光学と量子エレクトロニクス 第30章 §30.3 ★★★ 真空のどのモードにも光子半個分のエネルギーが残り、電場は ℏω3/(2π2ε0c3) のスペクトルで揺らぐ。光検出器はこれを数えないが、原子の準位はこれで GHz の桁ずれる
真空の電場のスペクトル
すべてのモードの光子数が 0 の状態 ∣vac⟩ を真空と呼ぶ。式 (30.4) で ⟨vac∣a^a^†∣vac⟩=1 だけが残るので
⟨vac∣E^(r)2∣vac⟩=k,s∑2ε0Vℏωk
である。箱を大きくすると和は ∑k,s→∫g(ω)dω に置き換わり、モードの数の密度 g(ω)=Vω2/(π2c3)(両偏光、第1章と同じ)を使うと、真空の電場の2乗の、角周波数あたりの分布(スペクトル)は
SE(ω)=Vg(ω)2ε0ℏω=2π2ε0c3ℏω3,⟨vac∣E^2∣vac⟩=∫0∞SE(ω)dω(30.15)
になる。V は消え、真空の揺らぎは箱の大きさに依らない。積分は ω4 で発散するので、どこまでの角周波数を数えるかを物理の問題ごとに決める必要がある。
温度 T の熱放射では、各モードの光子数の平均が Planck の分布 nB(ω)=1/(eℏω/kBT−1) になり、電場と磁場を合わせたエネルギー密度のスペクトルは
u(ω)=ε0⋅2SE(ω)(nB(ω)+21)=π2c3ℏω3(nB(ω)+21)(30.16)
になる(電場のエネルギーと磁場のエネルギーは等しく、⟨n∣E^2∣n⟩∝2n+1)。第20章で使った Planck の u(ω) は nB の項だけで、21 の項が真空の分である。真空はどのモードにも「光子半個分」のエネルギーを持つと言い換えることができる。nB=21 になるのは ℏω=kBTln3 のときで、それより高い周波数では熱の光子より真空の揺らぎのほうが大きい(図 30.3)。室温では ν=6.87THz(波長 43.7μm)より上で、可視光のモードは真空の揺らぎだけでほぼ決まっている。

図 30.3 1つのモードあたりの熱の光子数 nB(ω)(実線)と、真空の揺らぎの分 21(破線)。交点は hν=kBTln3 で、300K では 6.87THz、3000K では 68.7THz。可視光(4×1014〜8×1014Hz)はどちらの温度でも真空の揺らぎが勝つ。
光検出器は真空を数えない
検出器は光を吸収して初めて信号を出すので、電場が揺らいでいても、真空の中に置いた光検出器は光子を数えない。検出器の原子が基底状態から上がるとき、場の状態は光子を1個失う。この過程の振幅は、式 (30.4) のうち a^ を含む部分(正の周波数の部分)E^(+) で決まり、光子を数える速さは⟨E^(−)⋅E^(+)⟩(E^(−)=(E^(+))†)に比例する(Glauber(1963)、Phys. Rev. 130, 2529)。この順序では a^ が右にあるので、真空での期待値は 0 である。a^ と a^† の順序を入れ替えた分 21 が、⟨E^2⟩ には入り、検出器の信号には入らない。第32章の g(2) は、この並べ方(正規順序)をそのまま2回の検出に広げたものである。
真空の揺らぎは、検出器が光を吸収する場合でなく、場が原子に作用し続ける場合に観測にかかる。1つは原子の準位のずれで、次の小節で大きさを見積もる。もう1つは自然放出で、励起した原子は真空の中でも光を出して基底状態に落ちる(30.4節)。自然放出の速さを、真空の揺らぎが原子を揺らす分と、原子の出した場が原子自身に返る分(放射の反作用)に分けると、演算子の並べ方を対称に選んだときに2つが同じ大きさになることが示されている(Dalibard, Dupont-Roc, Cohen-Tannoudji(1982)、J. Physique 43, 1617)。同じ分け方で、基底状態では2つが打ち消し合い、基底状態の原子は真空の中で励起されない。
真空の揺らぎで原子の準位がずれる
