近似の数理 第6章 §6.7 ★★★ 「重い原子ほど平均場が良い」の正確な意味と、極限で正しい理論が有限 Z の化学を落とす例
TF 汎関数の導出
原子番号 Z の中性原子(電子 N=Z 個)を原子単位で考える。電子はフェルミオンなので、ボソンのように全員が同じ1粒子状態に入ることはできない。Thomas と Fermi の発想は、電子密度 ρ(x) がゆっくり変わるなら、各点の近傍の電子を「その点の密度を持つ一様な自由電子気体」と見なせる、というものである(局所密度近似、または半古典近似)。
一様な自由電子気体では、スピン2重度を含めて、Fermi 波数 kF までの運動量の状態がすべて埋まる。運動量空間の体積 34πkF3 を状態1個あたりの体積 (2π)3 で割り、スピンの2を掛けると密度は
ρ=2⋅(2π)334πkF3=3π2kF3,
運動エネルギー密度は、運動量の大きさの2乗の平均 53kF2 を使って
τ=ρ⋅21⋅53kF2=103(3π2)2/3ρ5/3=:cTFρ5/3,cTF≈2.871
となる。これを各点で使い、原子核との引力と電子間の古典的な Coulomb 反発(Hartree 項)を加えたものがThomas–Fermi 汎関数
ETF[ρ]=cTF∫ρ5/3dx−Z∫∣x∣ρ(x)dx+21∬∣x−y∣ρ(x)ρ(y)dxdy(6.12)
である。これを ∫ρ=Z、ρ≥0 の下で最小化した値を ETF(Z) とする。波動関数(3Z 変数)の問題が、密度(3変数)の問題に置き換わっている。交換エネルギー・相関エネルギー・密度の勾配による運動エネルギーの補正は、すべて落とされている。
TF 方程式と数値
最小化の Euler–Lagrange 方程式は 21(3π2ρ)2/3=(ϕTF(x))+、ϕTF=Z/∣x∣−ρ∗∣x∣−1(中性原子では化学ポテンシャルが 0)で、左辺は局所的な Fermi エネルギー kF2/2 である。ϕTF(r)=rZχ(r/b)、b=21(3π/4)2/3Z−1/3≈0.8853Z−1/3 とおくと、Poisson 方程式から普遍的な TF 方程式 χ′′=χ3/2/x、χ(0)=1、χ(∞)=0 が得られる。これを境界値問題として数値で解くと χ′(0)=−1.588071 で、エネルギーは ETF(Z)=73χ′(0)Z2/b=−0.7687Z7/3 になる。得られた密度を (6.12) に代入して直接評価しても −0.7684(離散化の誤差内で一致)、運動エネルギーは −E(ビリアル定理)、電子間反発は核引力の −1/7 倍になる(検算スクリプト)。
例題 6.7 TF エネルギーのスケーリング ★★★
オリジナル[標準的な題材を自作]
- 密度を ρ(x)=Z2ρ1(Z1/3x) と書くと、∫ρ=Z∫ρ1 で、(6.12) の3つの項がすべて Z7/3 倍になることを示せ(核電荷は Z のまま)。
- (1) から ETF(Z)=Z7/3ETF(1) を導け。また原子の大きさが Z−1/3 に比例して縮むことを述べよ。
- 量子力学のハミルトニアンで長さを x=Z−1/3y と変えると、H/Z4/3 が「ℏeff=Z−1/3 の一体部分」と「係数 1/Z の電子間反発」の和になることを示せ。
解答
(1) 3次元で y=Z1/3x と変数変換すると dx=Z−1dy、∣x∣=Z−1/3∣y∣。
- 電子数:∫Z2ρ1(y)Z−1dy=Z∫ρ1。
- 運動エネルギー:∫(Z2ρ1)5/3Z−1dy=Z10/3−1∫ρ15/3=Z7/3∫ρ15/3。
- 核引力:Z∫Z2ρ1⋅Z1/3∣y∣−1Z−1dy=Z1+2+1/3−1∫ρ1/∣y∣=Z7/3∫ρ1/∣y∣。
- 電子間反発:Z4⋅Z1/3⋅Z−2=Z7/3 倍。
(2) (1) より EZTF[ρ]=Z7/3E1TF[ρ1] で、制約 ∫ρ=Z は ∫ρ1=1 に対応する。ρ↔ρ1 は1対1なので、最小値どうしも ETF(Z)=Z7/3ETF(1)=−0.7687Z7/3。最小化する密度は ρ1 を Z−1/3 倍に縮めたものなので、電子の大部分は核から Z−1/3 程度の距離にいる。重い原子ほど小さく密になる。
(3) x=Z−1/3y で −21Δx=−21Z2/3Δy、Z/∣x∣=Z4/3/∣y∣、1/∣xi−xj∣=Z1/3/∣yi−yj∣ なので
Z4/3H=i=1∑Z(−2ℏeff2Δyi−∣yi∣1)+Z1i<j∑∣yi−yj∣1,ℏeff=Z−1/3.
