量子力学の様々な構成方法 第7部 第4章 §7.4.1 ★★★ この構成の出発点の要請と、要請どうしを整合させる等変性の定理
第7部第1章では、波動関数を極形式 ψ=ρeiS/ℏ に書いて、Schrödinger 方程式を密度 ρ と速度場 v=∇S/m の流体の方程式に書き直した(第7部第1章)。流体の方程式は場の方程式で、各点で流れの速さを与えるだけである。流れの速さが各点で決まっているなら、その流れに乗って運ばれる点の道筋(流線)も決まる。L. de Broglie(1927)と D. Bohm(1952)は、この道筋を「粒子が実際にたどる軌道」と読み、量子力学を「波動関数と、その波に案内される粒子の位置」の2つで組み立て直した。この章ではこの構成をBohm の力学(de Broglie–Bohm 理論、パイロット波理論とも呼ぶ)と呼ぶ。
部の型(出発点の要請 → 基本の対象 → 基準との同値 → 共通例題 → 得意な問題 → 限界)のうち、この章は第7部の中で「軌道」という対象についての一巡りを受け持つ。出発点に置くのは、波動関数 ψ と粒子の配置 X の組、ψ の従う Schrödinger 方程式、X の従う案内方程式 X˙=v(X,t)、そして初めの配置が ∣ψ∣2 に従って散らばっているという量子平衡の仮説の4つである。第1節で要請を置き、配置の分布が時間がたっても ∣ψ∣2 のままである(等変性)ことを証明する。第2節で共通例題①③を軌道で解き、第3節で二重スリットの軌道を数値で描く。第4節で測定を軌道の言葉で書き、Born の規則がどの仮定から出るかを確かめる。第5節は多粒子の速度場の非局所性と、相対論にしにくい理由を扱う。第6節の橋では、Bohm の力学が予言としては基準と同値であること、その同値が「位置の分布」までで止まり、軌道そのものは観測で確かめられない追加の構造であることを、式を並べて示す。
4つの要請
質量 m1,…,mN の N 粒子を考え、配置空間の点を x=(r1,…,rN)∈R3N と書く。第7部第1章の流体は配置空間の上の場だったので(第7部第1章 の落とし穴の箱)、軌道も配置空間で考える。
Bohm の力学の要請 ★★★
- (B1) 系の状態は、波動関数 ψ(x,t) と、実際の配置 X(t)=(X1(t),…,XN(t)) の組である。
- (B2) 波動関数は Schrödinger 方程式 iℏ∂tψ=H^ψ に従う(第1部第2章の Q5 と同じ)。
- (B3) 配置は案内方程式
dtdXk=vk(X,t),vk(x,t)=mkℏImψ(x,t)∇kψ(x,t)=mk∇kS(x,t)(7.4.1)
に従う(∇k は rk についての勾配)。4. (B4) 量子平衡の仮説:同じ ψ を用意した系の集団で、初めの配置 X(0) は確率密度 ∣ψ(x,0)∣2 に従って散らばっている。
(B3) の速度場は、第7部第1章の速度場 v=∇S/m を配置空間に広げたものである。1粒子なら確率流密度 j=ρv を密度で割った v=j/ρ で、流体の各点の流れの速さに等しい。つまり Bohm の軌道は、第7部第1章の確率の流体の流線そのものである。ここで新しく加わったのは方程式でなく、「流線のうち1本が実際に起きている」という主張と、(B4) の初めの分布だけである。
速度場は ψ に定数を掛けても変わらない(∇ψ/ψ の比で決まる)。全体の位相を変えても、規格化を変えても軌道は同じなので、第1部第2章の Q1(状態は射線)と矛盾しない。ψ の節(ψ=0 の点)では速度場が定まらないが、節は配置空間で余次元2(実部と虚部が両方 0)の集合なので、典型的な初めの位置から出た軌道は節に有限の時間でぶつからない(自己共役なハミルトニアンの大きな族でこれを示したのが Berndl, Dürr, Goldstein, Peruzzi, Zanghì(1995、Commun. Math. Phys. 173, 647、arXiv: quant-ph/9503013)である)。
等変性:分布は ∣ψ∣2 のまま運ばれる
(B3) は1階の常微分方程式なので、初めの配置を決めれば軌道はただ1本に決まる。(B4) で初めの配置を ∣ψ∣2 に従って散らすと、時刻 t の配置もある分布 P(x,t) に従う。この P が ∣ψ(x,t)∣2 と一致するかどうかは自明でない。一致しなければ、ある時刻に Born の規則を満たしていた集団が、別の時刻には満たさなくなる。次の定理が、要請 (B2)(B3)(B4) が互いに整合していることを保証する。
定理 7.4.1(等変性 ★★★)
速度場 v が滑らかで、軌道が有限の時間で節や無限遠に達しないとする。初めの配置が P(x,0)=∣ψ(x,0)∣2 に従うなら、すべての時刻でP(x,t)=∣ψ(x,t)∣2 である。
証明
第1段:分布 P が連続の式に従うことを示す。任意の滑らかで台が有界な関数 f(x) について、期待値の時間微分は軌道の式から
dtd∫f(x)P(x,t)dx=dtd⟨f(X(t))⟩=⟨∇f(X)⋅X˙⟩=∫∇f⋅vPdx=−∫f∇⋅(Pv)dx
(最後は部分積分)。左辺は ∫f∂tPdx なので、f が任意であることから
∂t∂P+∇⋅(Pv)=0(7.4.2)
が成り立つ(∇⋅(Pv)=∑k∇k⋅(Pvk))。
第2段:ρ=∣ψ∣2 も同じ式に従う。第7部第1章の Madelung 方程式の連続の式 ∂tρ+∇⋅(ρv)=0 がそれで、そこで使った速度場と (B3) の速度場は同じものである。
