相対エントロピーから情報と物理を組み立てる 第1部 第7章 §1.7.2 ★★★ D の3つの性質を2次の係数に移すと、J≥0・n 倍・データ処理で減ることがそのまま出る
式 (1.7.6) は「D について成り立つ不等式や等式を δ2/2 で割って δ→0 とすれば、J について成り立つ」ことを意味する。この節では、第1部第3章と第4章で示した D の性質を順にこの方法で J へ移す。
非負性と加法性
D≥0(第1部第3章)を δ2/2 で割れば J(θ)≥0 である。定義 J=⟨sθ2⟩ からも明らかだが、J(θ)=0 となるのは sθ(x)=0 がほとんどすべての x で成り立つとき、つまり θ を少し動かしても分布がまったく変わらない(θ が識別できない)ときに限る。
独立な2つの確率変数の組 (X,Y) で、pθ(x,y)=pθ(x)rθ(y) と分かれるとき、D は足し算になる:D(pθrθ∥pθ+δrθ+δ)=D(pθ∥pθ+δ)+D(rθ∥rθ+δ)。両辺の δ2 の係数を比べて、Fisher 情報も足し算になる。特に同じ分布から独立に n 回観測した Xn=(X1,…,Xn) では
JXn(θ)=nJ(θ)(1.7.7)
である。以後、どの確率変数の Fisher 情報かを区別したいときは JX(θ) のように添字を付ける。
データ処理不等式と十分統計量
観測値 X をそのまま使わず、何らかの加工 T=t(X)(ビンにまとめる、符号だけ記録する、平均だけ残す、雑音の入った通信路を通す)をしたとする。加工は確率行列 W を掛ける操作で、θ によらない。第1部第4章のデータ処理不等式 D(Wp∥Wq)≤D(p∥q) をp=pθ、q=pθ+δ に当てて δ2/2 で割ると、次の命題になる。決定的な加工 T=t(X) については第1部第4章の式 (1.4.24) で先に見た。ここでは確率的な加工まで含めて命題にまとめる。
命題 1.7.2(Fisher 情報のデータ処理不等式 ★★★)
θ によらない加工 T=t(X)(確率的な加工でもよい)について
JT(θ)≤JX(θ)(1.7.8)
が成り立つ。T が θ の十分統計量なら、すべての θ で等号が成り立つ。
等号の条件は、十分統計量では D が保たれる(第1部第4章)ことから従う。十分統計量に直接当てはめると次のように確かめられる。Fisher–Neyman の分解 p(x;θ)=g(t(x);θ)h(x) が成り立てばsθ(x)=∂θlng(t(x);θ) となり、スコアは t(x) だけの関数である。このときスコアの分布は T だけから計算でき、JT=JX となる。
加工で情報が増えないこと
命題 1.7.2 は、「データを後からどう処理しても、パラメータについての情報は増えない」という直観を、Fisher 情報という数で述べたものである。θ が少し違う2つの分布 pθ と pθ+δ は、加工の後のほうが見分けにくい。推定量 θ^(X) 自体も X の加工の1つなので、推定量の分布が持つ Fisher 情報も JX を超えない。これが次の節の Cramér–Rao の不等式の背景になる。
パラメータの付け替えと幾何
同じ族を別のパラメータ η で表す(θ=θ(η))と、分布 pθ と pθ+δ そのものは変わらないので D も変わらない。η を ϵ だけずらすと θ は δ=θ′(η)ϵ だけずれるから、2次の係数を比べて
J(η)(η)=J(θ)(θ)(dηdθ)2(1.7.9)
となる。J はパラメータの変化の2乗に掛かる係数なので、長さの2乗を測る計量と同じ変換をする。
この計量の意味は、値が有限個の分布で見るとはっきりする。pi(i=1,…,m)についてJ=∑i(∂θpi)2/pi=4∑i(∂θpi)2 と書き直せる。ベクトル (p1,…,pm) は ∑i(pi)2=1 を満たすので、半径1の球面上の点である。したがって 41J(θ)dθ2 は、分布の族が球面上に描く曲線の長さの要素の2乗に等しい。この計量で測った2つの分布 p、q の間の最短距離は球面上の大円の弧で、2arccos∑ipiqi になる(係数 2 は ds2=Jdθ2 と測るため)。この距離は、係数 2 を除いて W. K. Wootters が「統計的距離」と呼んだもので、量子状態の間の距離へそのまま拡張された(W. K. Wootters (1981), Phys. Rev. D 23, 357–362)。量子版は第3部第8章(第3部第8章)で扱う。
例題 1.7.2 符号だけ記録すると Fisher 情報はどれだけ減るか ★★★
オリジナルX は平均 θ、分散 1 の正規分布に従う。X の値は記録せず、T=1(X>0 のとき)、T=0(X≤0 のとき)だけを残す。
- JX(θ) を求めよ。
- JT(θ) を標準正規分布の密度 ϕ と分布関数 Φ で表し、θ=0 での値を求めよ。
- JT(θ)≤JX(θ) を θ=0,1,2 で数値で確かめ、θ が大きいとき符号の記録がほとんど役に立たない理由を述べよ。
解答
(1) lnp(x;θ)=−21(x−θ)2−21ln(2π) なので sθ(x)=x−θ、JX=⟨(X−θ)2⟩θ=1 である。
(2) T は表の確率 Pr(X>0)=Φ(θ) の Bernoulli 変数である。例題 1.7.1 の結果と付け替えの式 (1.7.9)(Bernoulli の確率 Φ(θ) を θ で微分すると ϕ(θ))から
JT(θ)=Φ(θ)(1−Φ(θ))ϕ(θ)2
となる。θ=0 では ϕ(0)2=1/(2π)、Φ(0)=21 なので JT(0)=1/41/(2π)=π2=0.637 である。
(3) JT(0)=0.637、JT(1)=0.439、JT(2)=0.131 で、どれも JX=1 より小さい。θ が大きいと X>0 がほとんど確実に起こり、θ を少し動かしても T の分布がほとんど変わらない。符号という1ビットの記録は、平均が 0 の近くにあるときだけ、もとの観測の Fisher 情報の6割強を残す。
AI(Claude)が書いた教材を、木下が勉強しながら公開しています。式と数値は検算していますが、誤りが残っているかもしれません。誤りのご指摘・削除のご依頼をいただければ直します。 連絡先:support@tecktom.com