電子間反発に平均場スケーリングの係数 1/N(N=Z)が自然に現れ、同時に Planck 定数が実効的に Z−1/3 へ小さくなる。エネルギーの大きさは Z4/3×(粒子数 Z)=Z7/3 で、(2) と合う(スケーリングの指数は検算スクリプト)。
Lieb–Simon の定理と高次の補正
定理 6.14(Lieb–Simon(1973) ★★★)
EQ(Z) を原子番号 Z の中性原子の(非相対論的な)Schrödinger 方程式の基底エネルギーとすると
Z→∞limETF(Z)EQ(Z)=1.
さらに密度もこのスケールで収束し、Z−2ρZQ(Z−1/3y)→ρ1TF(y)(弱い意味で)となる。分子(核の配置を Z−1/3 でスケールしたもの)についても同様である。
証明の骨格は、ボソンの定理 6.12 と同じく上界と下界を別々に示すことにある。上界は、TF 密度を持つ Slater 行列式(局所的に平面波を詰めたもの)を試行関数にして変分原理で得る。下界には二つの道具が要る。一つは電子間反発を一体の項で下から抑える不等式(正定値性の議論のクーロン版で、交換の誤差 O(Z5/3) を許す)、もう一つは一体の作用素 −21Δ−ϕ の負の固有値の和を、位相空間の体積 ∬(2p2−ϕ)−(2π)3dxdp で評価する半古典の不等式(Lieb–Thirring 型の評価)である。難所は後者で、核近傍で ϕ∼Z/∣x∣ が特異なところでも半古典の数え上げが主要項を正しく与えることを示す部分にある。
主要項 Z7/3 の後には、次のような展開が続くことが分かっている。
EQ(Z)=−0.7687Z7/3+21Z2−0.2699Z5/3+o(Z5/3).(6.13)
第2項は Scott 補正である。核から Z−1 程度の距離にいる内殻の電子は、エネルギー ∼Z2 で強く束縛され、そこでは局所的な de Broglie 波長が密度の変化の長さと同程度になって半古典近似が成り立たない。内殻の電子は事実上、他の電子を感じない水素様のエネルギー準位にあり、その離散性が Z2 の補正を生む(例題 6.8 で、電子間反発を無視した模型について正確に導く)。Scott の予想は Siedentop–Weikard と Hughes によって厳密に証明された。第3項は Schwinger 項で、Dirac の交換エネルギー −cD∫ρTF4/3(cD=43(3/π)1/3。TF 密度で評価すると −0.2208Z5/3)と、運動エネルギーの半古典展開の次の項(交換の 2/9 倍)の和として 911×0.2208=0.2699 になる。これは Fefferman と Seco によって厳密化された。
表 6.2 と図 6.2 は、展開 (6.13) を軽い原子の非相対論的な厳密エネルギーの文献値と比べたものである。TF 単独ではネオンでも 28% の誤差があるが、Scott 補正と Schwinger 項を加えると誤差は 1% 未満になる。展開は Z−1/3 のべきの展開なので、Z=10 でも展開パラメータは 0.46 と大きく、それでもこの精度が得られている(数値は検算スクリプト)。
表 6.2 原子の基底エネルギー(Hartree 単位)。文献値は非相対論的な厳密値。 | TF −0.7687Z7/3 | +Scott 21Z2 | +Schwinger −0.2699Z5/3 | 文献値 |
| H(Z=1) | −0.769 | −0.269 | −0.539 | −0.5 |
| He(Z=2) | −3.874 | −1.874 | −2.731 | −2.9037 |
| Ne(Z=10) | −165.62 | −115.62 | −128.15 | −128.94 |