第3段:同じ線形の式に同じ初期値なので両者は等しい。ρ>0 の領域で P=hρ と置くと
∂t∂(hρ)+∇⋅(hρv)=h(∂t∂ρ+∇⋅(ρv))+ρ(∂t∂h+v⋅∇h)
で、左辺と右辺の第1項はともに 0 だから ∂th+v⋅∇h=0、つまり h は軌道に沿って一定である。初めに h=1 なので、軌道が届く所ではずっと h=1、すなわち P=ρ である。
証明の第1段は「軌道の束が運ぶ分布は、その速度場の連続の式に従う」という一般的な事実で、量子力学をまったく使っていない。量子力学が入るのは第2段で、∣ψ∣2 が同じ速度場の連続の式に従うことである。案内方程式の速度場を ∇S/m に選んだ理由はここにある。同じ連続の式 ∂tρ+∇⋅j=0 を満たす流れは j に発散のない場を足しても作れるので、等変性だけからは速度場は1つに決まらない。1つに決める理由は第6節の橋で、弱測定で測れる流れという形で述べる。
軌道に沿った言い方にすると、初めの点 x0 から出た軌道を X(t;x0) と書き、その Jacobi 行列式を J(x0,t)=det(∂X/∂x0) とすれば
ρ(X(t;x0),t)J(x0,t)=ρ(x0,0)(7.4.3)
である。流れに乗った小さな体積の中の確率が保たれる、という意味で、流体力学の Lagrange 描像での質量の保存と同じ式である(第7部第2章が ℏ→0 の流れで使った式と同じ形。第7部第2章)。
2階の形:量子ポテンシャルの力
案内方程式は速度を与える1階の式だが、時間で微分すると Newton の運動方程式の形になる。1粒子で、軌道に沿った加速度は
X¨=dtdv(X(t),t)=(∂t∂v+(v⋅∇)v)r=X
で、右辺の括弧は流体力学の物質微分である。第7部第1章の量子 Euler 方程式はこれが −∇(V+Q)/m に等しいと言っているので、
mX¨=−∇(V+Q)r=X,Q=−2mℏ2ρ∇2ρ(7.4.4)
が成り立つ。Bohm(1952)は理論をこの形で書いた。ただし (7.4.4) は2階の式なので初めの速度を別に与える必要があり、それを mX˙(0)=∇S(X(0),0) に限ったときに限って (7.4.1) と同じ軌道になる。初めの速度を勝手に選べる理論にすると等変性が成り立たず、Born の規則を再現しない。この意味で、1階の案内方程式のほうが要請として素直である。(7.4.4) の利点は、古典力学との違いが「量子ポテンシャル Q の力が加わる」の1点に集まって見えることにある。
文献:L. de Broglie, J. Phys. Radium 8, 225 (1927);D. Bohm, Phys. Rev. 85, 166 および 180 (1952)。
例題 7.4.1 水素原子の電子は止まっているか ★★★
オリジナル水素原子の電子(質量 m、Bohr 半径 a=4πε0ℏ2/(me2))について、Bohm の軌道を調べる。
- 基底状態 ψ1s∝e−r/a で、速度場と量子ポテンシャル Q を求め、V+Q が r によらないことを示せ。電子に働く力はいくらか。
- 2p の mℓ=+1 の状態 ψ∝re−r/2asinθeiφ で速度場を求めよ。r=4a、θ=π/2 にいる電子の速さと1周の時間を数値で答えよ。
解答
(1) ψ1s は実数なので S は定数で、速度場は v=∇S/m=0。電子はどの位置にいても止まっている。量子ポテンシャルは、球対称な関数のラプラシアン ∇2R=r−2(r2R′)′ を R=e−r/a に使って
R∇2R=a21−ar2,Q=−2ma2ℏ2+marℏ2.
Coulomb ポテンシャルは V=−e2/(4πε0r) で、Bohr 半径の定義から ℏ2/(ma)=e2/(4πε0) なので、Q の第2項は V をちょうど打ち消し、
V+Q=−2ma2ℏ2=−13.6eV
が r によらない。(7.4.4) の力 −∇(V+Q) は 0 で、止まった電子が止まったままでいることと整合する。古典の電子なら Coulomb 力で核に落ちるところを、量子ポテンシャルの外向きの力がちょうど支えている。基準の言葉では ⟨p^2⟩/(2m)=13.6eV の運動エネルギーがあるが、Bohm の力学ではそれは運動の形でなく ∫ρQ の形で蓄えられている(第7部第1章の「運動エネルギー=流れ+形のエネルギー」の分け方で、流れの分が 0)。
(2) 極座標の勾配は ∇=er∂r+eθr−1∂θ+eφ(rsinθ)−1∂φ である。∂rψ/ψ と ∂θψ/ψ は実数なのでvr=vθ=0、∂φψ/ψ=i なので
v=mrsinθℏeφ.
電子は z 軸の周りを、半径 rsinθ の円の上で一定の速さで回る。角運動量の z 成分は m(rsinθ)vφ=ℏ で、どの軌道でも mℓℏ に等しい。r=4a、θ=π/2 では v=ℏ/(4ma)=5.47×105ms−1(ℏ/(ma) は微細構造定数と光速の積 αc=2.19×106ms−1)、1周の時間は 2π(4a)/v=32πma2/ℏ=2.43×10−15s である。同じ 2p でも mℓ=0 の状態 ∝re−r/2acosθ は実数なので電子は止まる。どちらの状態も同じエネルギーを持つので、軌道が動くかどうかはエネルギーでなく波動関数の位相で決まる。
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