量子力学の様々な構成方法 第4部 第5章 §4.5.2 ★★★ 物理的な写像の条件は正値性でなく完全正値性で、Choi 行列が半正定値であることと同じ。完全正値でトレースを保つ写像(CPTP 写像)は、Kraus 表示を持つものと、環境とのユニタリな相互作用で作れるものに一致する
正値なだけでは足りない
前節の写像は正値を保った。では逆に、正値を保ちトレースを保つ線型写像なら、どれも何かの環境との相互作用で実現できるか。答えは否で、反例は転置 T(ρ^)=ρ^T(ある基底での行列の転置)である。ρ^T の固有値は ρ^ の固有値と同じなので、転置は正値もトレースも保つ。量子ビットでは r=(rx,ry,rz)↦(rx,−ry,rz) という Bloch 球の鏡映である。
ところが、系 S が手を触れない参照系 R ともつれている場合を考えると破綻する。R と S が ∣Φ+⟩=(∣ee⟩+∣gg⟩)/2 にあるとき、S にだけ転置を当てると
(idR⊗T)(∣Φ+⟩⟨Φ+∣)=21i,j∑∣i⟩⟨j∣⊗∣j⟩⟨i∣=21F^
になる。F^ は2つの量子ビットを入れ替える演算子(F^∣i⟩∣j⟩=∣j⟩∣i⟩)で、反対称な状態 (∣eg⟩−∣ge⟩)/2 の上で −1 になる。結果は固有値 −21 を持ち、密度演算子でない。S に実際に何かの操作をしたとき、R を含む全体の状態が密度演算子でなくなることはあり得ない(全体の確率が負になる)。物理的な写像には、手を触れない系を付け足しても正値が保たれることが要る。
定義 4.5.1(完全正値・CPTP 写像)
系 S の演算子の上の線型写像 N が完全正値であるとは、すべての次元 n について idn⊗N が正値を保つことをいう。完全正値でトレースを保つ写像を CPTP 写像(量子チャネル)と呼ぶ。
Choi 行列と3つの同値
有限次元 d の系では、完全正値性は1つの行列で判定できる。S の基底 {∣i⟩} を使って
JN=i,j=1∑d∣i⟩⟨j∣⊗N(∣i⟩⟨j∣)=(id⊗N)(∣Ω⟩⟨Ω∣),∣Ω⟩=i∑∣i⟩∣i⟩(4.5.3)
を Choi 行列と呼ぶ(Choi (1975), Linear Algebra Appl. 10, 285)。∣Ω⟩ は規格化していない最大にもつれた状態で、JN は「参照系と最大にもつれた相手に N を当てた結果」である。転置の Choi 行列は上の計算の2倍、JT=F^ で、固有値 −1 を持つ。
定理 4.5.2(Choi・Kraus・Stinespring ★★★)
有限次元の系の上の線型写像 N について、次の4つは同値である。
- (a) N は CPTP 写像である。
- (b) JN≥0 かつ Tr出力JN=1。
- (c) N は Kraus 表示 N(ρ^)=∑kK^kρ^K^k†、∑kK^k†K^k=1 を持ち、Kraus 演算子の数は d2 個以下に取れる。
- (d) 環境 E とその状態 ∣0⟩E、全体のユニタリ U^ があって、N(ρ^)=TrE[U^(ρ^⊗∣0⟩⟨0∣)U^†](Stinespring 表示)。
証明
(d) ⇒ (c) は第4.5.1節の計算そのものである。
(c) ⇒ (a):任意の n と半正定値の X(Cn⊗H の上)について (idn⊗N)(X)=∑k(1⊗K^k)X(1⊗K^k)†≥0。トレースは前節のとおり保たれる。
(a) ⇒ (b):∣Ω⟩⟨Ω∣≥0 に idd⊗N を当てたものが JN なので、完全正値性から JN≥0。出力の部分トレースは ∑ij∣i⟩⟨j∣TrN(∣i⟩⟨j∣)=∑ij∣i⟩⟨j∣δij=1。
(b) ⇒ (c):JN≥0 を固有値分解して、固有値 λk>0 と規格化した固有ベクトル ∣wk⟩ で JN=∑k∣vk⟩⟨vk∣、∣vk⟩=λk∣wk⟩ と書く(k は d2 個以下)。∣vk⟩ は H⊗H のベクトルなので、K^k∣i⟩:=(⟨i∣⊗1)∣vk⟩ で H の上の演算子 K^k が定まり、∣vk⟩=∑i∣i⟩⊗K^k∣i⟩ と書ける。すると
N(∣i⟩⟨j∣)=(⟨i∣⊗1)JN(∣j⟩⊗1)=k∑K^k∣i⟩⟨j∣K^k†
で、線型性から任意の ρ^ について Kraus 表示が成り立つ。Tr出力JN=1 の (i,j) 成分は ∑k⟨j∣K^k†K^k∣i⟩=δij で、∑kK^k†K^k=1 になる。
