近似の数理 第12章 §12.5 ★★★ εn(k) を Hamiltonian とする半古典運動は、第7章の断熱定理を空間の向きへ移した定理で、ギャップで孤立したバンドについて証明されている
何を主張したいか
固体の輸送の理論は、電場 E・磁場 B の中の電子を、バンドの分散を古典的な Hamiltonian とする運動
ℏk˙=−e(E+r˙×B),r˙=ℏ1∇kεn(k)−k˙×Ωn(k)(12.15)
で記述する。量子の側でこれに対応するのが Peierls 置換で、ベクトルポテンシャル A とスカラーポテンシャル ϕ のある問題の Hamiltonian を
Heff=εn(ℏp+eA(r))−eϕ(r)(12.16)
(εn(k) の k に運動学的な波数を代入したもの)で置き換える(R. Peierls (1933), Z. Phys. 80, 763)。(12.15) の Berry 曲率 Ωn の項はこの最低次には入っていない1次の補正である。この節の問いは、(12.1) に外場を足した元の問題から、これらがどういう極限で、どの前提で出てくるかである。
空間断熱:遅いのは時間でなく場所
第7章の断熱定理では、Hamiltonian が遅い時間 s=ηt の関数で、ギャップ g>0 があれば状態は瞬間的な固有空間に O(η) の誤差で追随した(近似の数理 第7章)。ここでは外場が場所についてゆっくり変わる:A(ηr)、ϕ(ηr)、η=a/ℓ≪1。格子の尺度で見ると電子は各点で「一様な結晶の中にいて、波数 k の状態にある」とみなせ、遅い変数 (r,k) に依存する Hamiltonian
H(k) のファイバーの固有空間(バンド n)が、断熱定理の「瞬間的な固有空間」の役をする。速い自由度は単位胞の中の運動で、遅い自由度は包絡線の位置と波数である。
この見方を作用素の定理に仕上げたのが空間断熱摂動論である(G. Panati, H. Spohn and S. Teufel (2003), Commun. Math. Phys. 242, 547)。主張の形は次のとおりである。
定理 12.6(空間断熱摂動論(主張のみ)★★★)
注目するバンド(またはバンドの族)の固有値の集合が、すべての k で残りのスペクトルからギャップで隔たっているとする。このとき、外場がゆっくり変わる問題について、
- 元の Hilbert 空間の中に、η のすべての次数まで時間発展で不変な部分空間(ほぼ不変な部分空間)が存在し、バンドの Bloch 関数の張る空間からの違いは O(η) である。
- その部分空間の上の時間発展は、有効 Hamiltonian h=h0+ηh1+η2h2+⋯ で生成される。h0 は Peierls 置換 (12.16) の記号で、h1 には Berry 接続と磁気モーメントの項が入る。
- h0+ηh1 から作った古典の運動方程式は、Berry 曲率の項を含む (12.15) であり、巨視的な時間(格子の時間尺度の η−1 倍)にわたって量子の時間発展を近似する。
誤差の次数の正確な形と、磁場が強い場合(B を η 倍しない場合)の扱いは原論文によるので、ここでは主張の骨格だけを書いた。物理の直観との対応ははっきりしている。「バンドの中を走る」とは、断熱定理で「固有状態に留まる」ことであり、Berry 曲率の項は第7章の Berry 位相(幾何学的な位相)の空間版である(解析力学から様々な理論分野を組み立てる 第4部第11章)。半古典運動を作用角変数で量子化して de Haas–van Alphen 振動を出す話は解析力学から様々な理論分野を組み立てる 第4部第10章 にある。
前提のギャップ条件が破れる所で、近似は破れる。バンドが交差・接触する点(グラフェンの Dirac 点・Weyl 点)では瞬間的な固有空間が滑らかに追えず、電場が強いとバンドの間を飛び移る Zener 遷移が起きる。Zener 遷移の確率は、ギャップの近くで2本のバンドの2×2 の問題に帰着させると第7章の Landau–Zener の公式の形になり、目安は「1格子間隔で電場がする仕事 eEa が εg2/W(W はバンド幅)より十分小さい」ことである。
