解析力学から様々な理論分野を組み立てる 第4部 第5章 §4.5.4 ★★★ 回転対称な H^ のエネルギー準位は 2l+1 重に縮退する。水素原子では Runge–Lenz ベクトルが加わって対称性が大きくなり、縮退が n2 重になって準位の式まで代数で決まる
2l+1 重の縮退
中心力の H^(式 (4.5.6))は L^x,L^y,L^z のすべてと可換なので、L^± とも L^2 とも可換である。H^, L^2, L^z の同時固有状態 ∣E,l,m⟩ をとると、H^L^±∣E,l,m⟩=L^±H^∣E,l,m⟩=EL^±∣E,l,m⟩ で、L^± はエネルギーを変えずに m だけを上下する。したがってエネルギー E の固有空間は、m=−l,…,l の 2l+1 個の状態をまとめて含む。これが中心力の準位が 2l+1 重に縮退する理由で、ポテンシャル V(r) の形によらない。古典力学で言えば、軌道を回転させた軌道は同じエネルギーを持つ、ということに当たる。
縮退が分かれば、残る問題は動径方向だけになる。直交座標で直接計算すると、恒等式
L^2=r^2p^2−(r^⋅p^)2+iℏr^⋅p^(4.5.12)
が成り立つ(古典の ∣r×p∣2=r2p2−(r⋅p)2 に、順序を入れ替えた分の iℏr^⋅p^ が付いた形)。位置表示で r^⋅p^=−iℏr∂r なので、−(r^⋅p^)2+iℏr^⋅p^=ℏ2(r2∂r2+2r∂r) となり、
p^2=−r2ℏ2∂r∂(r2∂r∂)+r2L^2(4.5.13)
を得る。ψ=R(r)Y(θ,φ) で L^2Y=l(l+1)ℏ2Y とすると、Schrödinger 方程式は動径の方程式
[−2Mr2ℏ2drd(r2drd)+2Mr2l(l+1)ℏ2+V(r)]R(r)=ER(r)(4.5.14)
になる。第2項は第2部第1章の有効ポテンシャル L2/(2Mr2)+V(r) の遠心力の項で、保存する L2 を固有値 l(l+1)ℏ2 に置き換えた形である。古典で「保存量を H の中で固定すると1自由度に落ちる」と言った操作が、量子では「保存量の固有値で状態を分けると動径の方程式に落ちる」になっている。
水素原子の n2 重の縮退
Coulomb ポテンシャル V(r)=−κ/r(水素原子では κ=e2/(4πε0))では、準位は主量子数 n だけで決まり、l=0,1,…,n−1 の準位がすべて同じエネルギーを持つ。縮退の数は ∑l=0n−1(2l+1)=n2 で、回転対称性から説明できる 2l+1 より大きい。回転対称性より大きい対称性があることになる。
古典の Kepler 問題では、角運動量とエネルギーのほかに Runge–Lenz ベクトルが保存した(第2部第1章。そこでは ARL=p×L−Mκr/r)。これは運動量について2次の式で、点変換では見えない対称性の生成子である。量子力学では、p^×L^ がエルミートでない(p^ と L^ が可換でない)ので、エルミートになるように対称化して
A^RL=21(p^×L^−L^×p^)−Mκrr^(4.5.15)
と定める。この演算子について次の関係が成り立つ(Pauli が1926年に水素原子の準位を出すのに使った1W. Pauli (1926), Zeitschrift für Physik 36, 336. 行列力学で、Schrödinger 方程式を解かずに水素原子の準位を出した。)。
命題 4.5.5(量子の Runge–Lenz ベクトル ★★★)
H^=p^2/(2M)−κ/r に対して
[A^RL,H^]=0,L^⋅A^RL=A^RL⋅L^=0,[A^i,A^j]=−2iℏMH^k∑ϵijkL^k,A^RL2=2MH^(L^2+ℏ2)+M2κ2(4.5.16)
が成り立つ。ここで A^i は A^RL の成分である。また A^RL はベクトル演算子で、[L^i,A^j]=iℏ∑kϵijkA^k。
最後の主張は、式 (4.5.15) が r^, p^, L^ のベクトル積と、スカラー 1/r を掛けたベクトルでできていることから従う。残りの4つは、交換関係 [x^i,p^j]=iℏδij だけを使う長いが機械的な計算で出る。この本では計算を書き下す代わりに、scripts/verify_ch4-05.py で微分演算子として試験関数に当て、どれも成り立つことを確かめた。古典の極限ではA^RL2 の式の ℏ2 が消え、第2部第1章の ∣ARL∣2=M2κ2+2ME∣L∣2 に戻る。
関係 (4.5.16) から準位を出す。エネルギー E<0 の固有空間に話を限ると、そこで H^ は数 E に置き換えられるので、
K^:=−2MEA^RL(4.5.17)
と規格化すると、[K^i,K^j]=iℏ∑kϵijkL^k となる。さらに
J^(1):=21(L^+K^),J^(2):=21(L^−K^)(4.5.18)
と組み替えると、[J^i(1),J^j(1)]=iℏ∑kϵijkJ^k(1)、J^(2) についても同じ式、そして [J^i(1),J^j(2)]=0 が成り立つ。たとえば [J^i(1),J^j(2)]=41([L^i,L^j]−[L^i,K^j]+[K^i,L^j]−[K^i,K^j]) の4項は、どれも iℏ∑kϵijk に L^k, −K^k, +K^k, −L^k を掛けたもので、和が 0 になる。6つの生成子 L^, K^ は、互いに可換な2組の角運動量に分かれたことになる。これは4次元の回転の生成子の組で、Kepler 問題の束縛状態が4次元の回転対称性を持つことの量子版である。
2組は定理 4.5.4 の条件を満たすので、(J^(1))2=j1(j1+1)ℏ2, (J^(2))2=j2(j2+1)ℏ2 と書くことができる。L^⋅K^=K^⋅L^=0 から (J^(1))2−(J^(2))2=21(L^⋅K^+K^⋅L^)=0 なので j1=j2=:j。和は (J^(1))2+(J^(2))2=21(L^2+K^2) で、式 (4.5.16) の最後の関係を −2ME で割るとK^2=−L^2−ℏ2−Mκ2/(2E) なので
2j(j+1)ℏ2=21(−ℏ2−2EMκ2)⟹(2j+1)2ℏ2=−2EMκ2.
