近似の数理 第14章 §14.4 ★★★ Markov の極限の答えが必ず Lindblad 形になる理由。生成子の形は完全正値性とトレースの保存だけで決まる
量子力学的半群
定義 14.5(量子力学的半群)
d 次元の系の密度行列に作用する写像の族 {Φt}t≥0 が、(a) 各 Φt が完全正値でトレースを保つ、(b) Φ0=id、Φt+s=ΦtΦs、(c) t↦Φt が連続、を満たすとき、量子力学的半群という。有限次元では Φt=etL と書け、L=limt→0(Φt−id)/t を生成子と呼ぶ。
完全正値性は、系に触れない別の系(補助系)を付け加えても正値性が保たれる、という条件である。補助系との量子もつれがありうる以上、物理的な時間発展はこれを満たさなければならない。写像 Φ を、Tr(F^k†F^l)=δkl を満たす行列の基底 {F^k}k=0d2−1(F^0=1^/d、ほかはトレースが 0)でΦ(ρ^)=∑k,lχklF^kρ^F^l† と展開すると、Φ が完全正値であることと行列 χ が半正定値であることは同値である(χ は Choi 行列を基底で書き直したものにあたる。相対エントロピーから情報と物理を組み立てる 第3部第1章)。
定理 14.6(GKSL(Gorini–Kossakowski–Sudarshan、Lindblad 1976) ★★★)
d 次元の系の線形写像 L が量子力学的半群の生成子であるための必要十分条件は、自己共役な H^ と、トレースが 0 の正規直交な基底 {F^k}k=1d2−1 についての半正定値なエルミート行列 c=(ckl) があって
Lρ^=−ℏi[H^,ρ^]+k,l=1∑d2−1ckl(F^kρ^F^l†−21{F^l†F^k,ρ^}+)(14.17)
と書けることである。c を対角化すると、演算子 L^j を使った Lindblad 形
Lρ^=−ℏi[H^,ρ^]+j∑(L^jρ^L^j†−21{L^j†L^j,ρ^}+)(14.18)
になる。
有限次元のこの形は V. Gorini、A. Kossakowski、E. C. G. Sudarshan(J. Math. Phys. 17, 821 (1976))が、無限次元の Hilbert 空間で生成子が有界な(ノルムで連続な)半群について同じ形をG. Lindblad(Commun. Math. Phys. 48, 119 (1976))が示した(書誌は二次文献 Chruściński, Pascazio (2017), Open Syst. Inf. Dyn. 24, 1740001 で照合)。生成子が有界でない一般の場合の特徴づけは、今も完全には知られていない。
証明(有限次元)
十分性。(14.18) の L を L=G+J、Jρ^=∑jL^jρ^L^j†、Gρ^=G^ρ^+ρ^G^†、G^=−ℏiH^−21∑jL^j†L^j と分ける。etGρ^=etG^ρ^etG^† は1つの演算子で挟む写像なので完全正値、J も Kraus 形なので完全正値である。Duhamel の公式(第8章で使った定数変化法)を繰り返すと
etL=n≥0∑∫0≤s1≤⋯≤sn≤te(t−sn)GJe(sn−sn−1)GJ⋯Jes1Gds1⋯dsn
となる。第 n 項は完全正値な写像の合成の、正の重みでの積分なので完全正値で、ノルムは (t∥J∥)net∥G∥/n! で押さえられ、級数は収束する。したがって etL は完全正値である。トレースは、Tr(L^ρ^L^†)=Tr(L^†L^ρ^) から TrLρ^=0 となって保たれる。
