近似の数理 第13章 §13.1 ★★★ 「1粒子あたりのエネルギー」や「単位体積あたりの自由エネルギー」が意味を持つための前提。固体の議論はすべてこの上に立つ
第12章では、電子どうしの相互作用を捨てた一電子の問題を扱い、バンド・tight-binding・有効質量・半古典運動がそれぞれどういう極限で正しいかを確かめた。この章では相互作用を戻す。固体物理の教科書が「多体の効果」として扱う話題、すなわち物質がつぶれずに体積に比例したエネルギーを持つこと、原子が結晶に並ぶこと、磁石の自発磁化、1次元の鎖の2量体化、超伝導、電気伝導と Hall 効果は、どれも何らかの近似を経て説明される。その近似を第1章の3つの型に当てはめると、熱力学極限・調和近似・平均場・BCS から GL への展開・Boltzmann 方程式はすべて B 型(極限)であり、Hartree–Fock は A 型(射影)、緩和時間近似は C 型(閉じる)である。
結論を先に書く。第一に、固体のあらゆる議論の前提である「エネルギーが粒子数に比例する」ことは、電子がフェルミオンであることを使って証明されている(第二種の安定性)。第二に、結晶が基底状態になることそのものは、3次元ではまだ証明されていない。調和近似やフォノンは「結晶であること」を仮定した上での展開である。第三に、平均場は相互作用の到達距離が無限大の極限では厳密だが、短距離の相互作用では次元によって定性的に誤る(Mermin–Wagner の定理)。第四に、BCS 理論のギャップは e−1/λ の形をしていて、結合定数 λ のどの次数の摂動展開にも現れない。この非解析性は1次元の Peierls 転移にも同じ形で現れる。第五に、Hall 伝導度の量子化は近似でなく、ギャップがある限り成り立つ指数定理である。全体を通して、ギャップがあるときに定理が成り立ち、ギャップが閉じる所(金属・相転移点)で証明が途切れる、という第12章と同じ筋が見える。
この章の式は、断らない限り原子単位(ℏ=me=e=4πε0=1。第3章と同じ)か、模型ごとの無次元の単位(ホッピング t や交換相互作用 J を単位にとる)で書く。第二量子化の演算子にも帽子を付ける。
第一種と第二種の安定性
電子 N 個と、位置 R1,…,RK に固定した電荷 Z1,…,ZK の原子核からなる系を考える。SI 単位では
H^=i=1∑N2mep^i2+4πε0e2[−i,k∑∣ri−Rk∣Zk+i<j∑∣ri−rj∣1+k<l∑∣Rk−Rl∣ZkZl]
で、原子単位では係数 1/(2me) が 1/2 に、e2/(4πε0) が 1 になる。近似の数理 第3章で示したのは、この H^ が下に有界であること(第一種の安定性)だった。ただし得られた下界 −2NK∑kZk2 は粒子数の2乗に比例しており、これでは 1 mol の物質のエネルギーが 1024 の2乗の大きさで負になりうる。固体物理で「1原子あたりの結合エネルギー」や「単位体積あたりの自由エネルギー」を話すには、下界が粒子数に比例する必要がある。
定義 13.1(第二種の安定性)
定数 C があって、すべての N、K と原子核のすべての配置 R1,…,RK について、基底エネルギーが
E0(N,K;R1,…,RK) ≥ −C(N+K)(13.1)
を満たすとき、系は第二種の安定性を持つという。
定理 13.2(物質の安定性(Dyson–Lenard、Lieb–Thirring) ★★★)
電子が q 個のスピン状態を持つフェルミオンで、原子核の電荷が Zk≤Z を満たすなら、(13.1) が q と Z だけで決まる定数 C で成り立つ。
最初の証明は F. J. Dyson と A. Lenard によるもので(Dyson, Lenard (1967), J. Math. Phys. 8, 423)、定数は非常に大きかった。E. H. Lieb と W. Thirring はこれを短い証明に置き換え、定数を現実の大きさまで下げた(Lieb, Thirring (1975), Phys. Rev. Lett. 35, 687)。後者の証明の骨格は3段からなり、どの段がどの物理に当たるかを並べると次のようになる。
