近似の数理 第4章 §4.3 ★★★ 「エネルギーは合うのに他の物理量が合わない」という量子化学の経験則の数学的な理由
前の例題で、エネルギーの相対誤差 1.5×10−5 に対して、波動関数の誤差はどのくらいだろうか。次の恒等式が答えを与える。
命題 4.10(エネルギー誤差の恒等式 ★★★)
Hψ0=E0ψ0、∥ψ0∥=1 とし、近似 ψ~ を ⟨ψ0,ψ~⟩=1 となるように位相と大きさをそろえてψ~=ψ0+e(e⊥ψ0)と書く。このとき
∥ψ~∥2⟨ψ~,Hψ~⟩−E0=1+∥e∥2⟨e,(H−E0)e⟩.(4.7)
さらに E0 が基底状態でその上の固有値(またはスペクトル)が E1 以上なら
1+∥e∥2(E1−E0)∥e∥2≤∥ψ~∥2⟨ψ~,Hψ~⟩−E0≤1+∥e∥2⟨e,(H−E0)e⟩.(4.8)
証明
(H−E0)ψ0=0 と H の自己共役性から ⟨ψ0,(H−E0)e⟩=⟨(H−E0)ψ0,e⟩=0。したがって⟨ψ~,(H−E0)ψ~⟩=⟨e,(H−E0)e⟩。これを ∥ψ~∥2=1+∥e∥2 で割れば (4.7)。下からの評価は、e⊥ψ0 なのでスペクトル分解で e は E1 以上の成分しか持たず、⟨e,(H−E0)e⟩≥(E1−E0)∥e∥2 となることから従う。
右辺 ⟨e,(H−E0)e⟩ は誤差 e のエネルギーノルムの2乗(運動エネルギーを含む重み付きの2乗ノルム)である。すなわち
E[ψ~]−E0≈∥ψ~−ψ0∥エネルギー2,
エネルギーの誤差は波動関数の誤差の2乗になる。理由は、E0 が Rayleigh 商の停留点(最小点)であることに尽きる。関数の最小点の近くでは、変数を δ ずらしても関数値は δ2 しか変わらない。
これに対して、エネルギー以外の物理量 A の期待値は
⟨ψ~,Aψ~⟩/∥ψ~∥2−⟨ψ0,Aψ0⟩=2Re⟨e,Aψ0⟩+O(∥e∥2)
と、誤差の1乗で変わる。ψ0 は A の期待値の停留点ではないからである。エネルギーで 10−4 の精度が出ていても、波動関数の誤差は 10−2 程度ありえ、他の物理量の誤差も 10−2 程度になる。量子化学で「全エネルギーは良いのに双極子モーメントや超微細結合定数が合わない」と言われるのはこのためである。とくに超微細結合定数(Fermi 接触項)は原子核の位置での電子密度 ∣ψ(0)∣2 に比例し、変分法の最適化がほとんど気にしない一点の値なので、外れ方が大きい(4.5節の数値例を参照)。
励起状態と縮退
(4.8) の下からの評価は、ギャップ E1−E0 が小さいと弱くなる。ほぼ縮退した状態がある系では、エネルギーが良く合っていても、波動関数は縮退した状態どうしの混合が決まらず、大きく外れていることがある。
例題 4.3 箱の中の粒子で誤差の2乗則を確かめる ★★
オリジナルH=−dx2d2 を (0,1) 上で ψ(0)=ψ(1)=0 のもとで考える。基底状態は ψ0=2sinπx、E0=π2 で、x=1/2 について対称な次の固有状態の固有値は 9π2 である。試行関数 ϕ=x(1−x) の Rayleigh 商は 10 であった(例題 4.2)。
- ⟨ψ0,ϕ⟩ を求め、ψ~=ϕ/⟨ψ0,ϕ⟩ と大きさをそろえたときの ∥e∥2=∥ψ~∥2−1 を求めよ。
- 命題 4.10 の (4.8) の左側の不等式が成り立つことを数値で確かめよ。
- エネルギー以外の量として A=(x−21)2 をとり、期待値の相対誤差をエネルギーの相対誤差と比べよ。
解答
(1) 部分積分を3回行うと ∫01x(1−x)sinπxdx=4/π3 なので ⟨ψ0,ϕ⟩=42/π3 である。∥ϕ∥2=∫01x2(1−x)2dx=1/30 と合わせて
∥e∥2=⟨ψ0,ϕ⟩2∥ϕ∥2−1=960π6−1=1.4471×10−3,∥e∥=0.0380.
ψ~−ψ0 が ψ0 に直交することは、⟨ψ0,ψ~⟩=1=∥ψ0∥2 から従う。波動関数の誤差は約 3.8% である。
(2) ϕ も ψ0 も x=1/2 について対称なので e も対称で、e は対称な励起状態の成分しか持たない。したがって (4.8) の E1 には 9π2 を使ってよい。左辺は
1+∥e∥28π2∥e∥2=0.1141,
右辺に当たるエネルギーの誤差は 10−π2=0.1304 で、確かに 0.1141≤0.1304 である。対称性を使わずに E1=4π2 とすると左辺は 0.0428 になり、不等式は成り立つが弱くなる。どちらの場合も、エネルギーの誤差は「ギャップ ×∥e∥2」の大きさであって、∥e∥ の1乗の大きさではない。
(3) 近似のほうは ∫01(x−21)2x2(1−x)2dx/∥ϕ∥2=(1/840)/(1/30)=1/28=0.03571。厳密なほうは 2∫01(x−21)2sin2πxdx=121−2π21=0.03267。相対誤差は 0.093、すなわち 9.3% で、エネルギーの相対誤差 (10−π2)/π2=1.3% の約7倍である。A の期待値は ψ0 で停留しないので誤差は ∥e∥ の1乗で入り、しかも A は壁の近くに重みを置くので、ϕ と ψ0 の形の違いが大きく出る場所を拾っている(検算スクリプト)。
AI(Claude)が書いた教材を、木下が勉強しながら公開しています。式と数値は検算していますが、誤りが残っているかもしれません。誤りのご指摘・削除のご依頼をいただければ直します。 連絡先:support@tecktom.com