Bloch 振動:厳密に解ける場合
一様な電場の中の1本の tight-binding バンドは、半古典運動と量子の運動を両方とも閉じた形で書け、比べられる。1次元の鎖H=−th∑n(∣n⟩⟨n+1∣+∣n+1⟩⟨n∣)+F∑nn∣n⟩⟨n∣(F=eEa>0、電子の位置エネルギーが +x 向きに増える向きに電場をかける)を考える。半古典運動では ℏk˙=−F/a なので k(t)=k0−Ft/(ℏa)、速度 x˙=ℏ1∂k∂ε=ℏ2thasin(ka) を積分して
x(t)=x0+F2tha[cos(k(t)a)−cos(k0a)](12.17)
を得る。電子は電場の中で加速し続けず、周期 TB=2πℏ/F、振れ幅(山と谷の差)4tha/F=Wa/F で往復する(Bloch 振動)。量子の側では、H のスペクトルは間隔 F の等間隔の準位(Wannier–Stark 準位)で、時間発展はちょうど周期 2πℏ/F で元に戻る。図 12.3 は、幅の広い波束の重心の量子力学の時間発展と (12.17) の比較で、2つは図の精度で重なる。この模型は1本のバンドしか持たないので Zener 遷移は起こらず、半古典運動は波束が広い極限で厳密に正しい。

図 12.3 一様な電場の中の tight-binding 鎖の Bloch 振動(F=0.2th、初期の波数 k0a=π/2、波束の幅 20a)。点線と点=量子力学の時間発展による波束の重心、実線=半古典運動 (12.17)。振れ幅は 4tha/F=20a、周期は 2πℏ/F=31.4ℏ/th
例題 12.5 Bloch 振動はどこで見えるか ★★
オリジナル(12.17) を使って、Bloch 振動の周期と振れ幅を見積もる。h=2πℏ=4.136×10−15eVs とする。
- 半導体の超格子(周期 a=10nm、ミニバンドの幅 W=20meV)に E=1×105Vm−1 をかけたときの周期 TB と振れ幅を求めよ。
- 普通の結晶(a=0.5nm)で、電子が散乱される平均の時間を τ=1×10−14s と置く。TB<τ となる電場の大きさを求め、普通の結晶で Bloch 振動が見えない理由を述べよ。
- (1) の条件で、半古典運動の前提(1本のバンドに留まる)を確かめよ。超格子の第1ミニギャップは 100meV とする。
解答
(1) eEa=105V/m×10−8m×e=1meV なので TB=h/(eEa)=4.136×10−15/10−3s=4.1ps。振れ幅は Wa/(eEa)=W/(eE)=0.02V/(105V/m)=2×10−7m=200nm(20周期分)である。
(2) TB=h/(eEa)<τ より E>h/(eaτ)=4.136×10−15/(5×10−10×10−14)V/m=8.3×108Vm−1。これは多くの物質の絶縁破壊を超える大きさで、その前に電子は散乱されて位相を失う。周期 a を大きくした超格子では必要な電場が a に反比例して下がるので観測でき、超格子の光学的な測定で Bloch 振動が見つかった(J. Feldmann et al. (1992), Phys. Rev. B 46, 7252)。
(3) 1周期で電場がする仕事 eEa=1meV は、目安 εg2/W=(100)2/20meV=500meV より十分小さく、ギャップ 100meV よりも小さい。Zener 遷移は無視でき、1本のミニバンドに留まる前提は満たされる(検算スクリプト)。
近似の裏付け
型 B(極限) | 小さいもの η=a/ℓ→0(外場の変わる長さに比べて格子定数が小さい。一様な電場なら eEa/εg が小さい) | 証明 条件付き(注目するバンドの族がギャップで孤立していること。Peierls 置換を主要項、Berry 曲率を1次の補正とする有効 Hamiltonian は Panati–Spohn–Teufel 2003。ギャップが閉じる所では破れる) | 行き先 近似の数理 第7章
AI(Claude)が書いた教材を、木下が勉強しながら公開しています。式と数値は検算していますが、誤りが残っているかもしれません。誤りのご指摘・削除のご依頼をいただければ直します。 連絡先:support@tecktom.com