相対エントロピーから情報と物理を組み立てる 第4部 第6章 §4.6.6 ★★ 線形応答では Einstein の関係のもとで TUR が等号になる。中心極限定理の 1/t、統計学の Cramér–Rao、量子力学の Mandelstam–Tamm と同じ骨組みを持つ
Einstein の関係と線形応答
統計力学の授業では、Brown 運動の拡散係数と移動度の間に Einstein の関係 拡散係数=移動度×kBT が成り立つことを習う。弱い力 f で押された粒子の変位 X について、平均は ⟨X⟩=μmft(μm=1/γ は移動度)、分散は Var(X)=2μmkBTt である。エントロピー生成は ⟨Σ⟩=f⟨X⟩/(kBT)=μmf2t/(kBT) なので
⟨X⟩2Var(X)⟨Σ⟩=μm2f2t22μmkBTt⋅kBTμmf2t=2(4.6.24)
で、TUR は等号になる(例題 4.6.1 と同じ計算)。一般に平衡に近い線形応答の領域では、流れの平均は親和力に比例し(Onsager の係数 L)、流れの揺らぎは揺動散逸定理(Green–Kubo の公式)で同じ L に結びつく:⟨J⟩=LFt、Var(J)=2Lt、⟨Σ⟩=LF2t(F は kBT を単位とした親和力)。このとき R=2 である。TUR は、揺動散逸定理で等式として成り立つ「揺らぎと散逸の比」を、平衡から遠い領域で不等式として延ばしたものと読むことができる。図 4.6.1 で Ac→0 で R→2 になったのは、この線形応答の極限である。
近似の裏付け
型 B(極限) | 小さいもの Ac→0(1周あたりの親和力、kBT を単位とする) | 証明 条件付き(Markov 過程で、流れの平均と分散が親和力について滑らかなとき。揺動散逸定理は局所詳細つり合いから出る) | 行き先 近似の数理 第1章
中心極限定理と測定の誤差
統計の授業で習うとおり、独立な n 個の標本の平均の相対誤差は 1/n で下がる。定常状態の流れ J も、長い時間では独立に近い小区間の和なので、中心極限定理から相対誤差は 1/t で下がる。TUR はこの係数に下限をつけたもので、「εJ2×(単位時間のエントロピー生成)×t≥2」と読むことができる。統計学の Cramér–Rao の不等式(統計学では Fisher 情報を I(θ) と書く)を、経路を標本とし、流れの強さを未知のパラメータとする推定問題に当てたものが TUR である。
量子力学の時間とエネルギーの不確定性関係
量子力学の授業では、エネルギーの不確定さ ΔE と、状態が目に見えて変わるまでの時間 Δt の間に ΔEΔt≳ℏ の関係があることを習う。これを正確にしたものが Mandelstam–Tamm の限界で、純粋状態 ∣ψ(t)⟩ が Hamiltonian H^ のもとで時間 τ 発展するとき
ℏΔEτ ≥ arccos∣⟨ψ(0)∣ψ(τ)⟩∣,特に直交するまでの時間は τ⊥≥2ΔEπℏ(4.6.25)
である。第3部第8章で見たとおり、純粋状態のユニタリ発展の量子 Fisher 情報は時間をパラメータとして JQ=4(ΔE)2/ℏ2 である(第3部第8章)。式 (4.6.25) は、∫0τJQdt=2ΔEτ/ℏ が忠実度で測った統計的距離 2arccos∣⟨ψ(0)∣ψ(τ)⟩∣ 以上である、と書き直すことができる。これは古典の式 (4.6.21) の Jt を JQ に、∑piqi を ∣⟨ψ∣ϕ⟩∣ に置き換えたものにほかならない。量子でも古典でも、速度限界は「状態の変わる速さを Fisher 情報で測り、その曲線の長さが2点の距離以上である」という同じ幾何の不等式である。違うのは速さを決めるものだけで、量子の孤立系ではエネルギーの揺らぎ、確率過程では活動度とエントロピー生成(定理 4.6.4)がその役を担う。なお、平均のエネルギーで押さえる別の限界 τ⊥≥πℏ/(2(⟨H^⟩−E0))(E0 は基底エネルギー)もある(N. Margolus and L. B. Levitin (1998), Physica D 120, 188)。
例題 4.6.6 スピンの歳差運動の速度限界 ★★
オリジナル磁場の中のスピン 21 を H^=−2ℏωσz で表し、初めの状態を ∣ψ(0)⟩=(∣↑⟩+∣↓⟩)/2 とする。
- (1) ΔE を求め、Mandelstam–Tamm の限界から得られる、直交するまでの時間の下限を書け。
- (2) ∣⟨ψ(0)∣ψ(t)⟩∣ を求め、実際に直交するまでの時間と比べよ。
- (3) Margolus–Levitin の限界の値も求めよ。
解答
(1) H^ の固有値は ∓ℏω/2 で、どちらの確率も 21 なので ⟨H^⟩=0、ΔE=ℏω/2 である。下限は πℏ/(2ΔE)=π/ω である。
(2) ∣ψ(t)⟩=(eiωt/2∣↑⟩+e−iωt/2∣↓⟩)/2 だから ⟨ψ(0)∣ψ(t)⟩=cos(ωt/2) で、t=π/ω で初めて0になる。Mandelstam–Tamm の限界は等号で成り立つ。さらに 0≤t≤π/ω で arccos∣cos(ωt/2)∣=ωt/2=ΔEt/ℏ なので、式 (4.6.25) は途中の各時刻でも等号である。状態は Bloch 球の赤道を一定の速さで回り、統計的距離の測地線に沿って動いている(例題 4.6.4 の古典の2状態の緩和と同じ状況)。
(3) 基底エネルギーは E0=−ℏω/2 で、⟨H^⟩−E0=ℏω/2 だから下限は π/ω で、これも等号である。2準位の等しい重ね合わせでは2つの限界が一致する。
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