量子力学の様々な構成方法 第9部 第3章 §9.3.1 ★★★ この章の出発点の要請。測定値が前もって決まっているという仮定を、交換する物理量の関数関係を保つ割り当てとして式にする
前の 第9部第2章 では、命題の束 L ( H ) \mathcal L(\mathcal{H}) L ( H ) の上の確率の割り当てが、3次元以上ではすべて Tr ( ρ ^ P ^ ) \operatorname{Tr}(\hat\rho\hat P) Tr ( ρ ^ P ^ ) の形になることを Gleason の定理として示した。その系として、すべての命題に 0 0 0 か 1 1 1 を割り当てる「分散のない状態」は、3次元以上では存在しないことも出た。ただしその証明は、frame function が連続であることを使っていて、無数に多くの基底を一度に考えている。実験で測れるのは有限個の物理量だけなので、この結論を実験で確かめるには、有限個の基底だけで同じ矛盾を出す必要がある。それを最初に行ったのが Kochen と Specker である(S. Kochen and E. P. Specker (1967), Journal of Mathematics and Mechanics 17, 59–87)。
この章が置く出発点は、隠れた変数の理論が量子の確率をどう再現しようとするかという問いである。隠れた変数の理論では、系の状態を完全に指定する変数 λ \lambda λ があり、λ \lambda λ を決めればどの物理量の測定値も1つに決まると考える。量子の確率は、λ \lambda λ が分布 q ( λ ) q(\lambda) q ( λ ) に従ってばらつくことの結果だとする。このとき測定値の割り当て v λ v_\lambda v λ に、交換する物理量どうしの関数関係を保つという自然な条件(非文脈性)を課すと、3次元以上ではその割り当てを1つも作ることができない。これが Kochen–Specker の定理で、量子力学では「測る前から値が決まっていて、測定はそれを読むだけ」という描像が、どの測定を一緒に行うか(文脈)を無視する限り成り立たないことを示す。
第9部の型(出発点の要請 → 基本の対象 → 基準との同値 → 共通例題 → 得意な問題 → 限界)のうち、この章は「基準との同値」の続きとして、射影の束の上の確率が古典の確率(分散のない状態の混合)に戻せないことを受け持つ。9.3.1節で値の割り当てと非文脈性を定義し、9.3.2 節で2次元なら非文脈的な模型が作れることを確かめる。9.3.3 節で Peres–Mermin の正方形による4次元の証明、9.3.4 節で射線の着色の言葉による証明(4次元の18本と3次元の33本)を与える。9.3.5 節は、特定の状態でだけ現れる文脈依存性を3次元で測る KCBS 不等式である。9.3.6 節が橋の節で、局所性が非文脈性の特別な場合であることを両向きに証明し、Bell の不等式・Gleason の定理・Bohm の理論と並べて、共通例題②を解く。
値の割り当て
有限次元のヒルベルト空間 H \mathcal{H} H (dim H = d \dim\mathcal{H}=d dim H = d )の上の物理量(エルミート演算子)の全体を考える。隠れた変数の理論が言いたいのは、次の形の主張である。
定義 9.3.1(値の割り当て)
物理量 A ^ \hat A A ^ のそれぞれに実数 v ( A ^ ) v(\hat A) v ( A ^ ) を対応させる写像 v v v が次の2条件を満たすとき、v v v を値の割り当て と呼ぶ。
(V1) v ( A ^ ) v(\hat A) v ( A ^ ) は A ^ \hat A A ^ の固有値のどれかである(測定値は固有値しか出ない)。
(V2) 実関数 f f f について v ( f ( A ^ ) ) = f ( v ( A ^ ) ) v(f(\hat A))=f(v(\hat A)) v ( f ( A ^ )) = f ( v ( A ^ )) が成り立つ。
隠れた変数の理論とは、状態 λ \lambda λ ごとに値の割り当て v λ v_\lambda v λ があり、量子状態 ρ ^ \hat\rho ρ ^ に対して λ \lambda λ の分布 q ρ ( λ ) q_\rho(\lambda) q ρ ( λ ) があって、どの物理量 A ^ \hat A A ^ と固有値 a a a についても
