相対エントロピーから情報と物理を組み立てる 第7部 第5章 §7.5.3 ★★★ 仮定1は I(B;C)=2S(B)、仮定3は I(B;R)=2S(B) を要求し、和 4S(B) は上限 2S(B) を超える。小さな補正で救えないことも同じ不等式から量で言える
矛盾
7.5.1節の3つの仮定を定理 7.5.1 に入れる。Page 時間の後に出る遅いモード B について、仮定1は I(B;C)=2S(B)、仮定3は I(B;R)≈2S(B) を要求する。仮定2は、B・C・R を別々の系として扱い、B の状態をどちらの仮定でも同じ熱状態としてよいことを保証する。すると
I(B;R)+I(B;C)≈4S(B)>2S(B)(7.5.9)
となり、一夫一婦制の不等式 (7.5.8) に反する。B が量子ビット1個なら、図 7.5.2 の点 (2,2) である。
AMPS の原論文は、同じ矛盾を強劣加法性 (7.5.6) で直接書いた。S(RB)+S(BC)≥S(B)+S(RBC) に仮定1の S(BC)=0 を入れると、BC が純粋なので ρ^RBC=ρ^R⊗ρ^BC で S(RBC)=S(R)。したがって S(RB)≥S(R)+S(B) で、B を加えると放射のエントロピーは増えるしかない。一方、仮定3は S(RB)≈S(R)−S(B) を要求する。2つの書き方は同じ不等式の別の顔で、どちらも「部分トレースで相対エントロピーが増えない」の帰結である。
この矛盾が Page 時間の後にだけ現れることに注意する。Page 時間の前は R が小さく、B はまだ R とほとんど相関していない(I(B;R)≈0)。Hawking の計算は、それを最後まで延ばして I(B;R)=0 のまま放射のエントロピーを増やし続ける。それが情報喪失のパラドックスだった(第7部第2章)。Page 時間の後に純粋性を回復させようとすると、今度は地平面の真空と衝突する。AMPS の議論は、情報喪失のパラドックスを「Page 時間の後のある時刻に、ある1つのモードについて」局所的に言い直したものと読める。

図 7.5.3 全体で N=12 個の量子ビットが Haar 乱数の純粋状態にあり、そのうち k 個が放射 Rk に出たときの、次の1個 B と Rk の相互情報量の平均(実線、Page の平均の式から計算した厳密な期待値)。Page 時間を過ぎるとほぼ 2ln2 になる。点線は仮定1が同じ B と内側の相手に要求する値で、2本の和は上限 2ln2 を超える
近似の裏付け
型 B(極限) | 小さいもの 2−∣N−2k∣/2→0(放射とブラックホールの片方の次元がもう片方より十分大きい) | 証明 条件付き(Page の平均の式そのものは Foong–Kanno 1994・Sen 1996 が証明。ブラックホールの時間発展を Haar 乱数のユニタリで置き換えるのは仮定) | 行き先 近似の数理 第13章
小さな補正では救えない
Hawking の計算に小さな補正を足せば、放射は少しずつ R と相関を持つようになり、矛盾が消えるのではないか、という期待がある。Mathur は、これが不可能であることを量的に示した1S. D. Mathur (2009), Class. Quantum Grav. 26, 224001.。同じ趣旨の不等式を、この章の道具で出しておく。
命題 7.5.2(小さな補正の不等式 ★★★)
3つの系の任意の状態について
S(RB)−S(R)≥S(B)−2S(BC).(7.5.10)
証明
弱単調性 (7.5.7) を書き直すと S(R)+S(C)≤S(RB)+S(BC)(第3部第3章の左の形で A=R とおいたもの)。よって S(RB)−S(R)≥S(C)−S(BC)。Araki–Lieb の不等式 ∣S(B)−S(C)∣≤S(BC)(第3部第2章)から S(C)≥S(B)−S(BC) で、これを入れると式 (7.5.10) になる。
S(BC) は、B と C の組が純粋な熱場二重状態からどれだけずれているかを測る。ずれが小さく S(BC)≤ϵ なら、B が出るたびに放射のエントロピーは少なくとも S(B)−2ϵ 増える。Page 時間の後に求められているのは、逆に S(B) だけ減ることだった。式 (7.5.10) で S(RB)−S(R)=−S(B) とおくと S(BC)≥S(B) で、B と C の組は純粋どころか B 自身と同じだけ混ざっていなければならない。B が量子ビットなら S(BC)≥ln2 である。地平面の真空からのずれは、モード1個あたり O(1) の大きさで要る。ずれを小さな補正として扱う限り、放射のエントロピーは増え続ける。
例題 7.5.3 12 量子ビットの模型での分け合い ★★
オリジナル全体で N=12 個の量子ビットが Haar 乱数の純粋状態にあるとする。dA≤dB の2つに分けたときの部分系のエントロピーの平均は Page の式⟨S⟩=∑j=dB+1dAdBj1−2dBdA−1(第2部第3章の式 (2.3.22)。第7部第3章の式 (7.3.6) に再掲)で与えられる。
- (1) 1量子ビットのエントロピーの平均 ⟨S(B)⟩ を求めよ。
- (2) k=8 個が放射に出たとき、次の1個 B と R8 の相互情報量の平均 ⟨I(B;R8)⟩=⟨S(B)⟩+⟨S(R8)⟩−⟨S(R8B)⟩ を求めよ。
- (3) 定理 7.5.1 から、同じ B が残りの自由度の中の1量子ビット C と持てる相互情報量の上限を見積もれ(平均の値どうしで見積もってよい)。
- (4) B が地平面の真空の要求 I(B;C)=2ln2 を満たすとすると、放射のエントロピーは B が出たとき少なくともいくら増えるか。命題 7.5.2 を使え。
解答
(1) dA=2、dB=211=2048 で ⟨S(B)⟩=∑j=204940961/j−1/4096=0.6928 nat =0.9995ln2。
(2) 同じ式で ⟨S(R8)⟩=3.9551ln2(dA=24、dB=28)、⟨S(R8B)⟩=2.9889ln2(dA=23、dB=29)。⟨I(B;R8)⟩=(0.9995+3.9551−2.9889)ln2=1.9657ln2=1.3625 nat。ほぼ上限 2ln2 に達している。
(3) 2⟨S(B)⟩−⟨I(B;R8)⟩=(1.9989−1.9657)ln2=0.0333ln2=0.0231 nat。C に残っているのは Bell 対の 1.7% にすぎない。
(4) I(B;C)=2ln2 は BC が純粋で S(BC)=0、S(B)=ln2 を意味するので、S(R8B)−S(R8)≥ln2。放射のエントロピーは少なくとも ln2 増える。Page の模型では ⟨S(R9)⟩−⟨S(R8)⟩=−0.9662ln2 と減っていたので、2つの要求の差は約 1.97ln2 になる。
1 S. D. Mathur (2009), Class. Quantum Grav. 26, 224001.
AI(Claude)が書いた教材を、木下が勉強しながら公開しています。式と数値は検算していますが、誤りが残っているかもしれません。誤りのご指摘・削除のご依頼をいただければ直します。 連絡先:support@tecktom.com