相対エントロピーから情報と物理を組み立てる 第4部 第5章 §4.5.6 ★★ 熱力学の授業の「Clausius の不等式を記憶に当てる」「理想気体1分子の等温圧縮で kBTln2」は、この章の一般形で中身を対称・五分五分・大きな熱浴に限った場合
熱力学と統計力学の授業では、Landauer 原理は次の2行で導かれることが多い。1つは Clausius の不等式による導き方で、温度 T の熱浴と熱 Q をやりとりする系のエントロピー変化について
ΔS ≥ TQ(4.5.17)
が成り立つ。1ビットの記憶の消去で記憶のエントロピーが ΔS=−kBln2 変わるとすると、記憶が受け取る熱は Q≤−kBTln2、つまり熱浴へ kBTln2 以上の熱が出る。もう1つは理想気体による導き方で、Szilard の箱の1分子を体積 V から V/2 へ等温準静的に押し込む仕事が
W=−∫VV/2V′kBTdV′=kBTln2
になることを使う。
この章の形と並べると次のようになる。
| 授業の形 | この章の形 |
| ΔS≥Q/T(熱力学のエントロピー) | βQR=ΔH+I(Y′;R′)+D(pR′∥πR)(等式、定理 4.5.2) |
| 記憶のエントロピー変化 −kBln2 | 微視的な分布のエントロピーの減り H(Y)−H(Y′)。論理状態の ln2 に一致するのは対称な記憶だけ |
| 1ビットの消去に kBTln2 | ⟨W⟩≥∑m(pm′−pm)Fm+kBT[H(M)−H(M′)](定理 4.5.3) |
| 等温圧縮 ∫pdV | 準静的な手順での等号。素朴な手順の余分は kBTD(pM∥πM) |
| Kelvin の原理(熱浴1つから仕事を取り出し続けられない) | 記憶を含めた1周で Wext−Wmeas−Weras≤0(式 (4.5.16)) |
Clausius の不等式による導き方は、等式 (4.5.6) の後ろの2項を、熱浴が理想的であるとして最初から0とみなしたものにあたる。熱力学のエントロピー S は平衡状態にしか定義されないので、授業の形は「消す前も消した後も記憶は(局所)平衡にある」ことを暗に仮定している。その仮定の下では S=kBH(Y) で、ΔS≥Q/T は式 (4.5.7) と同じ内容になる。この章の形は、消す前の記憶が平衡でない場合(偏った中身・非対称な部屋)も、熱浴が有限の場合も扱え、不等式の余りがどこへ行ったか(相関と熱浴の D、あるいは ⟨Σ⟩)まで数える。
理想気体による導き方は、対称な記憶・五分五分の中身・素朴な手順の組み合わせで、第3節で見たとおりこのときに限って素朴な手順が下限に達する(pM=πM なので仕切りを抜いても何も失わない)。授業の導き方が間違っているわけではなく、成り立つ範囲が狭い。授業の形を非対称な記憶にそのまま当てて「kBTln2 より安い消去は第二法則に反する」と結論すると誤りで、第4節のとおり測定の側にコストが移っている。
数値の目安として、300K では kBTln2=2.87×10−21J=0.0179eV である。現在の論理素子が1回の切り替えに使うエネルギーはこれよりずっと大きく、この限界はまだ工学の制約にはなっていない。限界に近い消去を実験で確かめた例は 第4部第7章 で扱う。
同じ名前の別の結果
Landauer の名前の付いた結果はもう1つあり、固体の輸送で習う Landauer の公式(コンダクタンスを透過確率で表す式)はそちらである(R. Landauer (1957), IBM J. Res. Dev. 1, 223 に始まる)。消去の熱の原理とは内容も導き方も別で、共通するのは提唱者だけである。固体の側は ハミルトニアンの選び方で固体を考える 第4部第7章 で扱う。
例題 4.5.6 記憶装置1つ分の消去の下限 ★
オリジナル8×109 ビット(109 バイト)の対称な記憶が五分五分の乱数で埋まっている。
- (1) 300K で全部を完全に消すときの仕事の下限を求めよ。
- (2) 液体窒素の温度 77K で消すと下限はいくらか。冷やして消すと得になるかどうかを、冷やすための仕事も含めて論じよ。
解答
(1) ビットごとの消去は独立なので、下限は 8×109×kBTln2=8×109×2.87×10−21=2.30×10−11J である。ビットごとに消しても全体をまとめて消しても、エントロピーは足し算なので同じ量になる。
(2) 77K では温度に比例して 5.90×10−12J に下がる。ただしこれは 77K の熱浴へ出す熱で、その熱を 300K の環境へ汲み出すには冷凍機の仕事が要る。理想的な冷凍機(Carnot の逆回し)で熱 Qc を低温 Tc から高温 Th へ運ぶ仕事は Qc(Th/Tc−1) なので、消去の熱 kBTcln2 を運ぶ仕事と合わせると kBTcln2×Th/Tc=kBThln2 に戻る。環境の温度に熱を捨てる限り、冷やしても下限は環境の温度で決まり、得にはならない。
AI(Claude)が書いた教材を、木下が勉強しながら公開しています。式と数値は検算していますが、誤りが残っているかもしれません。誤りのご指摘・削除のご依頼をいただければ直します。 連絡先:support@tecktom.com