第1段は運動エネルギーの Lieb–Thirring 不等式で、反対称な N 電子の波動関数 ψ について、電子密度 ρ を使って
⟨ψ,i∑(−21∇i2)ψ⟩ ≥ Kq∫ρ(r)5/3d3r(13.2)
が成り立つ(Kq>0 は q だけで決まる定数)。これは Thomas–Fermi 理論(近似の数理 第6章)の運動エネルギー ∫ρ5/3 が、近似でなく下界として正しいことを言っている。反対称性が要るのはここで、ボソンでは全員が同じ軌道に入れるので、運動エネルギーは N∫∣∇ϕ∣2 の形にしかならず、∫ρ5/3 のような「密度を上げると急に高くつく」項は出ない。第2段は静電エネルギーの下界で、電子間の反発を電子密度の古典的な静電エネルギーと∫ρ4/3 に比例する補正で下から押さえる。第3段で、この2つを合わせると全エネルギーが Thomas–Fermi 型の汎関数で下から押さえられ、Thomas–Fermi 理論では原子どうしが結合しないという Teller の定理(次の節)により、その最小値は孤立した原子の和 ∑k(−const⋅Zk7/3) 以上になる。右辺は K に比例するので、第二種の安定性が出る。
ボソンの物質は安定でない
正の電荷の粒子も負の電荷の粒子もボソンなら、基底エネルギーは −CN7/5 程度まで下がることを Dyson が示した(Dyson (1967), J. Math. Phys. 8, 1538)。したがって第二種の安定性には Pauli の排他原理が欠かせない。電子がフェルミオンであることは、原子に殻構造を与えるだけでなく、物質がバルクとして存在する条件そのものである。
熱力学極限
第二種の安定性があっても、それだけで「単位体積あたりの自由エネルギーが箱の大きさによらない値に近づく」ことは出ない。これを示すのが熱力学極限の定理である。短距離の相互作用なら、次の初等的な補題が骨格になる。
補題 13.3(Fekete の補題 ★★)
実数列 (an) が劣加法的、すなわちすべての n,m で an+m≤an+am なら、limn→∞an/n が存在して infnan/n に等しい(値は −∞ もありうる)。さらに an≥−Cn なら極限は有限である。
証明
c=infnan/n とし、c より大きい任意の数 c′ をとる。am/m<c′ となる m を1つ固定する。任意の n を n=qm+r(0≤r<m)と割ると、劣加法性を繰り返して an≤qam+ar(a0=0 とする)。両辺を n で割り n→∞ とすると q/n→1/m、ar/n→0 なのでlimsupan/n≤am/m<c′。c′ は c にいくらでも近くとれるので limsupan/n≤c≤liminfan/n となり、極限が存在して c に等しい。an≥−Cn なら c≥−C で有限である。
物理への当てはめは次のとおりである。壁で ψ=0 とする(Dirichlet 条件の)箱 Λ1 と Λ2 を、間に薄い壁をはさんで並べた領域を考える。2つの箱それぞれの基底状態の積を試行関数にとると、それは大きい箱 Λ1∪Λ2 でも許される関数なので、変分原理からE(Λ1∪Λ2)≤E(Λ1)+E(Λ2)+(箱の間の相互作用) となる。相互作用が短距離なら最後の項は表面積に比例し、体積に比べて無視できる。これで E がほぼ劣加法的になり、第二種の安定性が下からの押さえを与えるので、Fekete の補題から単位体積あたりのエネルギーの極限が存在する。
