近似の数理 第5章 §5.4 ★★★ 交換項の符号が「曲がった集合」の問題を凸集合へ緩和できる構造を生む
Slater 行列式の集合は γ の言葉では射影の集合
PN={γ: γ2=γ, Trγ=N}
であり、これは曲がっている。一方、その「凸包」
GN={γ: 0≤γ≤1, Trγ=N}
は凸集合で(0≤γ≤1 も Trγ=N も、2つの元の内分で保たれる)、その端点(線分の内点として書けない点)はちょうど PN の元である(図 5.1)。EHF の式 (5.6) は GN 全体で意味をもつ。
補題 5.7(交換積分は直接積分を超えない ★★★)
任意の φ,ψ∈L2 に対し 0≤Kφψ≤Jφψ。ここで Jφψ=∬∣φ(x)∣2∣ψ(y)∣2/∣x−y∣、Kφψ=∬g(x)g(y)/∣x−y∣、g=ψφ。
証明
K≥0 は Coulomb 核の正定値性による。Fourier 変換すると Kφψ=∫∣k∣24π∣g^(k)∣2(2π)3dk≥0。上界は、∣g(x)∣=∣φ(x)∣∣ψ(x)∣ に注意して
Kφψ≤∬∣x−y∣∣φ(x)∣∣ψ(x)∣∣φ(y)∣∣ψ(y)∣=∬a(x,y)∣x−y∣1/2∣φ(x)∣∣ψ(y)∣b(x,y)∣x−y∣1/2∣ψ(x)∣∣φ(y)∣
と書き、Cauchy–Schwarz 不等式 ∬ab≤(∬a2)1/2(∬b2)1/2 を使う。∬a2 も ∬b2 も(変数を入れ替えれば)Jφψ に等しい。
この補題が、交換項の符号が「直接項と同じ向きの変化を半分以上は打ち消さない」ことを量的に保証する。以下の3つの定理(Lieb の変分原理、aufbau、最小解の存在)はすべてこの不等式に乗っている。
2次の展開
EHF は γ の2次式なので、変化 δ(自己共役作用素)に対して厳密に
EHF(γ+δ)=EHF(γ)+Tr[Fγδ]+Q(δ),Q(δ)=21∬∣x−y∣ρδ(x)ρδ(y)−21∬∣x−y∣∣δ(x,y)∣2(5.8)
と展開できる。1次の係数 Fγ は Fock 演算子と呼ばれ、
Fγ=−21Δ+V+ργ∗∣x∣1−Kγ,(Kγu)(x)=∫∣x−y∣γ(x,y)u(y)dy(5.9)
である(ργ∗∣x∣−1 は Hartree ポテンシャル、Kγ は交換演算子)。直接項の1次変化 ∬ργρδ/∣x−y∣=Tr[(ργ∗∣x∣−1)δ] と、交換項の1次変化 −Re∬γ(x,y)δ(x,y)/∣x−y∣=−Tr[Kγδ] を書き出せば確かめられる。
2つの特別な方向での Q を計算しておく。正規直交な φ,ψ に対し
Q(∣ψ⟩⟨ψ∣−∣φ⟩⟨φ∣)Q(t∣ψ⟩⟨ψ∣)=−(Jφψ−Kφψ)≤0,=2t2(Jψψ−Kψψ)=0.(5.10)(5.11)
(5.10) は ρδ=∣ψ∣2−∣φ∣2 と ∣δ(x,y)∣2 を展開すると、Jψψ,Jφφ が直接項と交換項で打ち消し合い、交差項 −Jφψ+Kφψ だけが残ることから出る。符号は補題 5.7 による。(5.11) は自己相互作用の相殺そのものである。
定理 5.8(Lieb の変分原理 ★★★)
相互作用が Coulomb 斥力のとき、
γ∈PNinfEHF(γ)=γ∈GNinfEHF(γ).
