近似の数理 第14章 §14.2 ★★ 教科書で最もよく使われる Markov の方程式は結合の2次までは正しいが、密度行列の正値性を保証しない
Redfield 方程式
(14.7) からさらに2段の置き換えをする。第1段で、右辺の ρ~S(s) を ρ~S(t) に替える。第2段で、s=t−u と書き直し、u の積分の上限 t を ∞ に伸ばす。どちらも、浴の相関関数
C(u)=Tr(ρ^BB~(u)B^),B~(u)=eiH^Bu/ℏB^e−iH^Bu/ℏ(14.8)
が u について時間 τB で減衰し、その間に ρ~S がほとんど変わらないことを当てにしている。
結果を見やすくするため、系の演算子を Bohr 周波数で分解する。H^S の固有値 E への射影を Π^E とし
A^(ω)=E′−E=ℏω∑Π^EA^Π^E′(14.9)
とおく。A^(ω) は系のエネルギーを ℏω だけ下げる演算子で、A^(ω)†=A^(−ω)、∑ωA^(ω)=A^、eiH^St/ℏA^(ω)e−iH^St/ℏ=e−iωtA^(ω) を満たす。浴の側は、相関関数の片側の Fourier 変換
Γ(ω)=ℏ21∫0∞eiωuC(u)du=21γ(ω)+iS(ω),γ(ω)=ℏ21∫−∞∞eiωuC(u)du(14.10)
にまとまる(C(−u)=C(u)∗ から 2ReΓ(ω)=γ(ω)。γ(ω) は遷移の速さ、S(ω) は準位のずれを与える)。2段の置き換えをして Schrödinger 描像に戻すと、A. G. Redfield(IBM J. Res. Dev. 1, 19 (1957))の方程式
dtdρ^S=−ℏi[H^S,ρ^S]+λ2ω∑Γ(ω)(A^(ω)ρ^SA^−A^A^(ω)ρ^S)+h.c.(14.11)
が出る(h.c. は直前の2項のエルミート共役)。トレースは保たれ、時間に依らない生成子を持つので、解は半群になる。
Kossakowski 行列と完全正値性
(14.11) の右辺を、A^=∑ω′A^(ω′)† を使って A^(ω)ρ^SA^(ω′)† の形の項に並べ直すと、その係数は
cωω′=λ2(Γ(ω)+Γ(ω′)∗)(14.12)
になる(残りは交換子の項と反交換子の項で、トレースを保つように決まる)。この行列 c を Kossakowski 行列と呼ぶ。14.4 節の GKSL の定理によれば、半群が完全正値になる必要十分条件は c が半正定値であることである。
命題 14.2(Redfield 方程式は完全正値でない ★★)
系の Bohr 周波数が ±ω0 の2つだけで(2準位)、γ(ω0)=γ(−ω0) なら、(14.12) の 2×2 の行列は負の固有値を持つ。熱平衡の浴では γ(−ω0)=e−βℏω0γ(ω0)(14.3 節)なので、有限の温度のすべてでこの場合に当たる。
証明
γ±=γ(±ω0)、S±=S(±ω0) とおくと、対角成分は λ2γ±、非対角成分は λ2[21(γ++γ−)+i(S+−S−)] である。行列式は
λ4[γ+γ−−41(γ++γ−)2−(S+−S−)2]=−λ4[41(γ+−γ−)2+(S+−S−)2]<0
で、2×2 のエルミート行列の行列式が負なら固有値の一方は負である。
完全正値でなくても、正値性(系だけの密度行列が負の固有値を持たないこと)は保たれるかもしれない。次の例題は、それも壊れることを具体的に示す。
例題 14.2 温度 0 の2準位の Redfield 方程式で密度行列が負の固有値を持つ ★★★
オリジナル2準位 H^S=2ℏω0σz を、A^=σx で温度 0 の浴に結合させる。A^(ω0)=σ−、A^(−ω0)=σ+ で、λ2Γ(ω0)=γ0/2(準位のずれは無視する)、Γ(−ω0)=0 とする。
- (1) (14.11) がdtdρ^=−ℏi[H^S,ρ^]+γ0(σ−ρ^σ+−21{σ+σ−,ρ^}+)+2γ0(σ−ρ^σ−+σ+ρ^σ+)になることを示し、Kossakowski 行列の固有値を求めよ。
- (2) 純粋状態 ∣ψ⟩=cos2a∣e⟩+sin2a∣g⟩ から出発すると、ρ^(t) の小さいほうの固有値は t の1次で γ0tcos22acosa と変わることを示せ。これが最も速く負になる a と、そのときの係数を求めよ。
