十月二十一日。水曜日。
天気は晴れ。俺に似つかわしくないなんとも爽やかな空である。
水曜日は数学演習。また今日も課題は間に合わなかった。午前五時から始めて、眠い目をこすりながら終わるわけがないのだ。
今日はどの授業も出席がないから、友人とアジを釣りに行こうといって、船まで予約していたが、風が強くて船が出ず、結局3限を受けることにした。数学演習は2限だから間に合わない。そもそも先生に顔向けもできない。
いつもいつもいっつも同様である。締切間近になってから始めるから終わらない。時間が余っているうちにはやろうともしない。勉強は楽しいのに、始まらない。せっかくClaudeでカレンダーに予定を組んでも守った試しがない。大抵、時間が余っているときにはSNSをみたり、あるいは「開発(笑)」みたいなことをしている。特に「開発(笑)」は生産的な感じだけするから、罪悪感がない。だからずっとやる。それで困る。
もちろん課題がちゃんとこなせていてその余暇でやっているならまだしも、「開発(笑)」をなんだかずうっと先に進めなきゃという観念で学生の本分たる勉強があまりにおざなりになっている。それで間に合わない。適当にAIの解答を写して出す。詰め込んでやるからすぐに忘れてなんの身にもならない。
このような不道徳に一刻も早く歯止めをかけねばならない。もはや意志による統制は不可能である。大変に脆い我が自己規律は豆腐のごとく崩れ去り、あとに残るは後悔ばかり。
うまくやれば、勉強もしつつちゃんと遊んだりできるだけの時間はたっぷりとあるのに、しかも勉強を楽しめる土壌の上に大変に幸運なことに立たせてもらっているというのに、何だこれは。いつも現実逃避を繰り返して先延ばし、気づいた時には手遅れである。
このように規律がなく、やわな人間であるから、春学期には恋人には振られるわ、必修は落とすわであったのを忘れたのか。このままアカデミアにいこうなどという腑抜けたことは言えない。ここで堕ちるか、ここで変わるかである。
何とかせねばならない。何とかせねば。自分の中に、理性的・意識的な部分と、それでは全く歯止めの効かぬ無意識的な怠惰が同居している。大抵勝つのは後者である。
「微笑もて正義を為せ」?はあ、俺がやっているのは、友達と遊び耽って爆笑し、それにかまけて勉強もしないような非道不道徳の限りじゃあないか。「爆笑もて非道をなし、もって地獄の底に堕ちる」である。なんにも爽快な部分がない。
俺は、きょうから日記をつける。しかしそれは、俺の一日一日がとても重大なもののような気がして来たからではない。俺の一日一日は大変に不真面目で、そして大変どうでも良いものだ。そのくだらなさを記録し、見返し、その大変なくだらなさに大いに赤面し、軌道修正に資する反面教師とするために日記をつける。人間は、十六歳と二十歳までの間にその人格がつくられると、ルソオだか誰だれだか言っていたそうだが、だとすれば二十歳の俺はもう手遅れである。であるからして、人格を変えられぬのであればその羞恥心をもって現状を変えねばならない。
幻の至宝と呼ばれる薔薇色のアカデミアライフを、何としてでもこの手に握らねばならない。そのために、享楽と不道徳にまみれたこの薄汚い日常から一刻も早く脱却せねばならない。そして、その全てを負う責任者は、紛れもなくこの俺自身なのである。
十月二十三日。金曜日。
晴れたね。しかし台風がきているらしい。来週の火曜日に直撃のようだ。ここ一ヶ月ほど爽やかに晴れ渡っていたのですこし残念である。
金曜日の量子物理工学は齊藤先生。ほうぼうに講演に出向いているだけあって、これが大変話がオモチロイ。しかも、これまで僕がやってきた物理の数学操作が、なるほどそういう心持ちのものだったのか!とハッとさせられる。
我々は相互作用をじゅうぶんに計算できない。だから「良い基底」をもってきて、非対角成分、即ち一方が他方に影響を及ぼしてしまうような項をできるだけ排除できるように見方を変えるのだ!それがフーリエ変換であり、対角化なのだ。そうすれば、その世界では、独立な少数の粒子だけの描像で物事を描けるようになる。そもそも粒子という概念自体我々が量子化された何某かを自分の実感に落とし込むための仮想的なものに過ぎない云々。