Pr ( A ^ の測定値が a ) = ∫ q ρ ( λ ) δ a , v λ ( A ^ ) d λ = Tr ( ρ ^ P ^ a ) (9.3.1) \Pr(\hat A\text{ の測定値が }a)=\int q_\rho(\lambda)\,\delta_{a,\,v_\lambda(\hat A)}\,\mathrm{d}\lambda=\operatorname{Tr}(\hat\rho\hat P_a)\tag{9.3.1} Pr ( A ^ の測定値が a ) = ∫ q ρ ( λ ) δ a , v λ ( A ^ ) d λ = Tr ( ρ ^ P ^ a ) ( 9.3.1 )
を満たすものをいう(P ^ a \hat P_a P ^ a は固有値 a a a の固有空間への射影。右辺は第1部の Born の規則)。
(V2) の意味を確かめておく。A ^ \hat A A ^ を測って値 a a a を得たとき、f ( A ^ ) f(\hat A) f ( A ^ ) の値は f ( a ) f(a) f ( a ) と読むのが自然である。A ^ 2 \hat A^2 A ^ 2 を測る装置を別に作らなくても、A ^ \hat A A ^ を測る装置の目盛りを f f f で読み替えれば f ( A ^ ) f(\hat A) f ( A ^ ) の測定になるからである。(V2) はこの読み替えが割り当ての上でも成り立つことを要求している。A ^ = ∑ a a P ^ a \hat A=\sum_aa\hat P_a A ^ = ∑ a a P ^ a なら f ( A ^ ) = ∑ a f ( a ) P ^ a f(\hat A)=\sum_af(a)\hat P_a f ( A ^ ) = ∑ a f ( a ) P ^ a で、どちらの測定でも同じ射影の組 { P ^ a } \{\hat P_a\} { P ^ a } の「どれが当たったか」を読んでいる。
和の規則と積の規則
(V2) は1つの物理量の関数についての条件にすぎないが、交換する物理量の組にまで広がる。
補題 9.3.2(和と積の規則 ★★★)
v v v が値の割り当てで、A ^ \hat A A ^ と B ^ \hat B B ^ が交換する([ A ^ , B ^ ] = 0 [\hat A,\hat B]=0 [ A ^ , B ^ ] = 0 )なら
v ( A ^ + B ^ ) = v ( A ^ ) + v ( B ^ ) , v ( A ^ B ^ ) = v ( A ^ ) v ( B ^ ) . (9.3.2) v(\hat A+\hat B)=v(\hat A)+v(\hat B),\qquad v(\hat A\hat B)=v(\hat A)\,v(\hat B).\tag{9.3.2} v ( A ^ + B ^ ) = v ( A ^ ) + v ( B ^ ) , v ( A ^ B ^ ) = v ( A ^ ) v ( B ^ ) . ( 9.3.2 )
とくに { P ^ i } \{\hat P_i\} { P ^ i } が互いに直交して和が 1 ^ \hat 1 1 ^ になる射影の組なら、v ( P ^ i ) ∈ { 0 , 1 } v(\hat P_i)\in\{0,1\} v ( P ^ i ) ∈ { 0 , 1 } で、∑ i v ( P ^ i ) = 1 \sum_iv(\hat P_i)=1 ∑ i v ( P ^ i ) = 1 である。
証明 交換するエルミート行列は同時対角化できるので、共通の正規直交固有基底 { ∣ k ⟩ } \{| k \rangle \} { ∣ k ⟩} があり、A ^ = ∑ k a k ∣ k ⟩ ⟨ k ∣ \hat A=\sum_ka_k| k \rangle \langle k | A ^ = ∑ k a k ∣ k ⟩ ⟨ k ∣ 、B ^ = ∑ k b k ∣ k ⟩ ⟨ k ∣ \hat B=\sum_kb_k| k \rangle \langle k | B ^ = ∑ k b k ∣ k ⟩ ⟨ k ∣ と書ける。相異なる実数 c 1 , … , c d c_1,\dots,c_d c 1 , … , c d をとって C ^ = ∑ k c k ∣ k ⟩ ⟨ k ∣ \hat C=\sum_kc_k| k \rangle \langle k | C ^ = ∑ k c k ∣ k ⟩ ⟨ k ∣ と置き、f ( c k ) = a k f(c_k)=a_k f ( c k ) = a k 、g ( c k ) = b k g(c_k)=b_k g ( c k ) = b k となる実関数 f , g f,g f , g を(例えば Lagrange 補間の多項式で)作る。すると A ^ = f ( C ^ ) \hat A=f(\hat C) A ^ = f ( C ^ ) 、B ^ = g ( C ^ ) \hat B=g(\hat C) B ^ = g ( C ^ ) 、A ^ + B ^ = ( f + g ) ( C ^ ) \hat A+\hat B=(f+g)(\hat C) A ^ + B ^ = ( f + g ) ( C ^ ) 、A ^ B ^ = ( f g ) ( C ^ ) \hat A\hat B=(fg)(\hat C) A ^ B ^ = ( f g ) ( C ^ ) である。(V2) を C ^ \hat C C ^ に使うと
