近似の数理 第4章 §4.7 ★★ 完全 CI が「基底を固定した下での厳密解」であることと、電子間カスプが相関エネルギーの収束を遅くする理由
Slater 行列式の張る部分空間
N 電子系の状態空間は、N 個の電子の座標(位置とスピン)の関数のうち、2電子の入れ替えで符号を変える(反対称な)もの全体 HN である。1電子の正規直交なスピン軌道 χ1,…,χM を選ぶと、そのうち N 個χi1,…,χiN(i1<⋯<iN)からSlater 行列式
Φi1⋯iN(x1,…,xN)=N!1det[χia(xb)]a,b=1N
が作れる。これらは互いに正規直交で、その個数は (NM) である。
完全 CI(full configuration interaction)とは、この (NM) 次元部分空間で Rayleigh–Ritz を行うことである。したがって4.2節の結果がそのまま当てはまる。完全 CI のエネルギーは真の基底状態エネルギーの上界で、軌道を足せば単調に下がり、励起状態の根も交互定理に従う。しかも、選んだ M 個の軌道で作れるあらゆる反対称関数の中で最良なので、「軌道の基底を固定した下での厳密解」と呼ばれる。誤差はすべて1電子基底の不完全さに由来する。
1電子基底を増やしていって {χi} が1電子の空間で完備になれば、Slater 行列式全体は HN で完備になる。理由は、{χi} が正規直交基底なら積 χi1(x1)⋯χiN(xN) の全体が N 電子の(反対称とは限らない)関数空間の正規直交基底になり(テンソル積の基底)、それを反対称化したものが Slater 行列式だからである。したがって定理4.9により、完全 CI のエネルギーは真の値に収束する。これに対して、Hartree–Fock 法は Slater 行列式1個の中で最良のものを探す方法で、部分空間ではなく「行列式1個」という非線型な集合の上の変分である(第5章)。また CI 展開を1電子・2電子励起までで打ち切る方法(CISD)も、より小さな部分空間での Rayleigh–Ritz なので上界性は保たれる。
電子間カスプと部分波展開の遅い収束
完全 CI は収束するが、その速さは遅い。原因は4.5節の例題で見た電子間カスプである。Slater 行列式は軌道の積の和なので、2電子の座標が一致する点 r12=0 のまわりで滑らかで、r12 についての傾きは 0 になる。真の波動関数は ψˉ≈ψ∣r12=0(1+21r12) と尖っているので、有限個の行列式ではこの尖りを再現できない。
ヘリウム原子でこれを定量的に見る。2電子の波動関数を、2電子の位置ベクトルのなす角 θ12 についてLegendre 多項式で展開する(部分波展開)。角運動量 l までの軌道を使った CI は、この展開を l で打ち切ったものに当たる。2電子が同じ距離 r1=r2=r にいるとき r12=r2−2cosθ12 なので、カスプの因子 1+21r12 をcosθ12 の Legendre 展開にすると、(4.11) により係数は l−2 でしか減らない。これを受けて、エネルギーへの部分波 l の寄与がおよそ (l+21)−4 で減ること、したがって l≤L で打ち切った誤差がL−3 程度でしか減らないことが C. Schwartz(1962年)によって示された。指数収束からは程遠い。
量子化学の実務でもこの代数収束がそのまま現れる。相関を取り込む計算で基底関数の大きさ(含める角運動量の上限など)を上げていったとき、相関エネルギーの誤差がおおよそ X−3(X は基底の大きさの指標)で減るという経験則が知られ、これを使って無限大の基底への外挿が行われる。基底の大きさの −3 乗という遅さは、Schwartz の L−3 と同じ起源を持つ。
ヘリウムの基底状態エネルギーの階層
核電荷 Z=2 のヘリウムで、e−ζ(r1+r2) 1個の試行関数を使うと、E(ζ)=ζ2−2Zζ+85ζ を最小化して ζ=Z−165=1627、E=−(1627)2≈−2.8477 hartree になる(検算スクリプト)。軌道の形を自由にした Hartree–Fock の極限は約 −2.8617、真の値は約 −2.9037 である(いずれも文献値)。Hartree–Fock と真の値の差 ≈−0.042 hartree が相関エネルギーで、これを CI で取り込もうとすると、上で述べた電子間カスプのために部分波が L−3 でしか収束しない。
部分空間を変えて解決する:explicitly correlated 法
