光学と量子エレクトロニクス 第26章 §26.2 ★★★ 摩擦は運動エネルギーを奪い、光子の吸収と放出のでたらめな反跳は加熱する。両者のつり合いの温度は kBT=Dp/η で、最も低くなる Δ=−Γ/2 で ℏΓ/2 になる
摩擦だけなら温度は0になる
式 (26.4) の摩擦だけが働くなら、運動方程式 mv˙=−ηv から速度は e−ηt/m で減り、原子はいずれ止まる。減衰の速さ η/m は、Δ=−Γ, s=1 の 87Rb で 1.05×104s−1 で、およそ 0.1ms で速度が 1/e になる。しかし散乱は1個ずつの光子の吸収と放出でできているので、平均の力のまわりに必ず揺らぎがある。この揺らぎが温度の下限を決める。
反跳による加熱
v=0 の原子を考える。散乱は2本の光から同じ速さ Γsc(Δ) で起こり、合わせて 2Γsc の速さで起こる。1回の散乱は2回の運動量の蹴りを含む。1回目は吸収で、どちらの光から吸収したかによって +ℏk か −ℏk になる。2回目は自然放出で、この節では1次元の模型として、放出の向きも ±x のどちらかが等しい確率で選ばれるとする。蹴りどうしは互いに独立なので、運動量の分散は蹴りの回数に比例して増える(酔歩)。1回の蹴りの分散は (ℏk)2 で、1回の散乱で2回蹴られるので、
dtd⟨p2⟩加熱=2Γsc×2(ℏk)2≡2Dp,Dp=2(ℏk)2Γsc(Δ)(26.5)
となる。Dp を運動量の拡散係数と呼ぶ。分散の増え方を 2Dp と書くのは、拡散方程式の慣例に合わせたためである。
つり合いの温度
摩擦は dtd⟨p2⟩=2⟨pF⟩=−m2η⟨p2⟩ の割合で運動量の分散を減らす。加熱と合わせると
dtd⟨p2⟩=−m2η⟨p2⟩+2Dp(26.6)
で、定常状態では ⟨p2⟩=mDp/η になる。1次元の等分配 ⟨p2⟩/(2m)=kBT/2 で温度を定義すると、
kBT=ηDp(26.7)
を得る。揺らぎ(Dp)と散逸(η)の比が温度になるという形は、Brown 運動の Einstein の関係と同じで、26.6節でもう一度並べる。式 (26.1), (26.4), (26.5) を入れると、ℏk2 と s が分子と分母で打ち消し合って
kBT=4ℏΓ2∣Δ∣/Γ1+s+(2Δ/Γ)2(Δ<0)(26.8)
が残る。
命題 26.1(Doppler 限界 ★★★)
向かい合う2本の弱い光(s→0)による Doppler 冷却の温度 (26.8) は、Δ=−Γ/2 で最小になり、その値は
kBTD=2ℏΓ(26.9)
である。これを Doppler 限界と呼ぶ。
証明
x=2∣Δ∣/Γ>0 とおくと、s→0 で kBT=4ℏΓx1+x2=4ℏΓ(x+x1) である。相加平均と相乗平均の不等式から x+1/x≥2 で、等号は x=1、すなわち ∣Δ∣=Γ/2 のときに限る。このとき kBT=ℏΓ/2 となる。
Doppler 限界は、光の波長にも原子の質量にもよらず、励起状態の寿命だけで決まる。摩擦係数も拡散係数も ℏk2 に比例し、その比を取ると k が消えるからである。最小になる離調が −Γ/2 である理由は、次の兼ね合いにある。離調が小さすぎると、Doppler のずれで散乱の速さがほとんど変わらず(共鳴の頂上は平らで)摩擦が弱い。離調が大きすぎると、共鳴の裾にいて散乱そのものが減る。散乱の速さの傾きと散乱の速さそのものの比 Γsc′/Γsc が最大になるのが、Lorentz 形の半値の点 ∣Δ∣=Γ/2 である。光を強くする(s を大きくする)と、飽和で摩擦が弱まる一方で加熱は減らないので、温度は上がる(図 26.2)。

図 26.2 Doppler 冷却の温度(式 (26.8))を Doppler 限界 TD=ℏΓ/(2kB) で割ったもの。点線はどちらも式どおりの値で、青が弱い光の極限、赤が s=1。弱い光では 2∣Δ∣/Γ=1 で T=TD になり、s=1 では最小が 2TD に上がって 2∣Δ∣/Γ=2 へ移る
例題 26.2 ナトリウムとルビジウムの Doppler 限界 ★★
オリジナルナトリウムの D2 線は Γ/2π=9.79MHz、87Rb の D2 線は Γ/2π=6.07MHz である。
- (1) それぞれの Doppler 限界の温度 TD を求めよ。
- (2) 87Rb が TD にあるときの1方向の速度の標準偏差 kBTD/m を求め、反跳速度 vrec の何倍か答えよ。
解答
(1) TD=ℏΓ/(2kB) に入れる。ナトリウムでは
TD=2×1.3806×10−23(1.0546×10−34)(2π×9.79×106)K=235μK,
87Rb では Γ の比だけ小さく 146μK になる。どちらも質量と波長によらないので、自然幅の比 9.79/6.07 がそのまま温度の比になる。
(2) kBTD/m=(1.3806×10−23)(1.456×10−4)/(1.443×10−25)ms−1=0.118ms−1 で、vrec=5.88mms−1 の 20.1 倍である。Doppler 限界では、原子の運動量の揺らぎはまだ光子数十個分あり、光子1個の反跳よりはるかに大きい。この余裕が、次の節の偏光勾配冷却がさらに温度を下げられる余地になる。
例題 26.3 3次元の光の糖蜜でも限界は同じ ★★
オリジナル±x, ±y, ±z の6本の弱い光(どれも飽和パラメータ s、離調 Δ)で原子を冷やす。光どうしの干渉は無視し、自然放出の向きは全立体角に一様に分布するとする。x 方向の運動量の拡散係数 Dp(x) を求め、x 方向の温度が1次元の式 (26.8) と同じになることを示せ。
解答
x 方向の摩擦は ±x の2本の光だけから来るので、摩擦係数は1次元と同じ η である。
加熱には2つの寄与がある。吸収の蹴りが x 方向に入るのは ±x の2本からの散乱だけで、その速さは 2Γsc、1回の分散は (ℏk)2 なので、分散の増え方は 2Γsc(ℏk)2 である。放出の蹴りは6本すべての散乱で起こり、その速さは 6Γsc である。向きが一様なとき、放出の運動量の x 成分の2乗の平均は (ℏk)2⟨cos2ϑ⟩=(ℏk)2/3 なので、分散の増え方は 6Γsc×(ℏk)2/3=2Γsc(ℏk)2 である。合わせて
2Dp(x)=2Γsc(ℏk)2+2Γsc(ℏk)2=4Γsc(ℏk)2
となり、1次元の式 (26.5) と一致する。η も Dp も同じなので、温度 Dp/η も同じで、Doppler 限界は3次元でも ℏΓ/2 である。1次元の模型で放出の向きを ±x に限ったのは粗い仮定に見えるが、6本の光では放出の向きを1方向あたり3倍の回数で割り振るので、ちょうど同じ値になる。
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