v ( A ^ + B ^ ) = ( f + g ) ( v ( C ^ ) ) = f ( v ( C ^ ) ) + g ( v ( C ^ ) ) = v ( f ( C ^ ) ) + v ( g ( C ^ ) ) = v ( A ^ ) + v ( B ^ ) v(\hat A+\hat B)=(f+g)\bigl(v(\hat C)\bigr)=f\bigl(v(\hat C)\bigr)+g\bigl(v(\hat C)\bigr)=v(f(\hat C))+v(g(\hat C))=v(\hat A)+v(\hat B) v ( A ^ + B ^ ) = ( f + g ) ( v ( C ^ ) ) = f ( v ( C ^ ) ) + g ( v ( C ^ ) ) = v ( f ( C ^ )) + v ( g ( C ^ )) = v ( A ^ ) + v ( B ^ )
で和の規則が出る。積の規則も f g fg f g で同じように出る。
射影 P ^ \hat P P ^ の固有値は 0 0 0 と 1 1 1 なので (V1) から v ( P ^ ) ∈ { 0 , 1 } v(\hat P)\in\{0,1\} v ( P ^ ) ∈ { 0 , 1 } 。互いに直交する射影は交換するから和の規則を繰り返し使えて ∑ i v ( P ^ i ) = v ( 1 ^ ) \sum_iv(\hat P_i)=v(\hat 1) ∑ i v ( P ^ i ) = v ( 1 ^ ) 。1 ^ \hat 1 1 ^ の固有値は 1 1 1 だけなので v ( 1 ^ ) = 1 v(\hat 1)=1 v ( 1 ^ ) = 1 である。
補題 9.3.2 の最後の主張を1次元の射影(射線)に限ると、値の割り当ては射線の上の 0 0 0 –1 1 1 の関数になり、次の性質を持つ。
定義 9.3.3(KS 着色)
H \mathcal{H} H の射線(単位ベクトルを位相の違いを除いて同一視したもの)の集合 S \mathcal S S の上の関数 c : S → { 0 , 1 } c:\mathcal S\to\{0,1\} c : S → { 0 , 1 } が、S \mathcal S S に全部の元が含まれるどの正規直交基底についても「ちょうど1本だけが 1 1 1 」を満たすとき、c c c を S \mathcal S S の KS 着色 と呼ぶ。直交する2本が両方 1 1 1 になることも禁じる(2本を含む基底を S \mathcal S S の外で補えば、和が 1 1 1 を超えるからである)。
値の割り当て v v v があれば c ( ∣ x ⟩ ) = v ( ∣ x ⟩ ⟨ x ∣ ) c(| x \rangle )=v(| x \rangle \langle x |) c ( ∣ x ⟩) = v ( ∣ x ⟩ ⟨ x ∣ ) が全射線の KS 着色になる。逆に全射線の KS 着色 c c c があれば、A ^ = ∑ i a i ∣ e i ⟩ ⟨ e i ∣ \hat A=\sum_ia_i| e_i \rangle \langle e_i | A ^ = ∑ i a i ∣ e i ⟩ ⟨ e i ∣ に対して「c ( e i ) = 1 c(e_i)=1 c ( e i ) = 1 となる i i i の a i a_i a i 」を v ( A ^ ) v(\hat A) v ( A ^ ) と定めると値の割り当てになる(縮退があっても、固有空間の基底の取り方によらず 1 1 1 になる射線の固有値は同じ値に決まる)。こうして「値の割り当てがあるか」は「射線を白黒に塗り分け、どの基底でも黒がちょうど1本になるようにできるか」という組み合わせの問題に変わる。第9部第1章の言葉では、KS 着色は命題の束の上の分散のない状態そのものである。
非文脈性という仮定
1本の射線 ∣ x ⟩ | x \rangle ∣ x ⟩ は、dim H ≥ 3 \dim\mathcal{H}\ge3 dim H ≥ 3 なら無数の基底に属する。KS 着色はその値 c ( x ) c(x) c ( x ) を、∣ x ⟩ | x \rangle ∣ x ⟩ をどの基底の一員として測るかによらず1つに決めている。物理の言葉で言えば、P ^ x = ∣ x ⟩ ⟨ x ∣ \hat P_x=| x \rangle \langle x | P ^ x = ∣ x ⟩ ⟨ x ∣ と一緒にどの交換する物理量を測るか(これを文脈 と呼ぶ)によらず、P ^ x \hat P_x P ^ x の値は同じだという仮定である。これを非文脈性 と呼ぶ。第9部第2章の frame function も同じ仮定を確率の水準で置いていた。この章では確率でなく個々の値の水準で同じ仮定を置き、その帰結を調べる。
