近似の数理 第14章 §14.3 ★★★ 結合を弱めながら時間を λ−2 で伸ばす B 型の極限で、記憶が消え、永年近似が平均化として自動的に出て、完全正値な半群に収束する
時間を伸ばす理由と永年近似の位置
(14.7) の右辺は λ2 に比例するので、λ→0 を時間 t を固定してとると、系は自由に(H^S だけで)動くだけになる。散逸を見るには時間を λ−2 の程度まで伸ばす必要がある。L. van Hove は、この「λ→0 と同時に τ=λ2t を固定する」極限で、量子系の摂動から遷移の速さの方程式(Pauli の主方程式)が出ることを論じた(van Hove (1955), Physica 21, 517)。第13章で見た、弱い乱れの中の電子から Boltzmann 方程式を出す極限も同じ形である。
Redfield 方程式を相互作用描像で書き、τ=λ2t を変数にとると、
dτdρ~S=ω,ω′∑ei(ω′−ω)τ/λ2Γ(ω)(A^(ω)ρ~SA^(ω′)†−A^(ω′)†A^(ω)ρ~S)+h.c.(14.13)
となる。ω=ω′ の項は、遅い時間 τ で見ると周期 2πλ2/∣ω−ω′∣ で速く振動する。第7章の平均化定理(定理「平均化定理(一次)」)は、遅い変数の方程式の右辺を速い変数について平均したものに置き換えても、時間 O(1)(ここでは τ が有限の範囲)での誤差が振動の周期の程度に収まることを保証する。平均をとると ω=ω′ の項だけが残る。これが永年近似(secular approximation、回転波近似とも呼ばれる)で、van Hove の極限の中では余分な仮定でなく、極限そのものの帰結である。同時に、記憶の時間 τB は変数 τ で測ると λ2τB→0 になり、ρ~S(s) を ρ~S(t) に替える Markov の置き換えも極限で正しくなる。
永年近似で残る生成子を Schrödinger 描像で書くと
LDρ^H^LS=−ℏi[H^S+λ2H^LS,ρ^]+λ2ω∑γ(ω)(A^(ω)ρ^A^(ω)†−21{A^(ω)†A^(ω),ρ^}+),=ℏω∑S(ω)A^(ω)†A^(ω)(14.14)
である。H^LS(Lamb のずれ)は H^S と交換する。γ(ω)≥0 は、C(u) が正の型の関数であることから Bochner の定理で保証され、Kossakowski 行列は各 ω ごとに γ(ω) の1成分になるので半正定値である。結合が ∑αA^α⊗B^α のときは、γ(ω) が添字 αβ の行列 γαβ(ω) になり、その半正定値性も Bochner の定理から出る。
Davies の定理
定理 14.3(Davies(1974) ★★★)
次を仮定する。(i) 系の Hilbert 空間は有限次元。(ii) 浴は無限に大きい自由な場(Davies の論文では無限に大きい自由な熱浴)で、初期状態は積 ρ^S⊗ρ^B、ρ^B は定常で Tr(ρ^BB^)=0。(iii) 浴の相関関数 C(u) が時間について可積分で、少し速めに減衰する(正確な条件の形は原論文、要確認)。このとき、相互作用描像の縮約写像 Φ~τ(λ)=eiH^Sτ/(ℏλ2)Φτ/λ2(⋅)e−iH^Sτ/(ℏλ2) について、すべての τ1<∞ で
λ→0lim 0≤τ≤τ1supΦ~τ(λ)−eτK=0(14.15)
が成り立つ。K は (14.14) から H^S の交換子を除き λ2=1 とおいた生成子で、{eτK} は完全正値でトレースを保つ半群である。
