ハミルトニアンの選び方で固体を考える 第1部 第1章 §1.1.2 ★★★ エネルギーの大きさが桁で離れた自由度は、高い方を基底状態に固定し、低い方だけを動かしてよい
電子と原子核:Born–Oppenheimer 近似
最初に、原子核の運動と電子の運動の結びつきを削る。原子核は電子より 103〜105 倍重いので、電子から見ると原子核はほとんど止まっている。そこで原子核の位置 R=(R1,…,RNn) を数として固定し、電子だけの固有値問題
H^e(R)Φn(r;R)=En(R)Φn(r;R)(1.1.3)
を解く。H^e(R) は、式 (1.1.1) から原子核の運動エネルギーを除き、原子核の位置を数に置き換えたものである。原子核はこうして得た E0(R)(電子が基底状態にあるときのエネルギー)をポテンシャルとして、その上を動くとみなす。これが Born–Oppenheimer 近似である。
原子核の振動のエネルギーは、電子のエネルギーの尺度 Eh=27.2eV(Hartree エネルギー)に比べて、小さいパラメータ
κ=(Mm)1/4(1.1.4)
の2乗の大きさ、すなわち ℏω∼κ2Eh=(m/M)1/2Eh になる(近似の数理 第7章)。E0(R) を平衡位置のまわりで2次まで展開すると、原子核はばねでつながれた質点の集まりになる。これを量子化したものがフォノンで、第3部の主題である(ばねでつないだ系の L から基準振動を出す手順は 解析力学から様々な理論分野を組み立てる 第2部第4章)。Born–Oppenheimer 近似は、原子核の運動が電子を励起状態へ移す過程(非断熱結合)を削っている。電子と格子の相互作用(第4部の電気抵抗、第5部の超伝導)は、削った結合の一部をあとから小さな摂動として戻したものと読むことができる。
内殻の電子と温度で凍る励起
同じ考え方を電子の中でも使う。原子の内殻の電子は束縛エネルギーが数百 eV から keV の桁にあり、隣の原子の影響ではほとんど変わらない。そこで内殻の電子は原子核と一緒に1つの「イオン」にまとめ、外側の価電子だけを動かす。銅なら 29 個の電子のうち 4s の 1 個を伝導電子として残し、28 個は +e のイオンの中身とみなす。
温度も凍らせる基準になる。温度 T の熱平衡では、エネルギーが ΔE だけ高い状態の重みは基底状態の e−ΔE/(kBT) 倍である。kBT は 300K で 25.9meV なので、ΔE が 1eV の励起は e−38.7≈1.6×10−17 の重みしか持たず、その自由度は基底状態に固定してよい。逆に ΔE が kBT と同じ桁の自由度は、熱で揺らいでいるので残す必要がある。図 1.1.1 は、この巻に出てくるエネルギーの尺度を対数の目盛りで並べたものである。

図 1.1.1 この巻に出てくるエネルギーの尺度(対数の目盛り)。kBT より桁で大きい励起は基底状態に固定し、kBT と同じ桁の自由度だけを残す。数値はすべて基礎定数と本文の仮定から計算した値で、測定値ではない。
何を削ったか
この節で削ったものは3つある。原子核の運動による電子の励起(Born–Oppenheimer 近似)、内殻の電子の自由度、kBT より桁で高い励起である。3つとも「エネルギーの大きさが桁で離れている」ことを根拠にしている。逆に言えば、2つの自由度のエネルギーが同じ桁に並ぶ所では、この削り方は使えない。金属の伝導電子は Fermi 面のごく近くに kBT より小さな励起を持つので、原子核の振動と同じ桁の励起が混ざる。このため金属では電子と格子の結合が性質に現れ、第4部と第5部でその結合を摂動として戻す。
近似の裏付け
型 B(極限) | 小さいもの κ=(m/M)1/4→0(原子核が電子より十分重い) | 証明 条件付き(電子の準位にギャップがあり、それが考える核の配置で一様に成り立つ。有限個の核での漸近展開は Combes・Duclos・Seiler、Hagedorn らによる。無限個の核をもつ結晶への拡張は要確認) | 行き先 近似の数理 第7章・近似の数理 第13章
例題 1.1.2 シリコンで電子と原子核のエネルギーの尺度を比べる ★★
オリジナルシリコンの原子核の質量を M=28.09u(1u=1.6605×10−27kg)、電子の質量を m=9.109×10−31kg とする。
- (1) m/M と κ=(m/M)1/4 を求めよ。
- (2) 振動のエネルギーの目安 (m/M)1/2Eh を eV で求めよ(Eh=27.21eV)。
- (3) 300K で、エネルギーが 1eV 高い電子の励起状態と、(2) の大きさだけ高い振動の励起状態の重み e−ΔE/(kBT) をそれぞれ求め、どちらの自由度を基底状態に固定してよいかを述べよ。
解答
(1) M=28.09×1.6605×10−27=4.664×10−26kg なので m/M=9.109×10−31/4.664×10−26≈1.95×10−5、κ=(1.95×10−5)1/4≈0.0665 である。
(2) (m/M)1/2=4.42×10−3 なので (m/M)1/2Eh≈4.42×10−3×27.21≈0.120eV。この見積もりは桁を与えるだけで、係数は結晶ごとのばね定数で決まる。実際の値は第3部第3章で中性子散乱・Raman 散乱の測り方とあわせて扱う。
(3) kBT=25.9meV なので、電子の励起は e−1/0.02585=e−38.7≈1.6×10−17、振動の励起は e−0.120/0.02585=e−4.65≈9.6×10−3 である。電子の励起は室温で起こらないので、電子は基底状態に固定してよい。振動の励起は重みが約1%あり、温度を上げるとさらに増えるので、振動の自由度は残して熱で揺らす必要がある。これが「電子は Born–Oppenheimer 近似の基底状態の曲面 E0(R) に置き、原子核はその上で熱振動させる」という固体の標準の扱いの根拠である。
ほかの巻では
- 近似の数理 第7章:Born–Oppenheimer 近似を κ=(m/M)1/4 の特異摂動として組み立てた構造と、ギャップの前提が読める
AI(Claude)が書いた教材を、木下が勉強しながら公開しています。式と数値は検算していますが、誤りが残っているかもしれません。誤りのご指摘・削除のご依頼をいただければ直します。 連絡先:support@tecktom.com