最近は、こういう話を聞くたびに、カントの「対象が認識に従う」という言葉の言いたかった意味内容が実感をもってすうっと自分のなかに立ち現れてくる心持ちがする。我々がみているのは、あるいは計算しているのは、「世界の真理」ではないのだ。あくまで我々の認識のなかで、世界を理解するための方便に過ぎないのだ。でも、それで良いのである。シュレーディンガー方程式がえらいのは、あれが「世界の真理」だからではない。そうではなくて、あれが、人間が理解できる形で表現された「現象」を解析する道具だからである。そしてそれの適用限界があるのかどうか、どこにあるのかは、実際の実験実測によって我々が絶えず確認しないといけないのだ。
カント以後、我々は、ヒュームの投げかけた絶望から脱却して、自らが認識できる形で、自らの理性を自由闊達に発揮して、様々なことができるようになった。格子振動を、光を、「粒子」として捉えるなんて、あるいはそもそも電子や陽子のような粒子の存在自体が何某かの場によって生まれた量子化されたエネルギーの塊にラベルをつけているだけだった点で格子振動や光と全く並列なものだったなんて、まったくもって驚くべきことだ!「モノは粒子からできている」という表現自体が、じつは「粒子」という存在を使うことで世界を認識しやすくなるという、我々の認識世界のための「方便」に過ぎないのだ!
人類は、というか僕は、ことばや数学といったこの世界を解析するための道具をつかって、もっと世界のことを自分のうちに理解することができる。もっとこの世界で遊び回れる。そのことへの自信と喜びが、僕のなかにぽかぽかと湧き上がってくる。もっと自分の知らないこと、新しいことを見てみたい。いろんなものを見て、聞いて感じ取り、それを自分の持っている道具をつかって表現して、理性のうちに理解してみたい。それに僕は若い!この若い感性をもって、この世の中のことを、もっといっぱい感じ取って、解釈していかなくてはならない!
齊藤先生の毒があるところも、オモチロイ。最近は、新学長の絶妙な皮肉をにやにやとしながらこぼしている。うふふ。
あれで55歳くらいというのだからすごい。もうおじさんなのに、いつでも目が少年のように輝いている。というか、物工の先生たちはみんなそうだ。みんな、自分がやっていることがオモチロオカチくて仕方がないという様子である。ああ、この人たちは本当に物理が大好きなんだなあというのがひしひしと伝わってくる。僕も物理はすきだし、学生実験もとっても楽しいけど、大人の世界で、頭の良さや好奇心だけでは渡り歩いていけない世界に身を浸しつつ、自分の興味をずうっと楽しみながら追求している大人は、すごくとっても格好がいい。
4限は、分子エレクトロニクス。長谷川先生。このおじさんも、オモチロイおじさんだ。でも、スライドだから教室が暗くしてあるのと、あんまり声が朗読声すぎるのとで、うつらうつらしてしまった。授業は十七時前には終わっていたはずなんだけれど、起きた時には十九時をまわって一人教室で警備の人に起こしてもらった。最近あんまり眠れていないのが祟ったのかしら。先生には悪いことしたななど思って、暗くなったキャンパスを歩いてきた。この時期の本郷キャンパスは銀杏が臭い。
ああそれと。DEFIの「魔法」がサブスク解禁されたね。ああこれはもう大変に素敵な曲だ。Lo-Fiな雰囲気も、モダンな笛やジャズピアノも、こぽこぽと裏で鳴る水を注ぐような音も素敵。つぎはぎしたようなパーカッションも実験的である。そして圧倒的歌唱力!昭和歌謡の令和における再解釈のような聞き味がある。
なんだかもうすっかり秋で、半袖だとさすがに肌寒い。明日からはサークルの秋合宿。ハロウィーンがちかいことにかこつけて例年仮装パーティをする。今年の仮装、みんな驚いてくれるかしらん。うふふふ。なんだかクリスマスや年末も近づいてきて、浮ついた気分になってきたね。足取り軽やか!