図 6.2 原子の基底エネルギーを Z7/3 で割り、Z−1/3 に対して描いたもの。Z→∞(左端)で TF の値 −0.7687 に近づき、Scott 補正が傾き、Schwinger 項が曲がりを与える。
例題 6.8 電子間反発のない原子での Scott 補正 ★★
オリジナル[標準的な題材を自作]電子間反発を無視した「Bohr 原子」を考える。各電子は核電荷 Z の水素様準位 −Z2/(2n2) に入り、主量子数 n の殻にはスピンを含めて 2n2 個入る。
- 第 L 殻までちょうど満たすとき Z=∑n=1L2n2 と全エネルギー E=−Z2L を示せ。
- Z=32(L+21)3−61(L+21) を確かめ、L+21=(3Z/2)1/3+O(Z−1/3) を導け。
- E=−(3/2)1/3Z7/3+21Z2+O(Z5/3) を示し、第1項と第2項の由来を説明せよ。
解答
(1) n 殻の 2n2 個の電子はそれぞれ −Z2/(2n2) を持つので、殻ごとのエネルギーは n によらず −Z2。L 殻で −Z2L。電子数は ∑n=1L2n2=31L(L+1)(2L+1)。
(2) 32(L+21)3=31(2L3+3L2+23L+41) と 31L(L+1)(2L+1)=31(2L3+3L2+L) の差は−31(21L+41)=−61(L+21) なので恒等式が成り立つ。s=L+21 とおくと s3=23Z+41s、s∼(3Z/2)1/3 だからs=(3Z/2)1/3(1+O(Z−2/3))=(3Z/2)1/3+O(Z−1/3)。
(3) E=−Z2L=−Z2(s−21)=−Z2(3Z/2)1/3+21Z2+O(Z2−1/3)。第1項は半古典(TF)の値で、実際に電子間反発を落とした TF 汎関数 cTF∫ρ5/3−Z∫ρ/∣x∣ を ∫ρ=Z で最小化するとちょうど −(3/2)1/3Z7/3 になる(数値で確認 検算スクリプト)。第2項 +21Z2 は、殻の数 L を連続変数 s で数えたときの「21 のずれ」から出ている。半古典の数え上げは準位を連続とみなすが、実際の準位は離散で、最も深い準位(n=1、エネルギー −Z2/2)の付近でそのずれが最大になる。これが Scott 補正の正体で、相互作用のある原子でも同じ 21Z2 になる(内殻の電子は事実上、他の電子を感じないため)。
「重い原子ほど平均場が良い」の正確な意味と、Teller の定理
Lieb–Simon の定理は、エネルギーの比が 1 に近づくことを主張する。誤差は (6.13) のとおり絶対値では Z2 で増え続ける。したがって「重い原子ほど TF が良い」は相対誤差の意味でのみ正しい。
化学では原子どうしの結合エネルギーが問題になり、これは数 eV、つまり O(1)(Hartree 単位で 0.1 程度)の量である。TF の誤差はこれより何桁も大きく、展開 (6.13) の何項目までとっても化学結合の大きさには届かない。実際、TF 理論にはTeller の定理がある。TF 汎関数で分子のエネルギーを計算すると、どの核配置でも、ばらばらの原子のエネルギーの和より高くなる。つまり TF 理論では分子は結合しない(Teller の指摘を Lieb と Simon が厳密に証明した)。Z→∞ の極限で正しい理論が、有限の Z の化学を完全に落とす例である。B 型の近似の保証は極限で消える誤差の大きさまでで、その誤差より小さいエネルギー差で決まる現象について何も言わない。第9章で扱う密度汎関数理論(Kohn–Sham 法)は、TF の運動エネルギーの局所近似を軌道の運動エネルギーで置き換え、交換相関だけを汎関数にすることで、この限界を越えようとする。ただしその交換相関汎関数は、もはや極限定理による保証を持たない(C 型)。
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