq、p~0=pλNeq とすると、lnpλeq(x)=−β[Ex(λ)−F(λ)] と第一法則 (4.2.3) から
Σ[Γ]=−β[Ex0(λ0)−F(λ0)]+β[ExN(λN)−F(λN)]−βQ[Γ]=β(W[Γ]−ΔF)(4.2.16)
になる。ΔF:=F(λN)−F(λ0) である。W−ΔF は、可逆な操作で済む仕事 ΔF を超えて余分にした仕事で、散逸仕事と呼ぶ。前向きの終わりの分布は一般に pλNeq ではないが、(b) の p~0 は終わりの分布と無関係に決めた参照の分布なので、それで構わない。(b) の選び方が次の2節の Crooks の定理と Jarzynski 等式を与える。
平均 ⟨Σ⟩=D(P∥P~) を「エントロピー生成」の定義として採り、それが系と熱浴の何の情報を測っているか、粗視化でどう減るかを調べることは、次の章 第4部第3章 の主題である。この章は、平均だけでなく分布全体について成り立つ等式 (4.2.11)・(4.2.14) から何が出るかに集中する。
例題 4.2.2 1歩の緩和で Σ の分布を数える ★★
オリジナル状態 x∈{0,1} のエネルギーを E0=0、E1=ε(固定、βε=ln3)とし、熱浴との1回の遷移で系は完全に緩和する:K(y∣x)=π(y)、π:=peq=(3/4,1/4)。1歩だけ進め、逆回しは前向きの終わりの分布から始める(選び方 (a))。
- 初めの分布を p0=(1/2,1/2) とする。4本の経路 (x0,x1) の Σ を求め、⟨e−Σ⟩=1、⟨Σ⟩=D(p0∥π)、式 (4.2.14) を確かめよ。Σ<0 となる確率はいくらか。
- 初めの分布を p0=(1,0) とすると、⟨e−Σ⟩ と ⟨Σ⟩ はいくらか。
解答
(1) K(y∣x)=π(y) は詳細つり合い π(y)π(x)=π(x)π(y) を満たす。1歩後の分布は p1=π である。経路 (x0,x1) の確率は P=p0(x0)π(x1)、逆回しは P~=p1(x1)π(x0)=π(x1)π(x0) なので
Σ(x0,x1)=lnπ(x0)p0(x0)=ln2π(x0)1,Σ=ln32=−0.405 (x0=0),Σ=ln2=0.693 (x0=1)
で、x1 によらない。式 (4.2.15) の形で見ると、経路 (0,1) では系の驚きが ln2 から ln4 に増え、熱 ε を吸うので熱浴のエントロピーが ln3 減り、合計は ln2−ln3=ln32 である。経路 (0,0) では驚きが ln2 から ln34 に減り、熱は 0 なので、やはり ln32 である。
⟨e−Σ⟩=21⋅23+21⋅21=1,⟨Σ⟩=21ln32+21ln2=21ln34=0.144=D(p0∥π).
逆回しの初めの分布は π で、逆回しの経路 (x1,x0) の終わりの状態 x0 は π に従うので、P~(Σ~=−Σ(x0))=π(x0) である。P(Σ=Σ(x0))=21 との比は 1/(2π(x0))=eΣ(x0) で、式 (4.2.14) が成り立つ。Σ<0 となるのは x0=0 のときで、確率は 21 である。平均のエントロピー生成は正でも、半分の試行でエントロピーが減っている。上界 (4.2.13) は a=ln23 で e−a=32≥21 を与え、成り立っている。
(2) p0=(1,0) では x0=0 だけが起こり、Σ=lnπ(0)1=ln34=0.288 である。⟨e−Σ⟩=π(0)=43<1 で、等式 (4.2.11) は成り立たない。逆回しで終わりの状態が x0=1 になる経路(確率 π(1)=41)には前向きの相手がなく、それが漏れた分 λai=41 である。⟨Σ⟩=ln34=D((1,0)∥π)≥0 は成り立つ。
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