相対エントロピーから情報と物理を組み立てる 第3部 第1章 §3.1.6 ★★ 量子力学の授業の状態ベクトル・射影測定、2準位系や NMR の Bloch 方程式(T1・T2)、確率過程の確率行列を、この章の密度行列とチャネルで書き直す
状態ベクトルと射影測定
学部の量子力学の授業では、状態を ∣ψ⟩ で書き、時間発展を Schrödinger 方程式 iℏ∂t∂∣ψ⟩=H^∣ψ⟩、測定を「固有値 m が確率 ⟨ψ∣P^m∣ψ⟩ で出て、状態は P^m∣ψ⟩ に比例するものへ変わる」と習う。密度行列で書くと、時間発展は iℏ∂t∂ρ^=[H^,ρ^](von Neumann 方程式)で、これは Kraus 演算子が1つ U^(t)=e−iH^t/ℏ のチャネルである。測定して結果を記録しない場合は、Kraus 演算子 {P^m} のチャネル ρ^↦∑mP^mρ^P^m になり、これは3.1.3節の「Z で測って忘れる」操作の一般形である。結果 m を記録する場合は、確率 pm=Tr(P^mρ^) と測定後の状態 P^mρ^P^m/pm の組を作る。P^m を一般の K^m に替え、E^m=K^m†K^m を POVM とする形が、3.1.5節の測定の一般形である。授業の公理系は、この章の枠のうち「純粋状態・ユニタリ・射影測定」の部分を取り出したものになっている。
Bloch 方程式と緩和時間 T1, T2
磁気共鳴や2準位原子の授業では、Bloch ベクトルの成分の緩和を
dtdrx=−T2rx,dtdry=−T2ry,dtdrz=T1rzeq−rz(3.1.20)
と書く(回転座標系で、外場の歳差運動を除いた形)。T1 を縦緩和時間(エネルギー緩和)、T2 を横緩和時間(位相緩和)と呼ぶ。この章では ∣0⟩ を低いエネルギーの状態に取っているので、絶対零度の環境への緩和では平衡点は rzeq=1 である。(光の巻(光学と量子エレクトロニクス 第19章)の2準位系は σz∣e⟩=+∣e⟩ と励起状態を上に取るので、Z と σz の符号は逆になる。)
この方程式は、密度行列の Lindblad 方程式
dtdρ^=Γ(L^ρ^L^†−21{L^†L^,ρ^}+)+2γϕ(Zρ^Z−ρ^),L^=∣0⟩⟨1∣(3.1.21)
の Bloch 表示である1G. Lindblad (1976), Commun. Math. Phys. 48, 119–130、V. Gorini, A. Kossakowski, E. C. G. Sudarshan (1976), J. Math. Phys. 17, 821–825。。第1項は振幅減衰の生成子で、これだけを解くと ρ^(t) は式 (3.1.8) の振幅減衰に γ(t)=1−e−Γt を入れたものになる。第2項は位相反転の生成子で、非対角成分を e−γϕt 倍にする。成分を計算すると rz は e−Γt で 1 へ、rx,ry は e−(Γ/2+γϕ)t で 0 へ近づくので
T11=Γ,T21=2Γ+γϕ=2T11+γϕ(3.1.22)
である。式 (3.1.21) の各時刻の解は、係数 Γ,γϕ が非負なら量子チャネルになる(振幅減衰と位相反転の合成になる)。したがって、授業で経験則として習う T2≤2T1 は、γϕ≥0、すなわち時間発展が完全正値であるための条件として読める。振幅減衰を2回続けると 1−γ=(1−γ1)(1−γ2) の振幅減衰になることも、e−Γt1e−Γt2=e−Γ(t1+t2) と整合している。
Lindblad 方程式で書けるのは、系の変化がその時刻の ρ^ だけで決まる(Markov 的な)場合である。系と環境の結合が弱く、環境の相関が系の変化より十分速く消える極限で、全体のユニタリな時間発展から式 (3.1.21) の形が導かれる2E. B. Davies (1974), Commun. Math. Phys. 39, 91–110。。
近似の裏付け
型 B(極限) | 小さいもの 系と環境の結合の強さ λ(λ→0 で λ2t を固定する van Hove の極限) | 証明 条件付き(有限次元の系・環境の相関関数が十分速く減衰。Davies 1974) | 行き先 近似の数理 第14章
例題 3.1.6 T1 と T2 から緩和を追う ★★
オリジナルある量子ビットの緩和時間を T1=50μs、T2=60μs とする(数値は例として選んだもの)。環境は絶対零度とし、式 (3.1.21) で緩和するとする。
- Γ と γϕ を求めよ。
- ∣+⟩ から始めて t=30μs 後の Bloch ベクトルと純粋度を求めよ。
- 仮に T2=120μs と測られたとすると何がおかしいか。∣0⟩ に近い純粋状態 r=(sinθ,0,cosθ) について ∣r∣2 の時間微分を求め、θ=0.3 で符号を調べよ。
解答
- Γ=1/T1=0.02μs−1、γϕ=1/T2−1/(2T1)=1/60−1/100=1/150μs−1。
- 式 (3.1.20) を rzeq=1 で解くと rx(t)=rx(0)e−t/T2、1−rz(t)=(1−rz(0))e−t/T1。∣+⟩ は (1,0,0) なのでrx=e−0.5=0.6065、ry=0、rz=1−e−0.6=0.4512。純粋度は (1+0.60652+0.45122)/2=0.7857。
- γϕ=1/120−1/100<0 となり、式 (3.1.21) の第2項の係数が負になる。dtd∣r∣2=2(rxr˙x+rzr˙z)=2(−rx2/T2+rz(1−rz)/T1) に純粋状態を入れると
dtd∣r∣2=2(T1cosθ(1−cosθ)−T2sin2θ).
θ=0.3、T1=50、T2=120 では 2.5×10−4μs−1>0 で、Bloch ベクトルが球の外へ出る。θ→0 では括弧の中が θ2(1/(2T1)−1/T2) なので、T2>2T1 なら ∣0⟩ の近くの純粋状態は必ず外へ出る。出力が密度行列でなくなるので、この時間発展は正値ですらない。T2=60 なら同じ量は −1.2×10−3μs−1<0 で、問題は起きない。
確率過程の確率行列
確率過程の授業の Markov 連鎖は、状態の分布 p に確率行列 W を繰り返し当てる。この章の言葉では、対角の密度行列だけを扱い、Kraus 演算子 (3.1.10) で書けるチャネルを当てていることになる。対角の範囲では、トレース距離は全変動距離、Helstrom の定理は「尤度の大きい方を答える」最尤判定の成功確率、定理 3.1.9 は全変動距離の単調性に戻る。量子に移って新しく加わったのは、非対角成分を減らすチャネル(位相反転・位相緩和)と、完全正値性という古典には無い制約の2つである。
ほかの巻では
- 光学と量子エレクトロニクス 第19章:同じ T1・T2 を2準位原子の自然放出と位相の乱れから出す光 Bloch 方程式が読める。記号の対応:向こうは σz∣e⟩=+∣e⟩ で、この巻の Z と符号が逆
1 G. Lindblad (1976), Commun. Math. Phys. 48, 119–130、V. Gorini, A. Kossakowski, E. C. G. Sudarshan (1976), J. Math. Phys. 17, 821–825。
2 E. B. Davies (1974), Commun. Math. Phys. 39, 91–110。
AI(Claude)が書いた教材を、木下が勉強しながら公開しています。式と数値は検算していますが、誤りが残っているかもしれません。誤りのご指摘・削除のご依頼をいただければ直します。 連絡先:support@tecktom.com