収束の遅さの原因が「部分空間の関数がすべて r12 について滑らか」であることなら、対処は明らかで、r12 を陽に含む関数を部分空間に入れればよい。E. A. Hylleraas は1929年に、r1+r2、r1−r2、r12 の多項式と指数関数の積でヘリウムの波動関数を展開し、少数の項で精度の高いエネルギーを得た。現代の量子化学の R12 法・F12 法も同じ考えで、通常の行列式展開に r12 の関数(r12 そのものや(1−e−γr12)/γ)を掛けた項を加えて電子間カスプを満たさせ、基底の大きさに対する収束を大きく速める。
これは Céa の補題の右辺 infv∈Vn∥u−v∥ を小さくするために、真の解の特異性の形を部分空間に組み込む、という戦略である。数学の言葉では「解の正則性を事前に知っていれば、それに合わせた近似空間で代数収束を指数収束に近づけられる」。カスプ条件は方程式から導かれる解の正則性の情報であり、ここで微分方程式の定性的理論が直接計算の役に立っている。
例題 4.8 2サイト模型の完全 CI と行列式1個 ★★
オリジナル2つの原子の位置に置いた正規直交な空間軌道 ϕa,ϕb だけを使う、2電子の模型を考える。1電子のハミルトニアン h の行列要素は⟨ϕa,hϕa⟩=⟨ϕb,hϕb⟩=0、⟨ϕa,hϕb⟩=−t(t>0)とし、電子間の反発は2電子が同じ軌道 ϕa または ϕb にいるときだけ U>0 のエネルギーを与えるとする(Hubbard の2サイト模型)。結合性軌道 g=(ϕa+ϕb)/2 と反結合性軌道 u=(ϕa−ϕb)/2 は h の固有関数で、固有値はそれぞれ −t、+t である。
- スピン軌道は gα,gβ,uα,uβ の4個である。作れる Slater 行列式の個数を求めよ。また g に2電子を入れた行列式Φg のエネルギー ⟨Φg,HΦg⟩ を求めよ。
- Φg と行列要素を持ちうる行列式は u に2電子を入れた Φu だけであることを示し、2行2列の CI 行列を作って最低固有値を求めよ。
- t=1、U=4 のとき、Φg のエネルギーと (2) の値、および相関エネルギーを求めよ。また U/t→∞ でそれぞれがどうなるかを述べよ。
解答
(1) 4個のスピン軌道から2個を選ぶので (24)=6 個である。Φg の空間部分はg(r1)g(r2)=21[ϕaϕa+ϕaϕb+ϕbϕa+ϕbϕb] で、スピン部分は1重項である。1電子部分は 2×(−t)。2電子が同じ軌道にいる成分 ϕaϕa、ϕbϕb の重みは 41+41=21 なので反発は U/2。よって ⟨Φg,HΦg⟩=−2t+U/2 である。
(2) ϕa↔ϕb の入れ替えで H は変わらず、g は符号を変えず u は符号を変える。g と u を1個ずつ含む行列式は入れ替えで符号を変え、Φg は変えないので、両者の間の H の行列要素は 0 である。また2電子のスピンがそろった2個の行列式はスピンの z 成分が ±1 で、z 成分 0 の Φg とは結合しない。残るのは Φu だけである。Φu の空間部分は 21[ϕaϕa−ϕaϕb−ϕbϕa+ϕbϕb] なので、(1) と同じ数え方で⟨Φu,HΦu⟩=2t+U/2。非対角要素は、h が g,u について対角なので1電子部分は 0 で、反発の部分はϕaϕa、ϕbϕb の成分の係数の積から U(41+41)=U/2 となる。CI 行列と最低固有値は
(−2t+U/2U/2U/22t+U/2),ECI=2U−4t2+4U2.
Φg と同じ対称性を持つ行列式はこの2個で尽きるので、これは6個の行列式全部を使った完全 CI と同じ答えであり、この軌道の基底を固定した下での厳密な基底状態エネルギーである。
(3) t=1、U=4 では ⟨Φg,HΦg⟩=0、ECI=2−22=−0.8284 で、相関エネルギーは −0.8284 である。Rayleigh–Ritz の上界性どおり、1次元の部分空間 {Φg} の値は2次元の部分空間の値より上にある。U/t→∞ では ⟨Φg,HΦg⟩=−2t+U/2 は U に比例して増えるのに対し、ECI≈−4t2/U→0 である。行列式1個は U の大きさに関係なく2電子を確率 21 で同じ原子に置いてしまい、反発を避けるように2電子の位置をずらすことができない。Φu を混ぜるとこの成分を打ち消せる。行列式1個という集合の外へ出ることで初めて電子相関が取り込まれる、という事情の最小の例である(検算スクリプト)。
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