非文脈性は、交換する物理量どうしにしか要求しない点が要である。交換しない物理量にまで和の規則を要求するのは物理的に根拠がない。次の例題がその理由を示す。
例題 9.3.1 交換しない物理量に和の規則を課すと何が起きるか ★★
オリジナル 量子ビットで A ^ = σ x \hat A=\sigma_x A ^ = σ x 、B ^ = σ z \hat B=\sigma_z B ^ = σ z とする。
(1) A ^ + B ^ \hat A+\hat B A ^ + B ^ の固有値を求めよ。
(2) 値の割り当て v v v に、交換しない A ^ , B ^ \hat A,\hat B A ^ , B ^ についても v ( A ^ + B ^ ) = v ( A ^ ) + v ( B ^ ) v(\hat A+\hat B)=v(\hat A)+v(\hat B) v ( A ^ + B ^ ) = v ( A ^ ) + v ( B ^ ) を要求すると、(V1) と両立しないことを示せ。
(3) 一方、どの状態でも期待値は ⟨ A ^ + B ^ ⟩ = ⟨ A ^ ⟩ + ⟨ B ^ ⟩ \langle \hat A+\hat B \rangle =\langle \hat A \rangle +\langle \hat B \rangle ⟨ A ^ + B ^ ⟩ = ⟨ A ^ ⟩ + ⟨ B ^ ⟩ を満たす。(2) と矛盾しない理由を述べよ。
解答 (1) ( σ x + σ z ) 2 = σ x 2 + σ z 2 + { σ x , σ z } + = 2 ⋅ 1 ^ (\sigma_x+\sigma_z)^2=\sigma_x^2+\sigma_z^2+\{\sigma_x,\sigma_z\}_+=2\cdot\hat 1 ( σ x + σ z ) 2 = σ x 2 + σ z 2 + { σ x , σ z } + = 2 ⋅ 1 ^ (反交換子は 0 0 0 )なので、固有値は ± 2 \pm\sqrt2 ± 2 。
(2) (V1) から v ( σ x ) , v ( σ z ) ∈ { + 1 , − 1 } v(\sigma_x),v(\sigma_z)\in\{+1,-1\} v ( σ x ) , v ( σ z ) ∈ { + 1 , − 1 } なので、和 v ( σ x ) + v ( σ z ) v(\sigma_x)+v(\sigma_z) v ( σ x ) + v ( σ z ) は − 2 , 0 , + 2 -2,0,+2 − 2 , 0 , + 2 のどれかである。一方 (V1) から v ( σ x + σ z ) ∈ { ± 2 } v(\sigma_x+\sigma_z)\in\{\pm\sqrt2\} v ( σ x + σ z ) ∈ { ± 2 } で、どれとも一致しない。よって交換しない組にまで和の規則を要求すると、値の割り当ては1つも作ることができない。
(3) 期待値の加法性は Tr ( ρ ^ ( A ^ + B ^ ) ) = Tr ( ρ ^ A ^ ) + Tr ( ρ ^ B ^ ) \operatorname{Tr}(\hat\rho(\hat A+\hat B))=\operatorname{Tr}(\hat\rho\hat A)+\operatorname{Tr}(\hat\rho\hat B) Tr ( ρ ^ ( A ^ + B ^ )) = Tr ( ρ ^ A ^ ) + Tr ( ρ ^ B ^ ) というトレースの線型性から出る、平均の性質である。A ^ \hat A A ^ と B ^ \hat B B ^ と A ^ + B ^ \hat A+\hat B A ^ + B ^ は別々の装置で測る3つの物理量で、1回ごとの測定値の間に和の関係がある必要はない。平均だけが加法的で個々の値は加法的でないことは、隠れた変数の理論でも許される。von Neumann が1932年の本で隠れた変数を否定したときに置いた仮定は、交換しない組を含むすべての物理量に v v v の線型性を要求するもので、この例題で破れる。この点を指摘したのが Bell(1966)で、交換する組だけに条件を絞っても矛盾が出るかを問うたのが Kochen–Specker の定理である。
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