十月二十四日。土曜日。
霧雨。秋合宿の一日目である。じつはもう二十五日の午前一時半ごろなのだけれど、きっと二十五日のぶんはつけないだろうからいいのだ。
生憎の雨である。せっかく用意してきてくれた合宿委員の子にはすこし気の毒。まあ、僕はそのおかげでここ数ヶ月ずうっと読みきれていなかった三四郎を漸く読み切ることができた。
これがまずかった。
三四郎はラブコメである。熊本の田舎出の東大生の三四郎が、東京のシティレディの美禰子ちゃんに翻弄されて、最後にはついぞ成就しない。三四郎は美禰子ちゃんのあざとくて思わせぶりな一挙手一投足に翻弄されて、複雑に思い悩んで、結局、でも、成就しないのだ。
一方木下である。この夏の初めに木下は振られている。ああ、昨年の秋合宿は付き合い始めてすぐだったもんで、この宿のここのベンチに、暗闇の中二人で宴会場を抜け出して話にいったなあなどと思い出す。僕はなんとも湿っぽい男だ。こういう時に、ザ・ビーチボーイズの「 God Only Knows 」を聴きながら三四郎を読むから、自然となんだかうるうるとしてくる。ああ、ああ。あの時、寂しくて話したいと言ってくれたね。あの人が、僕のことを好きでいてくれた時間が、確かにあったんだなあ。しかしもう、そんな時間は二度とは訪れない。
先日、機会があって、二人話すことになってしまった。しかし、流石に鈍感な僕と言っても、もうこの人は僕には会いたくないんだろうなという感を解らぬほど鈍ではない。ああ、僕は、やっぱりもう二度と、この人と一緒に笑い合ったりとか、気兼ねなく喋ったりとか、きっとできることはないんだろうと思って、やはりそれはとても寂しい。それは、あの人が恋人ではなくなったということを超えて、僕のとても大事な友人の一人が、もう僕の過去にしかいないことに対する寂しさである。打ち解けて笑い合って、気まずさなしに一緒に話せたあの人は、僕に対してはもう死んでしまった。いつ死んだのかは解らない。きっと振られたあの日ではなくって、もっと昔のどこかで、僕があんまり気付かないうちに静かに死んでしまったのだろうと思う。
God only knows what I'd be without you. なんて素敵な歌詞だろう。 Spotify のデータで見ると、今年いちばん聞いたアーティストはザ・ビーチボーイズのようだ。それはそうだろうなという感じ。振られて、夏休みが訪れて、僕はおかしくなるくらいまで青春に取り残されたブライアンウィルソンという男の愛と不安とをずうっと聴いていたんだ。
うふふ。こうやって湿っぽく悩んでいると、あの人にはなかなかすぐれた審美眼があったモノだなあと思う。こうも湿っぽい男はやっぱりダメだ。あの人自身がいくら素敵だろうと、こんなのと一緒にいたらいつか腐れてしまう。思い起こすほどに、あの時に、しっかりと僕に引導を渡してくれたあの人は炯眼を持っていたんだなあと思う。あの人が僕と一緒に居続けなくて良かったモノだなあと切に思う。あるいはべつに、そんな良い眼をしていなくともわかるくらいに僕は情けない、仕方のない男だったのだろうか。だったらなんだか嫌だなあ。
ザ・ビーチボーイズ。なんてすてきなホーンの音なんだろう。なんてすてきなオルガンの音なんだろう。愛と不安とが音の壁となって耳に流れ込んでくる。ブライアンは昨年亡くなった。デニスもカールも遠い昔に亡くなって、奥さんのメリンダも一昨年亡くなって、彼もあとを追うように亡くなってしまった。
