光学と量子エレクトロニクス 第25章 §25.3 ★★★ 光 Bloch 方程式の定常解から、散乱力は ℏkΓρee、強い光で ℏkΓ/2 に飽和する。離調に Doppler のずれが入るので、力は原子の速さに依る
量子論の力の式
式 (25.3) を式 (25.4) に入れる。∇ は Ωc(r) だけに掛かるので、⟨σ+⟩=Tr(ρ^σ+)=ρge(ρge=⟨g∣ρ^∣e⟩)と書いて
F=2ℏ(∇Ωcρge+∇Ωc∗ρeg)=ℏRe[∇Ωcρge]
となる。∇Ωc=(∇Ω/Ω+i∇φ)Ωc を使うと
F=ℏΩ∇ΩRe[Ωcρge]−ℏ∇φIm[Ωcρge](25.13)
で、ここでも振幅の勾配の項と位相の勾配の項に分かれる。Ωcρge は原子の双極子のうち、電場と同じ位相の成分(実部)と 90∘ ずれた成分(虚部)を表す。
原子の内部の状態は、光 Bloch 方程式(第19章、第19章)に従って時間 1/Γ の桁で定常状態に落ち着く。原子が動いて Ωc が変わる時間がそれより長いとき、ρ^ を各位置の定常解で置き換えてよい(25.5節の札)。自然放出の速さ Γ だけを緩和に入れた定常解は
ρee=1+s0+(2Δ/Γ)2s0/2,Ωcρge=−Γ2+4Δ2+2Ω2(2Δ+iΓ)Ω2,s0=Γ22Ω2(25.14)
である。s0 を飽和パラメータと呼ぶ。Ωcρge は Ωc の位相に依らない(ρge が Ωc∗ に比例する)。虚部は −ΓΩ2/(Γ2+4Δ2+2Ω2)=−Γρee に等しい。これは励起状態の占有を保つのに要る吸収の速さが、自然放出の速さ Γρee と等しいことを表している。
散乱力
式 (25.13) の第2項に式 (25.14) の虚部を入れると、
Fscat=ℏ∇φΓρee=ℏk2Γ1+s0+(2Δ/Γ)2s0(25.15)
になる(2つ目の等号は平面波)。Γρee は単位時間の散乱の回数なので、25.1節の描像がそのまま式になった。
第19章で定義した飽和パラメータ s0 と飽和強度(式 (19.18))を、この章の記号で書き直すと、Ω=d∣E∣/ℏ、I=21cε0∣E∣2 と式 (25.2) から
s0=IsatI,Isat=4d2ε0cℏ2Γ2=12πc2ℏω03Γ=2σ0ℏω0Γ(25.16)
で、Isat を飽和強度と呼ぶ。最後の形は「断面積 σ0 の円盤が、共鳴で Γ/2 の速さだけ光子を受け取る強度」と読める。Rb の D2 線では Isat=1.669mW/cm2 である(D. A. Steck, Rubidium 87 D Line Data(http://steck.us/alkalidata)の円偏光の閉じた遷移の値と一致する)。
式 (25.15) は2つの極限を持つ。弱い光(s0≪1)では Fscat≈(ℏkΓs0/2)/(1+(2Δ/Γ)2) で、共鳴では σ0I/c に等しく、25.2節の古典の式 (25.10) に戻る。強い光(s0≫1)では ρee→21 で、力は
Fmax=2ℏkΓ(25.17)
を超えない。光を強くしても励起状態の占有は半分を超えず、散乱の回数は自然放出の速さで決まる上限 Γ/2 に達する。古典の振動子にはこの上限が無く、ここが2準位系と Lorentz 振動子の違いが現れる所である(第1章で述べた飽和)。また式 (25.15) を離調の関数として見ると、半値全幅は Γ1+s0 で、強い光ほど線が広がる(パワー広がり)。図 25.2 にこの形を示す。

図 25.2 散乱力 (25.15) を離調の関数として描いたもの。強い光ほど中心の高さは 1(Fmax=ℏkΓ/2)に近づき、幅は Γ1+s0 に広がる。
Doppler のずれと速さに依る力
原子が速度 v で動いていると、原子の静止系で見た光の角周波数は ωL−k⋅v にずれる(1次の Doppler 効果)。式 (25.15) の Δ を
Δ→Δ−k⋅v(25.18)
