量子力学の様々な構成方法 第4部 第1章 §4.1.4 ★★★ 量子ビットの密度行列は Bloch ベクトル r で ρ^=21(1+r⋅σ) と書け、∣r∣≤1。von Neumann 方程式は r の回転になり、Rabi 振動が出る。離調のばらついた集団では ∣rˉ∣ が縮む
Bloch ベクトル
2×2 のエルミート行列は 1,σx,σy,σz の実係数の線型結合で書ける。トレース1の条件で 1 の係数は 21 に決まるので、
ρ^=21(1+r⋅σ),r=Tr(ρ^σ)=(⟨σx⟩,⟨σy⟩,⟨σz⟩)(4.1.8)
と書ける(Trσj=0、Tr(σjσk)=2δjk を使えば r の成分が期待値になることが分かる)。r を Bloch ベクトルと呼ぶ。ρ^ の固有値は r⋅σ の固有値 ±∣r∣ から 21(1±∣r∣) で、半正定値の条件は ∣r∣≤1 になる。純粋度は
Trρ^2=21+∣r∣2(4.1.9)
である。量子ビットの状態の集合は単位球(Bloch 球)の中身全体で、表面 ∣r∣=1 が純粋状態、内部が混合状態、中心 r=0 が最も混ざった状態 211 に当たる(図 4.1.1)。第4.1.1節で使った判定「期待値のベクトルの長さが1か」は、(4.1.9) と命題 4.1.2 から、純粋状態かどうかの判定そのものである。

図 4.1.1 Bloch 球の ry=0 の断面。表面の点が純粋状態、内部の点が混合状態。例題 4.1.2 の状態 r=(21,0,21) は、∣↑⟩ と ∣+⟩ を結ぶ線分(破線)の中点にある。混合は Bloch ベクトルの平均になる。
確率的な混合 pρ^1+(1−p)ρ^2 は (4.1.8) が r について1次なので、Bloch ベクトルの平均 pr1+(1−p)r2 になる。2つの点を結ぶ線分が球の中を通ることは、状態の集合が凸であることを図の上で表している。
von Neumann 方程式は Bloch ベクトルの回転
共通例題②のハミルトニアンは、回転座標で回転波近似をした後の
H^=−2ℏΔσz−2ℏΩσx=2ℏh⋅σ,h=(−Ω,0,−Δ)(4.1.10)
である(Δ は離調、Ω は Rabi 角周波数。光の巻 光学と量子エレクトロニクス 第18章 で導いた形をそのまま使う)。(4.1.8) を (4.1.7) に入れる。Pauli 行列の交換関係 [σj,σk]=2i∑lϵjklσl から[h⋅σ,r⋅σ]=2i(h×r)⋅σ なので、
21dtdr⋅σ=dtdρ^=−ℏi⋅2ℏ⋅21⋅2i(h×r)⋅σ=21(h×r)⋅σ.
係数を比べて
dtdr=h×r(4.1.11)
を得る。これは r が軸 h/∣h∣ のまわりに角速度 ∣h∣=Ω2+Δ2=Ω′ で回る式で、∣r∣ は変わらない。純粋度が保たれるという前節の結果の、量子ビットでの姿である。
初めに基底状態 ∣g⟩、つまり r(0)=(0,0,−1) にあるとする。軸の単位ベクトルを n=h/Ω′ とし、角度 Ω′t の回転を Rodrigues の公式で書くと
r(t)=r(0)cosΩ′t+(n×r(0))sinΩ′t+n(n⋅r(0))(1−cosΩ′t).(4.1.12)
z 成分は nz=−Δ/Ω′、n⋅r(0)=Δ/Ω′、(n×r(0))z=0 からrz(t)=−cosΩ′t−Ω′2Δ2(1−cosΩ′t)。励起状態にある確率は Pe=⟨e∣ρ^∣e⟩=21(1+rz) なので
Pe(t)=21(1−Ω′2Δ2)(1−cosΩ′t)=(Ω′Ω)2sin22Ω′t(4.1.13)
となる。共通例題②の正答で、光の巻と同じ形である。行列力学では Pauli 行列の Heisenberg 方程式から同じ式が出る(第2部第3章)。
近似の裏付け
型 B(極限) | 小さいもの Ω/ω0→0、∣Δ∣/ω0→0(ω0 は遷移の角周波数) | 証明 条件付き(時間 1/Ω の桁で誤差 O(Ω/ω0)。周期係数の常微分方程式の平均化の定理。強結合では Bloch–Siegert のずれ) | 行き先 近似の数理 第7章
離調のばらついた集団:1個1個は純粋、集団は混合