最近、BBC Music の God Only Knows の MVを観た。BBC Music 設立を記念して、2014年に撮られたものらしく、ファレルやエルトンジョン、カイリーミノーグ、スティービーワンダー、ブライアンメイ、ワンダイレクション、サムスミスといった古今の音楽界を代表する錚々たるメンバーと一緒にブライアンも歌っている。みんな、この場に立てること、ブライアンとともに歌うことができることが、何よりも光栄で仕方がない、というのが伝わってくる。編曲もMVの世界観もなんとも素敵である。今は亡きブライアンもいればワンダイレクションのリアムペインもいて、なんだか本当にここは天国なんじゃないかなという感もある。 MV は最後、ブライアンのアップと、"FOR THE LOVE OF MUSIC"という文字で終わる。ブライアンが音楽に乗せてくれた愛を、ブライアンが亡くなってしまっても時代を超えて僕らは聴いて感じることができる。最初に観た時には、なんだかいろいろ思い起こしてしまって号泣してしまった。いつ観ても素敵な動画である。
今年の仮装はフレディーマーキュリーに扮してみた。見た目はなかなか自分でも納得の出来だったけれども、カラオケで歌ってみて、やっぱりクイーンはすごいんだなと思った。"We Will Rock You" と "Don't Stop Me Now" を歌ってみたけど、曲を聴きながら口ずさんでいる時と全然違って音程も取れないし、なんだか変な空気にしてしまった。反省、反省。まあ楽しかったのでよし。
明日(というか今日だけどね)は遊園地に行くらしい。僕は家にお財布を置いてきてしまって、誰かの厄介になることになりそうだ。ううむ、お財布はいっつも忘れるか無くすかしていて困りモンだね。ともあれ楽しみである。
十一月一日。日曜日。
家庭教師をしていた子が、志望の大学に受かったと連絡を受けて、これはもう嬉しくてしかたがない!一人で、ビールを買ってきて、いろいろに料理をしたのを肴にたくさんがばがばと飲んでやって大変な酩酊具合だ!ああ、よかったなあ、よかったなあ!
大学生になるんだなあ!大学生はとってもいい。これから、あの栄光たる大学生活をはじめからやれるというのだからとてもうらやましい!
大学にはオモチロイことがいっぱいあるよ!とても良い友人もたくさんできる。自分が愛し、自分を愛してくれるひとびとがたくさんできる。というより、すでにたくさんいたことに、様々のひとびとと交わることで気づくことができるんだ。大学はとっても良いところだ!みんながめいめいに人生の最も輝かしい一瞬を生きている!昨今は就活が早期化しているというが、おれはそんなのはごめんだね。ああやって若者から青春を奪い散らかす企業は極悪非道だと思う。若気は至らせれば至らせるほどよいのだ!大好きな友人とお酒をのんで若気の至りでしかない人生やら愛やらについての議論を大真面目にして、翌朝にはお酒ですっかりとわすれてしまっている、あるいは誰か恋焦がれた人に心奪われるあまりに日がな一日苦悩と睡眠に邁進し、単位をその手からポロポロと落っことす、それから失恋の失意のあまり気を狂わせて多摩川を五日かけて踏破しさらなる失意と孤独に喘ぐ、駄文の宝庫たる自分の日記を恥ずかしげもなく全世界に公開するなどの数々の聞くに耐えない若気の至りは、若いうちしかできないものだ。おれはあと数年したら社会に出なくてはいけない。そうしたら、いろいろの責任もあるだろうし、こういう破廉恥不道徳極まりないことはもうできないだろう?栄光たるモラトリアムは、へんに大人ぶらずにしゃぶりつくしたほうがよいのだ!
