量子力学入門 第5部 第2章 §5.2.2 ★ AB効果の概念(発展)
単極子の「ひも」を扱う前に、その道具となる Aharonov–Bohm(AB)効果を一般論として整理しておく。問いはこうだ:磁場 B がゼロの領域しか通らない荷電粒子に、ベクトルポテンシャル A=0 は観測可能な影響を与えうるか?
古典力学の答えは「否」である。運動方程式(Lorentz 力)には E,B しか現れず、A,ϕ は現れない。ところが量子力学では、Schrödinger 方程式に A が直接書き込まれている(極小結合、§5.1.6 以前の議論)。A はゲージ変換で変えられる「計算の道具」にすぎないのか、それとも物理を担うのか——それを判定する思考実験(のちに実験)が AB 効果である。
単連結領域ではベクトルポテンシャルは消せる
★ ゲージで消せる場合
まず「B=0 の領域が単連結(穴がない:領域内の任意の閉曲線を、領域内で連続的に1点に縮められる)」の場合を考える。このとき次が成り立つ。
定理. 単連結領域 D で B=∇×A=0 ならば、あるスカラー関数 f が存在して A=∇f と書ける(すなわち A はゲージ変換で 0 にできる)。
⇐ は ∇×∇f=0 より明らか。⇒(Poincaré の補題)の証明は構成的である:基準点 x0 を固定し、D 内の曲線 C に沿った線積分で
f(x):=∫x0xA⋅dl
と定義する。これが well-defined(経路によらない)ことを見るには、2つの経路 C,C′ の差をとればよい:
∫C−∫C′=∮C−C′A⋅dl=∫S(∇×A)⋅dS=0.
ここで閉曲線 C−C′ の張る面 S を領域 D の内部にとれること——これこそが単連結性の使いどころであり、S 上で B=0 だから積分が消える。こうして f が一意に定まり、A=∇f が従う。
このとき波動関数を ψ′=e−iqf/ℏψ とゲージ変換すれば A は消え、ψ′ は自由粒子の方程式に従う。結論:単連結領域では、B=0 なら A の影響は一切観測されない。古典の直感はここまでは正しい。
非単連結領域:消し残る循環積分
★ 循環積分が残る
状況が一変するのは領域に穴があるときである。典型例が「無限に長いソレノイドの外側」:ソレノイド内部に磁束 Φ が閉じ込められ、外側では至るところ B=0 だが、外側領域はソレノイドの分だけ穴が空いた非単連結領域である。
このとき上の構成は破綻する。穴を挟んで反対側を通る2経路の差は、穴を囲む閉曲線となり
∮CA⋅dl=∫SB⋅dS=Φ = 0
(Stokes の面 S は必然的に穴=ソレノイド内部を横切るから、そこの磁束 Φ を拾う)。線積分が経路に依存してしまい、f を一価の関数として定義できない——A をゲージ変換で大域的に消すことは不可能である。「消し残った」量が、ゲージ不変な線積分 ∮A⋅dl=Φ なのである。
二経路干渉:位相差 qΦ/ℏ
★ 位相差 qΦ/ℏ
消し残った Φ は干渉実験で観測できる。粒子源 x0 からスクリーン上の点 x へ、ソレノイドの左右を通る2経路 C1,C2 を考える。各経路 Ck を含む単連結な部分領域 Sk をとれば、その中では前小節の構成が使えて fk(x):=∫x0xA⋅dl(Ck に沿う)が定義でき、各経路の波は
ψk=eiqfk/ℏψkfree
(ψkfree:A なしの自由伝播解)と書ける。スクリーン上の全振幅は
ψ=ψ1+ψ2=eiqf1/ℏ[ψ1free+eiq(f2−f1)/ℏψ2free],f2−f1=∮C2−C1A⋅dl=Φ.
全体位相 eiqf1/ℏ は観測にかからないが、相対位相 qΦ/ℏ は干渉縞の位置を直接ずらす:
ΔφAB=ℏqΦ
粒子は B=0 の領域に一度も入っていないのに、である。位相差が 2π の整数倍、すなわち
Φ=q2πℏn(n∈Z)
のときだけ縞は Φ=0 の場合と区別がつかない。電子(∣q∣=e)に対するこの周期
Φ0:=e2πℏ=eh
が磁束量子である。この効果は外村彰ら(日立、1986)により、超伝導体で覆った微小磁石を用いて決定的に検証された:漏れ磁場を完全に遮蔽してもなお、縞は磁束に応じてずれたのである。
AB 効果の要点 ★
(i) 単連結・B=0 なら A=∇f で消せる(Poincaré の補題)——影響なし。(ii) 非単連結では ∮A⋅dl=Φ が消し残り、(iii) 二経路干渉の相対位相 qΦ/ℏ として観測される。局所的には B=0 でも、大域的な情報(穴を貫く磁束)を波動関数は感じる——「電磁場の実体は、局所的な E,B だけでは足りず、位相 eiq∮A⋅dl/ℏ(ホロノミー)まで含めて初めて尽くされる」。この見方はゲージ理論の現代的定式化(ファイバー束、§5.2.5参照)へ直結し、本章の Dirac 量子化条件・Berry 位相(第8部『時間依存摂動論とダイナミクス』の第1章)とも同じ数学を共有する。
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