相対エントロピーから情報と物理を組み立てる 第2部 第3章 §2.3.6 ★★ 教科書の「熱浴の状態数を展開してカノニカル分布を出す」導出と、等重率の仮定・エルゴード仮説を、この章の典型性と平衡化に対応づける
熱浴の状態数を展開する導出
統計力学の授業では、カノニカル分布を次のように導く。注目する系 A と大きな熱浴 B を合わせた全体が孤立していて、エネルギー E のミクロカノニカル分布に従うと仮定する(等重率の仮定)。A がエネルギー εa の状態 a にある確率は、そのとき B がとれる状態の数に比例して
pA(a)=W(E)WB(E−εa)∝exp[lnWB(E−εa)]≈exp[lnWB(E)−βεa],β=∂E∂lnWB(2.3.29)
である。lnWB を εa の1次まで展開したところでカノニカル分布 e−βεa/ZA が出る。
この章の言葉では、式 (2.3.29) の最初の等号が ρ^Amc の対角成分(2.3.1 節の pAmc)で、2つ目の近似が 2.3.1 節の命題 2.3.1 にあたる。展開を2次まで進めると21∂E2∂2lnWBεa2=−2kBT2CBεa2(CB は熱浴の熱容量)の補正が出る。CB∝N なので補正は 1/N の大きさで、D にはその2乗の N−2 として現れる。命題 2.3.1 の k(k−1)/(4N2) は、この2次の項を2準位の模型で厳密に勘定したものである。
授業の導出とこの章で入れ替わったのは、出発点の仮定である。授業の導出は、全体の状態がミクロカノニカル分布(エネルギー殻の上の一様な混合)であることを仮定する。この章では、全体は1つの純粋状態 ∣ψ⟩ で、その代わりに次の2つのどちらかを使う。
授業: ρ^全体=dRΠ^R ⇒ ρ^A=ρ^Amc,この章: ∣ψ⟩∈HR ⇒ {EψD(ρ^A∥ρ^Amc)≲dA/dBeff∥ρ^A(t)−ρ^A,d∥1≤dA3/deff(典型性)(平衡化)(2.3.30)
典型性は「ほとんどすべての ∣ψ⟩」についての主張で、等重率の仮定を状態の数え方の問題に置き換える。平衡化は「決まった ∣ψ⟩ の、ほとんどすべての時刻」についての主張で、古典のエルゴード仮説(長時間平均がアンサンブル平均に等しい)の量子版にあたる。量子力学の初期にこの方向の問題を立てたのは von Neumann(1929)、Z. Phys. 57、30 である。
時間平均の状態はミクロカノニカル状態か:固有状態熱化仮説
式 (2.3.30) の2行目には、まだ隙間が残っている。平衡化の行き先は時間平均の状態 ρ^A,d で、典型性の主役 ρ^Amc と同じとは限らない。ρ^d=∑n∣cn∣2∣n⟩⟨n∣ は初期状態の重み ∣cn∣2 を覚えているので、一般には初期状態の細部に依存する。2つが一致するための十分条件として広く使われているのが固有状態熱化仮説(ETH)で、Deutsch(1991)、Phys. Rev. A 43、2046 と Srednicki(1994)、Phys. Rev. E 50、888 が提案した。局所的な物理量 O^ の固有状態での行列要素が
⟨m∣O^∣n⟩=O(Eˉ)δmn+e−S(Eˉ)/(2kB)fO(Eˉ,ω)Rmn,Eˉ=2Em+En,ℏω=Em−En(2.3.31)
の形をとる、という仮説である。O(Eˉ) と fO はエネルギーの滑らかな関数、S(Eˉ) は熱力学エントロピー、Rmn は平均 0・分散 1 の不規則な数である。対角成分がエネルギーの滑らかな関数なら、エネルギー殻の中の個々の固有状態がすでにミクロカノニカル状態と同じ局所的な期待値を持ち、重み ∣cn∣2 の細部によらずTrO^ρ^d=∑n∣cn∣2O(En)≈O(E) となる。Rigol, Dunjko, Olshanii(2008)、Nature 452、854 は、相互作用する硬い芯のボソンの数値計算で、この仕組みによる熱化を確かめた。
ETH は一般的な非可積分系で数値的に支持されているが、証明はない。可積分系や多体局在の系では成り立たないことが知られていて、そのとき時間平均の状態は保存量をすべて固定した一般化 Gibbs 状態(最大エントロピー原理に保存量を全部入れたもの、第2部第1章)で表される。
近似の裏付け
型 B(極限) | 小さいもの e−S(E)/(2kB)→0(固有状態の非対角要素がエントロピーの指数で小さい) | 証明 未解決(ETH は仮説。一般の非可積分系での証明はない) | 行き先 近似の数理 第13章
例題 2.3.6 熱浴の展開の2次の項 ★★
オリジナルN 個の2準位の粒子(励起 M 個、x=M/N)で、A を2個の粒子とする。
- (1) A の2個がともに励起している確率と、ともに基底状態にある確率の比 r=pAmc(11)/pAmc(00) を N,M で表せ。
- (2) カノニカル分布での比 (x/(1−x))2 に対する r の比を 1/N の1次まで展開し、N=16,160,1600(x=1/4)で厳密な値と比べよ。
解答
(1) 式 (2.3.5) から
r=(MN−2)(M−2N−2)=(N−M)(N−M−1)M(M−1).
(2) (x/(1−x))2=M2/(N−M)2 との比は
(x/(1−x))2r=1−1/(N−M)1−1/M≈1−Nx1+N(1−x)1=1−Nx(1−x)1−2x
である。x=1/4 では (1−2x)/(x(1−x))=8/3 なので、比はおよそ 1−2.67/N になる。厳密な値は、N=16(M=4)で r=12/132=1/11、比 9/11=0.818(近似 0.833)、N=160 で r=13/119=0.1092、比 0.983(近似 0.983)、N=1600 で比 0.998(近似 0.998)である。カノニカル分布は両方励起する確率を 1/N の割合で大きく見積もり、そのずれが式 (2.3.29) を2次まで展開したときの補正にあたる。N が10倍になるとずれは10分の1になり、D は100分の1になる。
AI(Claude)が書いた教材を、木下が勉強しながら公開しています。式と数値は検算していますが、誤りが残っているかもしれません。誤りのご指摘・削除のご依頼をいただければ直します。 連絡先:support@tecktom.com