さらに右辺の最小が γ∈GN で達成されるなら、最小を達成する射影 γ′∈PN も存在する。
証明の骨格
PN⊂GN だから左辺 ≥ 右辺は明らか。逆向きを示すには、任意の γ∈GN からエネルギーを上げずに射影へ移れることを示せばよい。
γ=∑kλk∣uk⟩⟨uk∣ と固有分解する。γ が射影でなければ 0<λk<1 の固有値(分数占有)がある。分数占有がちょうど1個ということはない(∑kλk=N は整数で、0 と 1 の固有値の和も整数だから、分数占有の和も整数でなければならない)。そこで分数占有の2つ λi,λj を選び、
γ(t)=γ+t(∣ui⟩⟨ui∣−∣uj⟩⟨uj∣)
とおく。固有値は λi+t と λj−t に変わるだけなので、t が区間 [−min(λi,1−λj), min(1−λi,λj)] にある限り γ(t)∈GN である。展開 (5.8) と (5.10) より
EHF(γ(t))=EHF(γ)+ct−(Juiuj−Kuiuj)t2
(c は定数)で、2次の係数が ≤0 だから t の凹関数である。凹関数の区間上の最小は端点でとられるので、どちらかの端点 t∗ で EHF(γ(t∗))≤EHF(γ)。端点では λi+t∗ か λj−t∗ のどちらかが 0 か 1 になり、分数占有が少なくとも1つ減る。分数占有が有限個ならこの操作を有限回繰り返して射影に到達する。
分数占有が無限個ある場合は、有限個への切り詰めと極限操作が要る(運動エネルギーの有限性を保ちながら近似する部分で、ここが技術的な難所である)。射影に到達すれば、命題 5.3 と定理 5.6 によりそれは Slater 行列式で、エネルギーはその期待値に等しい。
凹な方向があるから端点に落ちる
凸集合上で凹関数を最小化すると最小は端点に来る。線型計画法で最適解が頂点に来るのと同じ理屈である。EHF 自体は凹関数ではないが、「占有を一方から他方へ移す」方向に限れば交換項の寄与 +K が直接項の寄与 −J を上回ることはなく、凹になる。だから最小を凸集合 GN で探しても、答えは端点 PN(Slater 行列式)に戻ってくる。
この事実の価値は、曲がった集合 PN 上の問題を、凸集合上の問題として扱ってよいことにある。凸集合は内分について閉じているので、2つの近似解の平均をとっても許容集合から出ない。この性質は、§5.5 の減衰つき反復と、§5.7 の最小解の存在証明(弱極限が許容集合に残ること)で使われる。
交換項がないと成り立たない
交換項を落とした汎関数(reduced Hartree–Fock と呼ばれる)ErHF(γ)=Tr[hγ]+21∬ργργ/∣x−y∣ では、占有を移す方向の2次係数は 21∬ρδρδ/∣x−y∣≥0 で、凸になる。凸関数の最小は凸集合の内部に来うるので、最小解は一般に分数占有をもつ。例題 5.5 でその差を数値で見る。
例題 5.5 占有を移す方向の曲率 ★★
オリジナル同じスピンをもつ水素様軌道 φ1=1s、φ2=2s(Z=1)について、J12=8117、K12=72916、J11=85、J22=51277 が知られている。γ(t)=γ0+t(∣φ1⟩⟨φ1∣−∣φ2⟩⟨φ2∣) を考える。
- Hartree–Fock 汎関数の t2 の係数を求め、凹であることを確かめよ。
- reduced Hartree–Fock 汎関数(交換項なし)の t2 の係数を求め、凸であることを確かめよ。
- 2つの結果の違いを、最小解が分数占有をもちうるかどうかの観点から説明せよ。
解答
(1) (5.10) より係数は −(J12−K12)=−(8117−72916)=−729153−16=−729137≈−0.188。負なので凹である。
(2) 直接項だけなら係数は 21∬ρδρδ/∣x−y∣、ρδ=∣φ1∣2−∣φ2∣2 なので
21(J11+J22−2J12)=21(85+51277−8134)=8294414749≈0.178>0.
凸である。
(3) HF では自己相互作用 J11,J22 が交換項で消えており、残るのは「1s と 2s に1個ずつ」の配置が持つ反発 J12−K12 だけである。占有を半々に分けると、この反発の分だけ得をするように見えるが、2次係数が負であることは「分けると損」を意味する。半端に分けると、自分の電荷の分身どうしの反発が交換項で正しく差し引かれないからである。rHF では自己相互作用が残っているので、電荷を2つの軌道に薄く分けるほど自己反発が減り、得をする。そのため rHF の最小は内部(分数占有)に来うる。(検算スクリプト)
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