近似の数理 第5章 §5.3 ★★★ 直接項と交換項の起源。以後の定理はすべてこの式の構造から出る
Slater 行列式の2体密度
Slater 行列式の期待値を計算するには、2電子の同時密度
ρ(2)(x,y)=N(N−1)∫∣Ψ(x,y,x3,…,xN)∣2dx3⋯dxN
が要る。相互作用エネルギーは 21∬ρ(2)(x,y)/∣x−y∣dxdy である。
補題 5.4(Slater 行列式の多体密度は行列式 ★★)
Φ を Slater 行列式、γ(x,y)=∑i=1Nφi(x)φi(y) とすると、n 体の同時密度は
ρ(n)(x1,…,xn)=(N−n)!N!∫∣Φ∣2dxn+1⋯dxN=det[γ(xj,xk)]j,k=1n
で与えられる。特に ρ(2)(x,y)=ρ(x)ρ(y)−∣γ(x,y)∣2 である。
証明
行列 Aij=φi(xj) に対し detAdetA=det(ATA) で、(ATA)jk=∑iφi(xj)φi(xk)=γ(xj,xk)。したがって ∣Φ∣2=N!1det[γ(xj,xk)]j,k=1N となる。次に γ が射影であることから ∫γ(x,z)γ(z,y)dz=γ(x,y) と ∫γ(z,z)dz=N が成り立つ。m×m の行列式 det[γ(xj,xk)] を最後の変数 xm で積分すると、最後の行と列を含む項は再生性 ∫γ(xj,z)γ(z,xk)dz=γ(xj,xk) により (m−1)×(m−1) の行列式に戻り、対角の項は N を与える。行列式を最後の行で展開して数え上げると
∫det[γ(xj,xk)]m×mdxm=(N−m+1)det[γ(xj,xk)](m−1)×(m−1)
を得る。これを m=N,N−1,…,n+1 と繰り返すと係数 (N−n)! が出て、主張になる。
エネルギー汎関数
補題 5.4 を使うと、Slater 行列式のエネルギーは γ だけで書ける。1体部分は Tr[hγ]、2体部分は 21∬(ρ(x)ρ(y)−∣γ(x,y)∣2)/∣x−y∣ である。そこで次の定義をおく。
定義 (Hartree–Fock エネルギー汎関数)
0≤γ≤1、Trγ=N を満たす(運動エネルギー Tr[−21Δγ] が有限な)作用素 γ に対し、ργ(x)=γ(x,x) として
EHF(γ)=Tr[(−21Δ+V)γ]+21∬∣x−y∣ργ(x)ργ(y)dxdy−21∬∣x−y∣∣γ(x,y)∣2dxdy(5.6)
と定める。第2項を直接項(Hartree 項)、第3項を交換項と呼ぶ。
定理 5.6(Slater–Condon 則 ★★★)
Slater 行列式 Φ に対し ⟨Φ,HNΦ⟩=EHF(γΦ)。軌道で書けば
⟨Φ,HNΦ⟩=i=1∑N⟨φi,hφi⟩+21i,j=1∑N(Jij−Kij),(5.7)
Jij=∬∣x−y∣∣φi(x)∣2∣φj(y)∣2dxdy,Kij=∬∣x−y∣φi(x)φj(x)φi(y)φj(y)dxdy.
証明
1体部分は ⟨Φ,∑ihiΦ⟩=Tr[hγΦ]=∑i⟨φi,hφi⟩。2体部分は補題 5.4 の ρ(2) を代入し、ρ=∑i∣φi∣2 と ∣γ(x,y)∣2=∑i,jφi(x)φj(x)φi(y)φj(y) を展開すれば (5.7) が出る。
φi と φj のスピンが異なれば、φiφj はスピン和で 0 になるので Kij=0 である。交換項は同じスピンの電子どうしの間にだけ働く。
直接項・交換項の意味と自己相互作用の相殺
直接項 21∬ρρ/∣x−y∣ は、電子密度 ρ を古典的な電荷雲とみなしたときの静電エネルギーである。物理屋が「各電子は他の電子がつくる平均の場を感じる」と言うときの「平均の場」は、この項から出るポテンシャル ρ∗∣x∣−1 を指す。
ところが直接項には、i=j の項 21Jii、つまり電子が自分自身の電荷雲と反発するという非物理的な寄与が含まれている。(5.7) では Jii−Kii=0(i=j では Kii=Jii)なので、交換項がこの自己相互作用を正確に打ち消す。1電子系(水素原子)では Hartree–Fock は厳密に Schrödinger 方程式に一致する。
交換項のもう1つの意味は、補題 5.4 の ρ(2) から読める。位置 x に電子がいるという条件のもとでの他の電子の密度は
ρ(x)ρ(2)(x,y)=ρ(y)−ρ(x)∣γ(x,y)∣2
であり、第2項を y で積分すると ∫∣γ(x,y)∣2dy/ρ(x)=(γ2)(x,x)/ρ(x)=1 となる(γ2=γ)。つまり電子のまわりには、同じスピンの電子をちょうど1個分押しのけた「穴」(交換孔、Fermi 孔)が空いている。交換項はこの穴の分だけ反発を減らす補正である。逆にいえば、Slater 行列式は異なるスピンの電子どうしの避け合い(Coulomb 孔)を一切含まない。ここが相関エネルギー(§5.9)の出どころになる。
Hartree 近似との関係