いろいろの人とかかわって、いろいろの勉強をして、いろいろのオモチロイことをみつけて、今後の人生の糧にしなくちゃいけないよ大学は。ああ、このあと四年間、大学生なんだね君は。目一杯楽しみつくしてほしいな。おれは気づけば大学生活も折り返して、あと二年もないなあ。
あと二年もないじゃないか。おれはここまで何をしてきたのだろう。ここまでの二年半、実益のあることなど何一つしていないのではないか。インターンに行ったり、社会進出を見据えた説明会に出席したりして社会的有為の人材となるための布石を打つ同期を横目に見ながら、将来を見るのが怖くて「おれは勉学をして研究者として立身出世するから、就活はごめんだね」という風を装って、その実非道不道徳の限りに溺れて学問を放棄し、肉体は衰弱して貧弱、年間利用料に一万円も払った大学の御殿下ジムには長らく足を運ばず、授業を抜け出しては物憂げな風だけある様でなあんにも考えずにぼけっと三四郎池を眺めている。
今日だって、迫り来る統計学の検定試験の対策に使う勉強時間を確保するために、まずは大学の課題を終わらせねばならんと思い立って本郷に昼前についたはいいけれど、正門前の吉田とん汁の良〜いニオイにつられて豚汁定食を平らげたが最後、大変な眠気に襲われて図書館で席につくなり眠りこけ、起きた時には16時。それから閉館までやっつけで勉強してみるけど今日終わらせるべきだった課題は一割もおわらなかった。
検定、どうすんの?めっちゃ高かったよねえ受験料。閉館間際になって帰ろうとすると、たまたま同じく図書館で勉強している同期がいた。おんなじ検定の勉強をしていた。ああ、俺が眠ったり娯楽小説を読んだり飯を食ったりまた眠ったりしている間に、まわりの同期たちはよくよく勉強しているんだなあ。こうも怠惰ではいけないよなあと思いつつ、これはもうここ数年来ずうっと思い続けて結局木下は変わってこなかったなあなどとも思って、なんだか少し情けない気分になってトボトボと帰路についた。
そこに件の合格の報告である。なんだかとても自分が誇らしくなって、それにかこつけてがばがばとお酒をのんだけれど、合格したのも、頑張ったのもあくまであの子だ。偉いなあ。俺も頑張らなくちゃ。なんだか興奮して滔々と押し付けがましい助言なぞを書いて送ったものの、なにか助言をできるほどの大人物というわけでもないのだ俺は。これから大人物になるためにも、よくよく勉強しなくちゃ。
お酒は、やっぱりあんまり良くはないね。とくに一人で飲むもんじゃあない。たまに友人と飲み交わすくらいがちょうどいいもんだ。
しかしあの子も大学生か。うふふ、うかうかしていられないね。数年後にたまたま会ったりした時にがっかりされないように、頑張らないと。
明日は実験。ここ三週は光格子時計の香取研にお邪魔して学生実験をやっていて、これが大変オモチロイしとっても贅沢な経験だ。明日でおしまいなんだけどもね。助教の先生はクールだけど人間味があってとても素敵。研究室の事務のおばちゃんも、その他研究室にいらっしゃる人たちも気さくでとても良い雰囲気だ。
検定は気が重くなるけど、ま、がんばるかあ。

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木下智貴
大学三年次恋愛関係の敗北は、私の魅力の敗北であった以上に、私の若い会話力の敗退であった。私の会話の引き出しが風雅なるネイルを施した麗しき栗毛の乙女に対して如何に無力であり、単なるあだ花に過ぎなかったかを、私は身を以て体験し痛感した。近代恋愛文化の摂取にとって、共学大学入学以後二年と半年の歳月は決して短かすぎたとは言えない。にもかかわらず、近代恋愛文化の伝統を確立し、自由な批判と柔軟な良識に富む文化ある人間として自らを形成することに私は失敗して来た。そしてこれは、私への文化の普及滲透を任務とする私の責任でしかなかった。
二〇二六年以来、私は再び振出しに戻り、第一歩から踏み出すことを余儀なくされた。これは大きな不幸ではあるが、反面、これまでの怠惰・未熟・先延ばしの中にあった私の生活に秩序と確たる基礎を齎らすためには絶好の機会でもある。木下書店は、このような私の個人的危機にあたり、微力をも顧みず再建の礎石たるべき抱負と決意とをもって出発したが、ここに創立以来の念願を果すべく木下文庫を発刊する。これまで発見されたあらゆる私の特性の長所と短所とを検討し、古今東西の不朽の典籍とは程遠い薄っぺらな内容を、悪意に満ちた編集のもとに、無償に、そして本棚にふさわしからざる醜本として、多くのひとびとに押し付けてやろうとする。しかし私は徒らに名文の模倣書を作ることを目的とせず、あくまで自分の日常に秩序と再建への道を示し、この文庫を木下書店の栄ある事業として、今後永久に継続発展せしめ、道楽と若気の至りとの殿堂として鼻で笑われんことを期したい。多くの読書子は木下文庫などという馬鹿なものには目をくれずに、是非とも角川文庫の名作の数々を読み、角川文庫への愛情ある忠言と支持とによって、角川書店が角川文庫の希望と抱負とを完遂せしめられんことを願う。
二〇二六年九月二十日
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