Welton は、真空の電場に揺すられた電子の位置の広がりから、水素の 2s と 2p の準位のずれを見積もった(Welton(1948)、Phys. Rev. 74, 1157)。角周波数 ω の成分 Eω は、原子の束縛より速く振動する(ω が原子の遷移の角周波数より大きい)なら、ほぼ自由な電子を mδr¨=−eEω で揺らし、ずれは δrω=eEω/(mω2) になる。各成分は位相がばらばらなので2乗を足し合わせると、式 (30.15) を使って
⟨(δr)2⟩=∫ωminωmaxm2ω4e2SE(ω)dω=π2αfs(mcℏ)2lnωminωmax(30.17)
になる(αfs=e2/(4πε0ℏc) は微細構造定数)。下の端 ωmin は電子を自由とみなせなくなる原子の角周波数、上の端 ωmax は非相対論の扱いが使えなくなる mc2/ℏ で、どちらも対数の中にしか入らない。電子が感じる Coulomb ポテンシャル V(r) を、揺らぎの分だけずらした位置で平均すると、エネルギーは 61⟨(δr)2⟩∇2V だけずれる。∇2V は原子核の位置のデルタ関数に比例するので、ずれるのは原点で波動関数が 0 でない s の状態だけで、2p はずれない。この見積もりは古典の揺らぎの計算に零点の揺らぎの大きさを入れたもので、対数の中の端を決める規則を持たない。その範囲で、Lamb と Retherford が測った 2s1/2 と 2p1/2 の間隔(約 1000MHz。Lamb, Retherford(1947)、Phys. Rev. 72, 241)の桁を説明する(例題 30.3)。
例題 30.3 真空の揺らぎによる水素の 2s 準位のずれ ★★
オリジナル
- (1) 式 (30.17) の右辺を、SE(ω) と e2/ε0=4παfsℏc から導け。
- (2) Coulomb ポテンシャル V=−e2/(4πε0r) について ∇2V=(e2/ε0)δ(3)(r) を使い、2s 状態(∣ψ2s(0)∣2=1/(8πa03))のずれがΔE2s=6παfs5mc2ln(ωmax/ωmin) になることを示せ。
- (3) ℏωmax=mc2 とし、ℏωmin を (a) αfs2mc2(Rydberg の2倍)、(b) 17.8Ry としたときの ΔE2s/h を MHz で求めよ。(3)(b) のとき、電子の位置の揺らぎの大きさ ⟨(δr)2⟩ はいくらか。
解答
(1) m2ω4e2⋅2π2ε0c3ℏω3=2π2ε0m2c3e2ℏ⋅ω1 を積分すると対数になる。係数に e2/ε0=4παfsℏc を入れて2π2m2c34παfsℏ2c=π2αfs(mcℏ)2。
(2) ΔE2s=61⟨(δr)2⟩ε0e2∣ψ2s(0)∣2=61⋅π2αfs(mcℏ)2⋅4παfsℏc⋅8πa031lnωminωmax。数の係数は 61⋅π2⋅4π⋅8π1=6π1 で、a0=ℏ/(mcαfs) から (ℏ/mc)2ℏc/a03=αfs3mc2。まとめて ΔE2s=6παfs5mc2ln(ωmax/ωmin)。
(3) αfs5mc2/(6π) を周波数にすると 135.6MHz である。(a) ln(1/αfs2)=9.84 で ΔE2s/h=1.33×103MHz。(b) 1Ry=21αfs2mc2=13.6eV なので ln(mc2/17.8Ry)=7.65 で、1.04×103MHz。(b) は Bethe が原子の励起エネルギーの平均として 17.8Ry を使って得た値(約 1040MHz。Bethe(1947)、Phys. Rev. 72, 339)と同じ式になる。位置の揺らぎは (2αfs/π)×7.65×ℏ/(mc)=7.28×10−14m で、Bohr 半径の 1.4×10−3 倍である。この小さな揺らぎが、原点で鋭く変わる Coulomb ポテンシャルを平均することで、GHz の桁のずれになる。
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