出典は E. B. Davies, Commun. Math. Phys. 39, 91 (1974)。主張の形(有限次元の系、van Hove の時間 τ の有限の区間で一様な収束、極限の生成子の形)は、二次文献(Benatti, Chruściński, Pascazio (2026), arXiv:2609.19404 の定理4)で照合した。相関関数の条件の正確な形(どの重みをつけた可積分性か)は原論文で確かめていない。極限の写像が完全正値であることは、各 Φt が完全正値で、有限次元ではその性質がノルムの極限で保たれることから従う。
前提の意味を順に読む。(i) の有限次元は、Bohr 周波数が有限個で、異なる周波数の差に下限があることを保証する。差が 0 に近づく(連続スペクトルの)系では、平均化で落とした項が遅くしか振動せず、議論が通らない。(ii) の「無限に大きい浴」は、例題 14.1 の再帰を排除し、(iii) の減衰を可能にする。(iii) は記憶の長さ τB が有限であることの数学的な表現で、λ2τB→0 が「Markov の置き換え」を正当化する。収束は τ=λ2t の有限の区間で一様であり、t→∞ の長時間での一様な評価は定理に含まれない。M. Merkli は、有限の系と自由な Bose 場の模型で、共鳴の理論を使ってすべての時刻で一様に O(λ2) の誤差の評価を与えた(Merkli (2020), Ann. Phys. 412, 167996。二次文献で照合)。
熱浴なら定常状態は Gibbs 状態
浴が温度 T の熱平衡にあると、相関関数は KMS 条件(Kubo–Martin–Schwinger。熱平衡の状態では C(u−iℏβ)=C(−u))を満たし、その Fourier 変換は
γ(−ω)=e−βℏωγ(ω)(14.16)
を満たす。エネルギーを上げる遷移の速さは、下げる遷移の速さの Boltzmann 因子倍である。
命題 14.4(KMS の浴の Davies 生成子は Gibbs 状態を止める ★★★)
(14.16) が成り立つとき、ρ^β=e−βH^S/ZS は LDρ^β=0 を満たす。
証明
A^(ω) はエネルギーを ℏω 下げるので、A^(ω)ρ^β=e−βℏωρ^βA^(ω)、その共役から A^(ω)†ρ^β=eβℏωρ^βA^(ω)†。A^(ω)†A^(ω) は H^S と交換するので {A^†A^,ρ^β}+=2ρ^βA^†A^。ω と −ω の2つの項(A^(−ω)=A^(ω)†)をまとめると
ρ^β[A^A^†(γ(ω)e−βℏω−γ(−ω))+A^†A^(γ(−ω)eβℏω−γ(ω))]=0
(A^=A^(ω))。ω=0 の項は A^(0) が ρ^β と交換するので 0、Hamiltonian の項も H^LS が H^S と交換するので 0 である。
Gibbs 状態がただ1つの定常状態で、どの初期状態もそこへ近づくための条件(雑音の演算子 A^(ω) で生成される代数が既約であること)は、H. Spohn(Lett. Math. Phys. 2, 33 (1977))とA. Frigerio(Commun. Math. Phys. 63, 269 (1978))が与えた(どちらも二次文献で書誌を照合)。Bohr 周波数に縮退がなければ、H^S の固有基底での対角成分は遷移の速さ λ2γ(ω)∣⟨E∣A^∣E′⟩∣2 の古典的な Markov 連鎖(Pauli の主方程式)に従い、非対角成分はそれと独立に減衰する。相対エントロピーから情報と物理を組み立てる 第4部第2章などで「局所詳細つり合い」と呼んだ関係は、この (14.16) にほかならない。
例題 14.3 Lorentz 型の浴で厳密に解ける自然放出と van Hove 極限 ★★★
オリジナル2準位原子(H^S=ℏω0σ+σ−)が、温度 0 の Bose 場のモード b^k に ℏ∑kgk(σ+b^k+σ−b^k†) で結合している。∣e,0⟩ から出発すると、状態は c(t)e−iω0t∣e,0⟩+∑kck(t)e−iωkt∣g,1k⟩ の形にとどまり、