n:=2j+1 とおくと n=1,2,3,… で
En=−2ℏ2n2Mκ2(4.5.19)
を得る。Schrödinger 方程式を一度も解かずに、交換関係だけから水素原子の準位が出た。
縮退の数は、J^(1) と J^(2) がそれぞれ 2j+1 個の状態を持ち互いに独立なので、(2j+1)2=n2 である。どの l が含まれるかは、L^z=J^z(1)+J^z(2) の固有値の数え上げで分かる。m1,m2∈{−j,…,j} で m1+m2=m となる組は 2j+1−∣m∣ 個あり、1つの l は ∣m∣≤l の各 m に1個ずつ状態を持つので、m と m+1 の個数の差 1 が「ちょうど l=m の組が1つある」ことを示す。したがって l=0,1,…,2j=n−1 が1回ずつ現れ、∑l=0n−1(2l+1)=n2 と合う(図 4.5.2)。

図 4.5.2 水素原子の準位(式 (4.5.19)、M=me)。横に並んだ l=0,…,n−1 の準位が同じ高さにあり、1本の準位は 2l+1 個の状態を持つ。n ごとの状態の数は 1,4,9,16。n=3,4 の間隔は図の中では詰まって見える
例題 4.5.4 水素原子の n=3 の準位と、アルカリ原子で縮退が解ける理由 ★★
オリジナル
- (1) 水素原子の n=3 の準位に含まれる (l,m) の組をすべて挙げ、個数が n2 になることを確かめよ。j と l の関係も述べよ。
- (2) M=me, κ=e2/(4πε0) として E1,E2,E3 を eV で求め、n=3 から n=2 へ移るときに出る光の波長を求めよ。陽子の質量を有限にして M を換算質量に替えると、波長はいくら変わるか。
- (3) ナトリウム原子の最も外側の電子は、内側の電子に遮蔽された原子核の電荷を感じる。原子核の近くでは −11κ/r、遠くでは −κ/r に近いポテンシャルである。このとき 3s と 3p の準位はなぜ分かれるか。この章の言葉で説明せよ。
解答
(1) j=(n−1)/2=1 で、l=0,1,2。l=0 は m=0 の1個、l=1 は m=−1,0,1 の3個、l=2 は m=−2,…,2 の5個で、合計 9=32 個である。2組の j=1 の角運動量(それぞれ3状態)の組み合わせ 3×3 が、l=0,1,2 に分かれている。
(2) Mκ2/(2ℏ2) に数値を入れると 13.61eV で、E1=−13.61eV, E2=−3.40eV, E3=−1.51eV。n=3→2 で出る光のエネルギーは 13.61×(41−91)=1.890eV で、波長は hc/(1.890eV)=656.1nm(赤い Balmer 線)。換算質量 memp/(me+mp) は me より 1/1837 ほど小さいので、エネルギーが同じ割合で下がり、波長は 656.5nm に伸びる(真空中の値)。
(3) ポテンシャルは r だけの関数なので回転対称性は残り、各準位の 2l+1 重の縮退は残る。しかし 1/r の形でなくなるので、命題 4.5.5 の [A^RL,H^]=0 が成り立たない(この交換子が 0 になる計算は、V が 1/r に比例することを使う)。Runge–Lenz ベクトルが保存しなくなると、異なる l の準位を結ぶ生成子が無くなり、l の違う準位を同じエネルギーに保つ理由がなくなる。s 電子(l=0)は遠心力の壁がなく原子核の近くまで入り込み、遮蔽の弱い強い引力を感じるので、3s が 3p より低くなる。古典力学で言えば、1/r からずれたポテンシャルでは楕円軌道の近点が1周ごとに回って軌道が閉じなくなる(第2部第1章)ことに当たる。
ほかの巻では
- 近似の数理 第10章:水素の厳密な準位から出発して、ヘリウムと多電子原子の近似(摂動・変分・Hartree–Fock)を比べる
1 W. Pauli (1926), Zeitschrift für Physik 36, 336. 行列力学で、Schrödinger 方程式を解かずに水素原子の準位を出した。
AI(Claude)が書いた教材を、木下が勉強しながら公開しています。式と数値は検算していますが、誤りが残っているかもしれません。誤りのご指摘・削除のご依頼をいただければ直します。 連絡先:support@tecktom.com