近似の数理 第8章 §8.8 ★★ 近似として導いた方程式そのものの適切性が未解決であること。正当化の連鎖の弱い環
非圧縮性 Navier–Stokes 方程式
∂tu+(u⋅∇)u+∇P=νΔu,∇⋅u=0(8.52)
について、物理屋が通常期待するのは「滑らかな初期値から出発すれば、滑らかな解がいつまでも一つ存在する」ことである。3 次元でこれが成り立つかどうかは分かっていない。2000 年に Clay 数学研究所が選んだミレニアム懸賞問題の一つは、R3(または周期的な箱)で、滑らかで十分速く減衰する初期値に対し、滑らかな解が時間大域的に存在するか、あるいは有限時間で解が滑らかでなくなる(爆発する)例があるかを問うものである。2 次元ではこの問題は解決していて、滑らかな解が時間大域的に一意に存在する。
エネルギー等式
滑らかな解について成り立つ唯一の大域的な評価は、エネルギーの評価である。
例題 8.9 エネルギー等式 ★★
オリジナル[標準的な題材を自作]周期的な箱 Ω 上で、式 (8.52) の滑らかな解について
21dtd∫Ω∣u∣2dx=−ν∫Ω∣∇u∣2dx
を示せ(∣∇u∣2=∑i,j(∂jui)2)。
- 非線型項の寄与 ∫uiuj∂juidx が 0 になることを示せ。
- 圧力項の寄与 ∫ui∂iPdx が 0 になることを示せ。
- 粘性項の寄与を部分積分で計算し、等式を完成させよ。
解答
式 (8.52) の第 i 成分に ui を掛けて和を取り、Ω で積分する。左辺の時間微分の項は 21dtd∫∣u∣2 になる。周期境界なので、部分積分で境界項は出ない。
(1) uiuj∂jui=uj∂j(21∣u∣2)。部分積分すると −∫(∂juj)21∣u∣2=0(∇⋅u=0)。
(2) ∫ui∂iP=−∫(∂iui)P=0。
(3) ν∫ui∂j∂jui=−ν∫(∂jui)(∂jui)=−ν∫∣∇u∣2。
以上から等式が成り立つ。積分すれば 21∥u(t)∥2+ν∫0t∥∇u(s)∥2ds=21∥u(0)∥2(∥⋅∥ は L2(Ω) のノルム)となり、運動エネルギーは粘性による散逸でだけ減る。非線型項はエネルギーを空間の中で(波数の間で)移し替えるだけで、総量を変えない。
Leray の弱解
エネルギー等式が抑えるのは u の 2 乗積分と ∇u の 2 乗積分(の時間積分)だけである。これを関数空間の言葉で書くため、用語を定める。
定義 (L2 空間・弱微分・H1 空間)
領域 Ω 上の関数 u で ∫Ω∣u∣2dx<∞ となるもの全体を L2(Ω) と書く。u∈L2(Ω) の弱微分 ∂ju とは、すべての滑らかな試験関数 ψ(周期的、または Ω の境界の近くで 0)について ∫u∂jψ=−∫(∂ju)ψ を満たす関数のことである。部分積分の公式が成り立つことを微分の定義にしたもので、通常の意味で微分できない関数(角のある関数など)にも微分が定まる。u とその弱微分がすべて L2(Ω) に入る関数全体を Sobolev 空間 H1(Ω) と書く。
方程式 (8.52) に、発散が 0 の滑らかな試験関数 ψ(t,x) を掛けて部分積分し、u の微分をすべて ψ へ移した式が成り立つとき、u を弱解という。圧力項は ∇⋅ψ=0 によって消える。
定理 8.13(Leray の弱解の存在(主張) ★★)
Ω=R3 または周期的な箱とし、u0∈L2(Ω) で ∇⋅u0=0 とする。このとき、すべての t>0 について u(t)∈L2(Ω) で、∫0t∥∇u∥2<∞ を満たす弱解が存在し、エネルギー不等式
21∥u(t)∥2+ν∫0t∥∇u(s)∥2ds≤21∥u0∥2
を満たす(Leray(1934))。
証明の骨格は第4章の Galerkin 法と同じである。有限個の Fourier モードに射影した方程式(常微分方程式)を解き、その解がエネルギー等式によってモード数によらず一様に抑えられることから、部分列の弱い意味の極限を取る。難所は非線型項 (u⋅∇)u の極限である。弱収束は積と可換でない(8.9 節)ので、空間微分の評価と時間微分の評価を組み合わせて強収束を得る議論(コンパクト性の議論)が必要になる。極限ではエネルギー等式が不等式に弱まる。弱収束の極限ではノルムが下がりうるからである。
3 次元で分かっていないのは、Leray の弱解が一意か、滑らかかである。エネルギーが抑える量は 3 次元では方程式のスケーリングに対して弱すぎ(超臨界と呼ばれる)、細かいスケールで速度勾配が大きくなる可能性をエネルギーだけでは否定できない。さらに Leray の解より弱いクラスの弱解では、一意性が成り立たない例が構成されている(Buckmaster–Vicol)。
正当化の連鎖の弱い環
本章の流れを振り返ると、分子の力学から Boltzmann 方程式を導き、Boltzmann 方程式から Navier–Stokes 方程式を導いた。各段は極限定理として(条件付きで)正当化されている。しかし最後に得られた Navier–Stokes 方程式について、物理屋が暗黙に使っている「解が一つ存在して滑らかである」ことが 3 次元では証明されていない。Golse–Saint-Raymond の定理の極限が弱解であることも、この事情を反映している。乱流の数値計算は Navier–Stokes 方程式の解が滑らかであると仮定して行われており、もし有限時間の爆発があれば、そこでは Navier–Stokes 方程式そのもの(したがって Kn→0 の前提)が崩れていることになる。
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