dtdc=−∫0tK(t−s)c(s)ds,K(u)=∫J(ω)ei(ω0−ω)udω,J(ω)=k∑∣gk∣2δ(ω−ωk)
に従う(光学と量子エレクトロニクス 第34章の式と同じ)。J を ω0 を中心とする幅 1/τB の Lorentz 型J(ω)=2πΓ(ω−ω0)2+τB−2τB−2 にとる。
- (1) K(u)=2τBΓe−∣u∣/τB を示し、c が c¨+c˙/τB+2τBΓc=0、c(0)=1、c˙(0)=0 に従うことからc(t)=e−t/2τB[cosh2δt+δτB1sinh2δt]、δ=τB−2−2Γ/τB を導け。
- (2) 結合の強さは Γ∝λ2 に入っている。ΓτB→0 を Γt を固定してとると ∣c∣2→e−Γt となることを示し、Γ=2πJ(ω0) が Davies の生成子の速さであることを確かめよ。
- (3) ΓτB=0.01, 0.05, 0.1 で supΓt≥0∣c∣2−e−Γt を求め、極限への近づき方を述べよ。
解答
(1) ν=ω−ω0 として ∫ν2+τB−2τB−2e−iνudν=τBπe−∣u∣/τB(留数)で、2πΓ をかけて K(u) を得る。y(t)=∫0te−(t−s)/τBc(s)ds とおくと c˙=−2τBΓy、y˙=c−y/τB で、y を消すと与えられた2階の方程式になる。特性方程式 r2+r/τB+Γ/(2τB)=0 の根 r±=21(−τB−1±δ) から、初期条件を満たす組み合わせが与式である(ΓτB>21 では δ が純虚数になり、cosh・sinh が cos・sin になる)。記憶の核 K が時間 τB で減衰することが、浴が無限に大きいことの表れである(例題 14.1 では K が減衰しなかった)。
(2) x=ΓτB とすると遅い根は r+=2τB1(−1+1−2x)=−2Γ(1+2x+O(x2))、速い根は r−≈−1/τB である。係数は c=r−−r+r−er+t+r−−r+−r+er−t で、遅い成分の係数は 1+O(x)、速い成分は時間 τB で消える。Γt を固定して x→0 とすると ∣c∣2→e−Γt。J(ω0)=Γ/2π なので減衰の速さは 2πJ(ω0) で、これは γ(ω0)((14.10))をB^=ℏ∑kgkb^k+h.c. について計算したものに一致する(Fermi の黄金律)。
(3) 数値で 0.0094, 0.041, 0.073 で、ΓτB との比は 0.94, 0.82, 0.73 と ΓτB→0 で 1 に近づく。誤差は ΓτB、すなわち λ2 に比例して 0 になり、最大のずれは Γt∼ΓτB の短い時刻(記憶が残っている間)に現れる。図 14.2 の ΓτB=0.3 では、短時間の減衰が遅く(∣c∣2 が t2 で減る)、そのぶん遅い成分の係数 1+O(x) が 1 より大きくなっている。定理 14.3 が述べる「τ=Γt の有限の区間で一様に収束する」という主張の、具体的な形である(検算スクリプト)。

図 14.2 Lorentz 型の浴での上の準位の占有。厳密解(点線)は ΓτB→0 で Markov の指数関数(実線)に近づく。ΓτB=0.05 では実線とほとんど重なる。
近似の裏付け
型 B(極限) | 小さいもの λ→0 で τ=λ2t を固定(ΓτB∝λ2。浴の相関時間と緩和の時間の比) | 証明 条件付き(系が有限次元・浴が無限に大きい自由な場・積の初期状態・浴の相関関数が時間について可積分〔正確な条件は要確認〕。Davies 1974。収束は τ の有限の区間で一様。永年近似は極限に含まれる) | 行き先 近似の数理 第7章
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