ここで場面1が実験でどう現れるかを見る。原子の気体やドープした結晶中のイオンでは、Doppler 効果や局所的な環境の違いで、原子ごとに離調 Δ が少しずつ違う(不均一な広がり)。1個の原子は (4.1.11) に従って純粋なまま回るが、どの原子がどの Δ を持つかは分からない。集団全体の測定(吸収の強さ・蛍光)には、Δ の分布 g(Δ) で平均した
rˉ(t)=∫rΔ(t)g(Δ)dΔ,Pˉe(t)=21+rˉz(t)=∫(Ω′Ω)2sin22Ω′tg(Δ)dΔ
が現れる。rˉ は平均なので一般に長さが1より小さく、集団の状態は混合状態になる。図 4.1.2 は、g を標準偏差 Ω の Gauss 分布にとって数値積分した結果である。Δ=0 の1原子の Pe は 0 と 1 の間を振れ続けるが、集団の Pˉe は振幅が減っていく。∣rˉ∣ は1から下がり、Ωt≈8.6 では 0.08 程度まで下がる。Ω′=Ω2+Δ2 は Δ=0 の近くで Δ にほとんどよらないので、Δ の小さい原子はそろって回り続け、その後 ∣rˉ∣ はまた大きくなる。

図 4.1.2 離調 Δ が標準偏差 Ω の Gauss 分布に従う原子の集団を ∣g⟩ から駆動したときの、励起確率の集団平均 Pˉe(実線)と Bloch ベクトルの平均の長さ ∣rˉ∣(破線)。点線は Δ=0 の1原子の Pe=sin2(Ωt/2)。どの原子も純粋状態のまま回っているが、集団の状態は ∣rˉ∣<1 の混合状態になる。どの曲線も近似を使っていない(回転波近似の後のハミルトニアン (4.1.10) での厳密な計算)。
この減り方は、各原子の時間発展がユニタリのままで起きている。系と環境の相互作用で個々の原子の純粋度が下がる緩和(第4部第5章の T1・T2)とは別物で、NMR の分野では、不均一な広がりを含めた横成分の減衰時間を T2∗ と書いて T2 と区別する。不均一な広がりによる減衰は、途中で r を x 軸まわりに π 回すと各原子の位相のずれが逆向きにたどられて戻る(スピンエコー。Hahn (1950), Phys. Rev. 80, 580)。純粋度の下がった本物の緩和は戻らない。この違いは状態ベクトル1本の公理では書き分けられず、集団の ρ^ と各原子の ρ^ を両方持つ密度行列の言葉で初めて書ける。
例題 4.1.4 離調 ±Ω の2つの原子を半々に混ぜる ★★★
オリジナル離調が Δ=+Ω の原子と Δ=−Ω の原子が同数ある集団を、どちらも ∣g⟩ から (4.1.10) で駆動する。Ω′=2Ω である。
- (1) (4.1.12) を使って、それぞれの原子の r±(t) を求め、∣r±∣=1 を確かめよ。
- (2) 集団の Bloch ベクトル rˉ=21(r++r−) と純粋度を求めよ。
- (3) t=π/Ω′ での各原子の状態と、集団の状態を求めよ。Pe の測定でこの2つを区別できるか。
解答
(1) Δ=±Ω で n±=(−1,0,∓1)/2。r(0)=(0,0,−1) に対して n±⋅r(0)=±1/2、n±×r(0)=(0,−1,0)/2(両方同じ)。c=cosΩ′t、s=sinΩ′t と書くと (4.1.12) から
r±(t)=(∓21−c, −2s, −21+c).
長さの2乗は 4(1−c)2+(1+c)2+2s2=21+c2+2s2=1 で、各原子は純粋状態のままである。
(2) x 成分が打ち消し合って rˉ=(0, −s/2, −(1+c)/2)。(4.1.9) から純粋度は 21(1+2s2+4(1+c)2) で、c=1(t=0)のときだけ1になる。
(3) Ω′t=π で c=−1、s=0。各原子は r±=(∓1,0,0) で、Δ=+Ω の原子は ∣−⟩、Δ=−Ω の原子は ∣+⟩ にある。集団は rˉ=0、つまり ρ^=211(純粋度 21)。Pe=21(1+rz) は各原子でも集団でも 21 で、Pe だけでは区別できない。個々の原子の状態の違いは rx の符号にだけ現れ、平均で消えている。
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