(c) ⇒ (d):Kraus 演算子の数を m とし、m 次元の環境の基底 ∣k⟩E を用意して V^∣ψ⟩=∑kK^k∣ψ⟩⊗∣k⟩E と置く。V^†V^=∑kK^k†K^k=1 なので V^ は内積を保つ(等長)。∣ψ⟩∣0⟩E↦V^∣ψ⟩ は部分空間 H⊗∣0⟩E の上の等長写像で、直交補空間どうしの任意の等長写像をつなぐと全体のユニタリ U^ に延びる。このとき TrE[U^(ρ^⊗∣0⟩⟨0∣)U^†]=TrEV^ρ^V^†=∑kK^kρ^K^k†。
(c) ⇒ (d) の形の表示は Stinespring (1955), Proc. Amer. Math. Soc. 6, 211 が C∗ 代数の上の完全正値写像について示したものの、有限次元での姿である。この定理の中身は「CPTP 写像は、環境とのユニタリな相互作用と部分トレースで必ず作れる」で、第4部第2章の浄化(どの密度演算子も大きな系の純粋状態の部分)を、状態から時間発展へ広げたものになっている。図 4.5.1 にこの関係をまとめた。

図 4.5.1 Stinespring 表示。系と環境を合わせた全体はユニタリに発展し(基準の公理どおり)、環境を捨てると系の上の CPTP 写像になる。定理 4.5.2 は、逆にどの CPTP 写像もこの形に作れることを述べる。環境を捨てずに測ると第4.5.3節の一般の測定になる。
Kraus 表示の自由度
同じ写像を与える Kraus 演算子の組は1つでない。ulk をユニタリ行列(大きさを揃えるため足りない K^k は 0 で補う)として K^l′=∑kulkK^k と置くと
l∑K^l′ρ^K^l′†=k,k′∑(l∑ulkulk′∗)K^kρ^K^k′†=k∑K^kρ^K^k†
で、同じ写像になる(∑lulk′∗ulk=δkk′)。Stinespring 表示では、これは環境の基底を取り替えて部分トレースを取ることに当たり、トレースが基底によらないことの言い換えである。逆に同じ写像を与える2つの組は必ずこの形で結ばれ、その証明は、Choi 行列 JN=∑k∣vk⟩⟨vk∣ の分解の任意性が第4部第3章(第4部第3章)のアンサンブルの任意性と同じ形をしていることから、そこでの議論をそのまま使ってできる。同じ ρ^ を作るアンサンブルが1つでないことと、同じ写像を作る Kraus 演算子の組が1つでないことは、どちらも「環境(浄化の相手)をどの基底で見るか」の自由度である。
例題 4.5.2 振幅減衰の Choi 行列から Kraus 演算子を取り出す ★★
オリジナル例題 4.5.1 の振幅減衰(パラメータ γ)の Choi 行列を基底 ∣gg⟩,∣ge⟩,∣eg⟩,∣ee⟩(左が参照、右が出力)で書き、固有値を求めよ。固有ベクトルから定理 4.5.2 の証明の手順で Kraus 演算子を作り、例題 4.5.1 の形に戻ることを確かめよ。
解答
写像は N(∣g⟩⟨g∣)=∣g⟩⟨g∣、N(∣e⟩⟨e∣)=(1−γ)∣e⟩⟨e∣+γ∣g⟩⟨g∣、N(∣g⟩⟨e∣)=1−γ∣g⟩⟨e∣、N(∣e⟩⟨g∣)=1−γ∣e⟩⟨g∣ である。(4.5.3) に入れると
JN=∣gg⟩⟨gg∣+1−γ(∣gg⟩⟨ee∣+∣ee⟩⟨gg∣)+(1−γ)∣ee⟩⟨ee∣+γ∣eg⟩⟨eg∣.
∣eg⟩ は固有値 γ の固有ベクトル、∣ge⟩ は固有値 0。残りの {∣gg⟩,∣ee⟩} の 2×2 の部分は (11−γ1−γ1−γ) で、行列式が 0、トレースが 2−γ なので固有値は 2−γ と 0。固有値は {2−γ,γ,0,0} で全部非負、JN≥0 が確かめられた。
固有値 2−γ の固有ベクトルに λ を掛けたものは ∣v0⟩=∣g⟩∣g⟩+1−γ∣e⟩∣e⟩ で、K^0∣g⟩=∣g⟩、K^0∣e⟩=1−γ∣e⟩。固有値 γ からは ∣v1⟩=γ∣e⟩∣g⟩ で、K^1∣g⟩=0、K^1∣e⟩=γ∣g⟩。これは例題 4.5.1 の K^0=∣g⟩⟨g∣+1−γ∣e⟩⟨e∣、K^1=γ∣g⟩⟨e∣ そのものである。Choi 行列の階数が2なので、Kraus 演算子は2つより少なくできず、環境は2次元(光子が出たか出ないか)で足りる。
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