反対称化をせずに積 φ1(x1)⋯φN(xN) を試行関数とするのが Hartree 近似である。その期待値は ∑ihii+∑i<jJij で、自己相互作用は最初から含まれないが、交換項も無い。ヘリウムの 1s2 のように2電子のスピンが逆向きで空間軌道が同じ場合は、K12=0 なので Hartree と Hartree–Fock は一致する(例題 5.4)。
例題 5.3 2電子の Slater 行列式の期待値 ★★★
オリジナル[標準的な題材を自作]正規直交なスピン軌道 φ1,φ2 から Φ(x1,x2)=21(φ1(x1)φ2(x2)−φ2(x1)φ1(x2)) を作る。h は1体演算子とする。
- γΦ(x,y)=φ1(x)φ1(y)+φ2(x)φ2(y) を示せ。
- ⟨Φ,(h1+h2)Φ⟩=h11+h22(hii=⟨φi,hφi⟩)を示せ。
- ⟨Φ,∣x1−x2∣−1Φ⟩=J12−K12 を示せ。
- φ1=uα、φ2=uβ(同じ空間軌道 u、スピン関数 α=上向き、β=下向き)のとき、エネルギーが 2huu+Juu になることを示せ。
解答
(1) 定義より γΦ(x,y)=2∫Φ(x,x2)Φ(y,x2)dx2。Φ(x,x2)Φ(y,x2) を展開すると4項が出る。x2 について積分すると、∫φ2(x2)φ2(x2)=1、∫φ2φ1=0 などにより
γΦ(x,y)=2⋅21(φ1(x)φ1(y)+φ2(x)φ2(y))
となる(交差項は直交性で消える)。
(2) ⟨Φ,h1Φ⟩=∫Φh1Φ を展開する。x2 の積分で直交性が働き、残るのは 21(h11+h22)。h2 も同じ値を与えるので和は h11+h22。
(3) ∣Φ∣2=21(∣φ1(x1)∣2∣φ2(x2)∣2+∣φ2(x1)∣2∣φ1(x2)∣2)−Re[φ1(x1)φ2(x2)φ2(x1)φ1(x2)]。1/∣x1−x2∣ をかけて積分すると、第1の括弧の2項はどちらも J12 を与え(x1↔x2 の対称性)、合わせて J12。第2項は
∬∣x1−x2∣φ2(x1)φ1(x1)φ2(x2)φ1(x2)
の実部で、これは定義の K21=K12 に等しい。K12 は x↔y の交換で複素共役になる量なので実数であり、結果は J12−K12。
(4) (2)(3) から E=h11+h22+J12−K12。スピン和をとると h11=h22=huu、J12=Juu(空間部分は同じ u)。K12 の被積分関数は φ1φ2=∣u∣2αβ を含み、スピン和 ∑σα(σ)β(σ)=0 で消える。よって E=2huu+Juu。21∑i,j(Jij−Kij) の形で見ると、i=j の2項は自己相互作用の相殺で消え、i=j の2項 21(J12+J21)=Juu が残っている。
例題 5.4 ヘリウムを 1s 軌道1個で解く ★★★
オリジナル[標準的な題材を自作]ヘリウム(Z=2)の基底状態を、例題 5.3 (4) の形で空間軌道を uζ(r)=(ζ3/π)1/2e−ζr に制限して近似する。
- ⟨uζ,(−21Δ)uζ⟩=ζ2/2、⟨uζ,(−Z/r)uζ⟩=−Zζ を用い、Juu=5ζ/8 を示せ。ただし密度 ∣uζ∣2 がつくる静電ポテンシャルが ϕ(r)=r1−(ζ+r1)e−2ζr であることを使ってよい。
- E(ζ) を最小化し、ζ∗ と E(ζ∗) を求めよ。
- 結果を Hartree–Fock 極限値 EHF=−2.86168 と厳密値 E=−2.903724 と比べ、「遮蔽」の言葉で ζ∗ を解釈せよ。
解答
(1) Juu=∫∣uζ∣2ϕdr=4ζ3∫0∞r2e−2ζr[r1−(ζ+r1)e−2ζr]dr。∫0∞rne−ardr=n!/an+1 を使うと
Juu=4ζ3[4ζ21−(4ζ)32ζ−(4ζ)21]=4ζ3⋅64ζ216−2−4=85ζ.
(2) 例題 5.3 (4) より E(ζ)=2(2ζ2−Zζ)+85ζ=ζ2−(2Z−85)ζ。E′(ζ)=0 から ζ∗=Z−165=1627、E(ζ∗)=−(1627)2=−256729=−2.84766。
(3) 変分原理どおり E(ζ∗)>EHF>E である。E(ζ∗)−EHF=0.0140 は軌道の形を指数関数1つに縛った誤差(基底の誤差)で、EHF−E=0.0420 は Slater 行列式に縛った誤差(相関エネルギー)である。ζ∗=Z−5/16 は「各電子は、もう一方の電子に核電荷を 5/16 だけ遮られた有効電荷 27/16 を感じる」と読める。物理屋の「平均場」の直観が、ここでは1パラメータの変分の答えとして具体的な数になっている。(検算スクリプト)
AI(Claude)が書いた教材を、木下が勉強しながら公開しています。式と数値は検算していますが、誤りが残っているかもしれません。誤りのご指摘・削除のご依頼をいただければ直します。 連絡先:support@tecktom.com