- (3) ω0=10γ0 と ω0=2γ0 で、(2) の状態の最小固有値がどこまで負になるかを数値で調べよ。永年近似(最後の項を捨てる)をした方程式ではどうなるか。
解答
(1) (14.11) の2項目に A^(ω0)=σ− を入れると 2γ0(σ−ρ^σx−σxσ−ρ^)。σx=σ−+σ+ と σ−2=0 を使い、エルミート共役を足すと 2γ0[2σ−ρ^σ+−σ+σ−ρ^−ρ^σ+σ−+σ−ρ^σ−+σ+ρ^σ+] で、与式になる。(σ−,σ+) を基底とする Kossakowski 行列は (γ0γ0/2γ0/20) で、固有値は 2γ0(1±2)、すなわち 1.207γ0 と −0.207γ0 である。命題 14.2 の γ−=0 の場合にあたる。
(2) t=0 で固有値 0 の固有ベクトルは ∣ψ⊥⟩=sin2a∣e⟩−cos2a∣g⟩ で、1次の摂動により固有値は t⟨ψ⊥∣Lρ^(0)∣ψ⊥⟩ だけ動く。交換子と反交換子の項は ∣ψ⟩⟨ψ∣ の両側に ∣ψ⟩ を残すので ∣ψ⊥⟩ との内積で消え、残るのは F^kρ^F^l† の項だけで、v=(⟨ψ⊥∣σ−∣ψ⟩,⟨ψ⊥∣σ+∣ψ⟩)=(−cos22a, sin22a) とすると v†cv=γ0cos42a−γ0cos22asin22a=γ0cos22acosa。u=cosa とおくと 21(u+u2) で、u=−21(a=2π/3、∣ψ⟩=21∣e⟩+23∣g⟩)のとき最小値 −81 をとる。この状態では最小固有値が −γ0t/8 の速さで負になり始める。Kossakowski 行列が負の固有値を持つと、それに対応する向きで正値性が最初の瞬間から破れる。
(3) 行列指数関数で解くと(図 14.1)、ω0=10γ0 では γ0t≈0.064 で最小固有値が −5.1×10−3、ω0=2γ0 では γ0t≈0.36 で −0.027 まで下がる。最後の項 2γ0(σ−ρ^σ−+σ+ρ^σ+) は相互作用描像で e∓2iω0t で回るので、時間 1/ω0 の程度で平均すると打ち消し合う。負の値が γ0/ω0 に比例して小さくなるのはこのためである。この項を捨てた振幅減衰の方程式は Kossakowski 行列が diag(γ0,0) で半正定値になり、どの時刻でも最小固有値は 0 以上を保つ(検算スクリプト)。

図 14.1 温度 0 の2準位(ω0=2γ0)を ∣ψ⟩=21∣e⟩+23∣g⟩ から出発させたときの、密度行列の小さいほうの固有値。Redfield 方程式では最初の瞬間から負になり、γ0t≈2.1 でもう一度負になる。永年近似をした Lindblad 形の方程式では常に 0 以上である(どちらも近似の方程式)。
Redfield 方程式の正しい読み方
Redfield 方程式は捨ててよい式ではない。λ を固定して時間 O(1) を見る限り、(14.7) と同じく λ2 の次数までは正しい。困るのは、その誤差 O(λ4t) が緩和の時間 t∼λ−2 まで足し上がると O(λ2) になり、同じ次数の永年でない項と区別がつかなくなることである。例題の負の固有値もこの大きさ(γ0/ω0)で、どの項を残すかを決めるには、次節の極限の取り方が要る。R. Dümcke と H. Spohn はこの観点から、弱結合の極限で正しい生成子は永年近似をしたものであることを論じた(Dümcke, Spohn (1979), Z. Phys. B 34, 419)。
近似の裏付け
型 B(極限) | 小さいもの λ2(浴の相関時間 τB と緩和の時間の比) | 証明 条件付き(λ の2次までの展開としては正しいが、緩和の時間 λ−2 にわたる誤差の評価と密度行列の正値性は保証されない。保証は永年近似をした Davies の極限で得られる) | 行き先 近似の数理 第7章
AI(Claude)が書いた教材を、木下が勉強しながら公開しています。式と数値は検算していますが、誤りが残っているかもしれません。誤りのご指摘・削除のご依頼をいただければ直します。 連絡先:support@tecktom.com