Coulomb 相互作用では「箱の間の相互作用」が遠くまで届くので、この議論はそのままでは通らない。E. H. Lieb と J. L. Lebowitz は、箱の代わりに球を詰め、中性で球対称な電荷分布は外から見て点電荷のように振る舞わない(外の電荷との相互作用が消える)という Newton の定理を使って、電子と原子核からなる中性の系の自由エネルギーが熱力学極限を持つことを証明した(Lieb, Lebowitz (1972), Adv. Math. 9, 316)。一様な正の背景の中の電子気体(ジェリウム)についても同じ結論が得られている(Lieb, Narnhofer (1975), J. Stat. Phys. 12, 291)。ハミルトニアンの選び方で固体を考える 第4部第1章の自由電子気体で k の和を積分に置き換えた操作は、この極限が存在することを前提にしている。
例題 13.1 Dirichlet の箱の自由電子と熱力学極限への近づき方 ★★
オリジナル1辺 L=1 の立方体の中の、相互作用しない電子 N 個(スピン2重)を考える。壁で波動関数が 0 になる条件のもと、1電子の準位はπ2(n12+n22+n32)(ni=1,2,…。エネルギーの単位を ℏ2/(2meL2) とする)である。
- (1) 熱力学極限での1電子あたりのエネルギーが 53kF2、kF=(3π2N)1/3 であることを示せ。
- (2) 波数が k 以下の準位の数は、壁の効果まで入れると N(k)≈3π2k3−4π3k2(2つ目の項は壁で ψ=0 になるために失われる状態)で近似できる。これを使って、E/N を (1) の値で割った比が 1+815π(3π2N)−1/3 と振る舞うことを示せ。
- (3) 実際に準位を数えると、比は N=103,104,105 で 1.20, 1.09, 1.04 になる。(2) の式と比べ、熱力学極限への近づき方について述べよ。
解答
(1) 準位を k=π(n1,n2,n3) と書くと、1つの準位が k 空間で体積 π3 を占め、k は第1象限(1/8)だけにある。半径 k の球の 1/8 に入る準位の数は 81⋅34πk3/π3=6π2k3、スピンで2倍して 3π2k3。これが N に等しい k が kF=(3π2N)1/3 である。エネルギーは ∫0kFk2d(k3/3π2)=5π2kF5 で、N で割って 53kF2。
(2) dN=(π2k2−2π3k)dk から E(k)=∫0kk′2dN=5π2k5−8π3k4。フェルミ波数 k を N(k)=N から決める。k=k0+δ(k0=(3π2N)1/3)とおくと、1次で k02δ/π2=3k02/(4π)、すなわち δ=3π/4。次に E/N=k3/(3π2)k5/(5π2)⋅1−(9π/4)/k1−(15π/8)/k=53k2(1+8k3π+⋯)、さらに k2=k02(1+2k03π+⋯) を入れると
NE=53k02(1+8k015π+⋯),8k015π=1.90N−1/3.
(3) (2) の式は N=105 で 1+1.90×10−5/3=1.041 となり、数え上げの 1.04 と合う(図 13.1)。ずれは N−1/3、すなわち「表面の準位の数/体積の準位の数」の比で小さくなる。N=105 でもまだ 4% ずれており、熱力学極限への近づき方は遅い。固体の N∼1023 では補正は 10−8 程度で無視できるが、数百原子のナノ粒子や計算機の中の有限の箱では表面の項を落とせない(検算スクリプト)。

図 13.1 Dirichlet の箱の自由電子の1電子あたりのエネルギーを、熱力学極限の値で割った比。N−1/3→0 が熱力学極限。直線は例題 13.1 (2) の表面の補正。
近似の裏付け
型 B(極限) | 小さいもの N→∞(密度一定。表面/体積 ∼N−1/3) | 証明 証明済み(電子がフェルミオン・系が中性。安定性は Dyson–Lenard 1967・Lieb–Thirring 1975、Coulomb 系の熱力学極限は Lieb–Lebowitz 1972) | 行き先 近似の数理 第3章
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