に置き換えたものが、動く原子が受ける散乱力である。力が速さに依ることが、第26章(第26章)のレーザー冷却の出発点になる。赤い離調(Δ<0)の光に向かって進む原子(k⋅v<0)は、Doppler のずれで共鳴に近づくので、遠ざかる原子より強く押し返される。向かい合う2本の光の力を足すと、速さに比例する摩擦力が残る。
反対に、原子線を止めるときには、Doppler のずれは邪魔になる。次の例題で見るとおり、原子の速さが Γ/k の桁より大きく変わると、同じ周波数の光は原子に届かなくなる。
散乱力だけでは原子を捕まえられない
散乱力 (25.15) は、弱い光では強度に比例して Poynting ベクトルの向きに働く。吸収の無い空間で時間に依らない光の Poynting ベクトルの発散は 0 なので、この力の場の発散も 0 になり、力の向きがすべて内向きの点(安定な捕獲の点)は作れない。これは静電場で電荷を捕まえられないという Earnshaw の定理の光の版で、A. Ashkin, J. P. Gordon (1983)、Opt. Lett. 8, 511 が示した。原子を捕まえるには、双極子力(25.4節)を使うか、磁場で原子の準位をずらして散乱力の向きを位置で変える(第26章の磁気光学トラップ)必要がある。
例題 25.3 原子線を正面からの光で止める ★★★
オリジナル例題 25.1 の 87Rb 原子を考える(λ0=780.24nm、Γ=2π×6.067MHz、Isat=1.669mW/cm2)。
- (1) 散乱力が与える最大の加速度 amax=ℏkΓ/(2m) を求め、重力加速度と比べよ。
- (2) 原子がいつも共鳴(Δ−k⋅v=0)にあり、s0=2 の光を受け続けるとして、300m/s の原子が止まるまでに進む距離を求めよ。
- (3) 静止した原子に共鳴するよう周波数を固定した光(Δ=0、s0=2)を、300m/s の原子に正面から当てる。Doppler のずれ kv を Γ で表し、力が (2) の何倍になるか求めよ。
- (4) s0=0.1 の共鳴の光で、例題 25.2 (2) の線形の力と式 (25.15) の力を比べよ。
解答
(1) amax=vrecΓ/2=5.885×10−3×1.906×107=1.12×105ms−2 で、重力加速度の 1.14×104 倍である。
(2) s0=2、共鳴で s0/(1+s0)=2/3 なので、加速度は a=32amax=7.48×104ms−2 で一定である。等加速度の運動で止まるまでの距離は v2/(2a)=3002/(2×7.48×104)=0.602m。実験室の机の上に収まる長さで、原子線を止められる。
(3) kv=8.053×106×300=2.416×109s−1、kv/(2π)=384MHz で、kv/Γ=63.4 である。正面から来る光なので k⋅v=−kv で、原子が感じる離調は +kv(青い側)になる。式 (25.15) の比は
1+s0+(2kv/Γ)21+s0=3+126.823=1.87×10−4
で、ほとんど力が働かない。光の周波数を −kv だけ赤い側へずらせば最初は共鳴するが、原子が減速するとすぐ共鳴から外れる。kv=Γ/2 になる速さの変化は Γ/(2k)=2.37m/s、反跳 400 回分にすぎない。減速の途中で共鳴を保つには、光の周波数を時間とともに変えるか、磁場で原子の遷移の周波数を場所ごとに変える(Zeeman 減速器。第26章)。
(4) 線形の力は σ0I/c=1.62×10−21N(例題 25.2)、式 (25.15) は 2ℏkΓ1.10.1=1.47×10−21N で、比は 1/(1+s0)=0.909 である。s0=0.1 でも 9% の飽和があり、線形の式は飽和強度の 1/10 の光でも1割の誤差を持つ。
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