必要性(骨格)。Φt(ρ^)=∑k,l=0d2−1χkl(t)F^kρ^F^l† と展開する。Φ0=id は χ00(0)=d で、ほかの成分は 0 である。Φt が完全正値なので χ(t) は半正定値で、その k,l≥1 の部分(主小行列)も半正定値である。t→0 で ckl=limχkl(t)/t(k,l≥1)は半正定値な行列の極限で半正定値になる。k=0 または l=0 の成分は ρ^ に片側から演算子をかける項 X^ρ^+ρ^X^† にまとまり、X^ の反エルミートの部分が −ℏiH^、エルミートの部分がトレースの保存 TrLρ^=0 から −21∑cklF^l†F^k と決まる。これで (14.17) を得る。
定理の要点は、生成子の「散逸の部分」が半正定値な行列 c で決まり、その正値性が完全正値性と同値なことである。14.2 節の Redfield 方程式はこの c が負の固有値を持つ例で、14.3 節の Davies の生成子は c が各 Bohr 周波数ごとに γ(ω)≥0 の対角になる例である。
GKSL の定理が言うこと・言わないこと
定理が述べるのは「半群で、完全正値なら Lindblad 形」という構造であり、ある物理系がどの L^j と速さを持つかは何も述べない。それを決めるのが Davies の定理のような極限の定理である。また、半群であること(時間に依らない生成子を持つこと)は仮定であって、帰結ではない。14.6 節の強結合の例のように、半群でない縮約ダイナミクスは定理の外にある。
例題 14.4 2準位の Lindblad 方程式と T2≤2T1 ★★★
オリジナル2準位 H^=2ℏω0σz に、L^1=γ↓σ−、L^2=γ↑σ+、L^3=γϕ/2σz(γ↓,γ↑,γϕ≥0)の Lindblad 方程式を考える。
- (1) ⟨σz⟩ と ρeg=⟨e∣ρ^∣g⟩ の方程式を導き、縦緩和の時間 T1 と横緩和の時間 T2 を求めよ。
- (2) T2≤2T1 を示し、等号が成り立つ条件を述べよ。この不等式が GKSL の定理の何に当たるかを説明せよ。
- (3) γ↑/γ↓=e−βℏω0 のとき、定常状態の ⟨σz⟩ を求め、命題 14.4 と比べよ。
解答
(1) σ± の散逸の項は ∣e⟩ と ∣g⟩ の占有を γ↓ と γ↑ の速さで入れ替え、σz の項は占有を変えない。したがって
dtd⟨σz⟩=−(γ↓+γ↑)⟨σz⟩+(γ↑−γ↓),T1=γ↓+γ↑1.
非対角成分は、σ− の項で 2γ↓、σ+ の項で 2γ↑、σz の項で 2γϕ(σzρ^σz−ρ^) から γϕ の速さで減り、dtdρeg=−iω0ρeg−T21ρeg、T21=2γ↓+γ↑+γϕ。生成子の固有値の実部が {0,1/T1,1/T2,1/T2} になることを数値でも確かめた。
(2) T21=2T11+γϕ≥2T11 なので T2≤2T1。等号は γϕ=0(純粋な位相緩和がない)のときである。不等式は γϕ≥0、すなわち Kossakowski 行列の σz の対角成分が負でないことから出ている。γϕ<0 にすると T2>2T1 にできるが、その生成子の半群は完全正値にならない。光 Bloch 方程式(光学と量子エレクトロニクス 第19章)の T1・T2 を勝手に選べないのは、この構造のためである。
(3) 定常状態では ⟨σz⟩=γ↑+γ↓γ↑−γ↓=e−βℏω0+1e−βℏω0−1=−tanh2βℏω0、ρeg=0 で、これは e−βH^/Z の値である。γϕ は定常状態に影響しない。σ− と σ+ の項は Davies の生成子の ω=±ω0 の項、σz の項は ω=0 の項にあたり、命題 14.4 の主張どおり Gibbs 状態が止まる(検算スクリプト)。
AI(Claude)が書いた教材を、木下が勉強しながら公開しています。式と数値は検算していますが、誤りが残っているかもしれません。誤りのご指摘・削除のご依頼をいただければ直します。 連絡先:support@tecktom.com