相対エントロピーから情報と物理を組み立てる 第2部 第5章 §2.5.4 ★★★ 区別できる粒子として数えた状態の分布から、粒子のラベルを捨てると、エントロピーはちょうど lnN! 減る。これが相空間の測度の 1/N! である
ラベル付きの気体のエントロピー
同じ種類の粒子 N 個からなる理想気体を、粒子に 1,2,…,N の番号を付けて記述する。各粒子の位置と運動量の分布は独立で、解析力学から様々な理論分野を組み立てる 第3部第3章 のカノニカル分布で 1/N! を入れずに計算すると、分配関数は Zラベル=VN/λT3N(λT=h/2πmkBT は熱的 de Broglie 波長)で、エントロピーは
Sラベル(N,V)=NkB[lnλT3V+23](2.5.8)
になる。これは示量的でない。N と V を同時に2倍にすると、Sラベル(2N,2V)−2Sラベル(N,V)=2NkBln2 が余る。同じ気体の入った2つの容器(それぞれ N 個、体積 V)の仕切りを外すと、この 2NkBln2 だけエントロピーが増えることになる。これが授業で出会う形の Gibbs のパラドックスである。
この余りは、2.5.1 節の言葉ではまったく不思議でない。ラベル付きの記述では、「番号 1 から N の粒子が左、N+1 から 2N の粒子が右」という事象が仕切りを外す前の状態であり、外した後の分布でのその確率は 2−2N である。命題 2.5.1 から D=2Nln2 で、番号を種類の名前とみなせば、2N 種類の気体を混ぜたのと同じ計算になっている。問題は、番号が実験で区別できる量かどうかである。
ラベルを捨てる処理と連鎖律
位置と運動量を h3 の大きさの小さな箱(1粒子の状態)に分け、その数を M とする。ラベル付きの記述は「粒子 i が箱 ci にいる」という N 個の組 (c1,…,cN) で、ラベルを捨てた記述は「どの箱に粒子がいるか」という集合 {c1,…,cN} である。後者は前者から決まるので、第1部第3章 のエントロピーの連鎖律から
H(組)=H(集合)+H(組∣集合).(2.5.9)
希薄な気体では、N 個の粒子が同じ箱に重なることはほとんどなく(N2/M→0 なら、全部が別の箱にいる確率は 1 に近づく)、集合を与えると組は「どの粒子をどの箱に割り当てるか」の N! 通りのどれかである。粒子の分布はラベルの付け替えで変わらないので、この N! 通りは等確率で、H(組∣集合)=lnN! になる。したがって
S(N,V):=kBH(集合)=Sラベル(N,V)−kBlnN!.(2.5.10)
相空間の測度に 1/N! を入れることは、ラベルという、どの実験でも読み取れない情報を記述から捨てることである。lnN!≈NlnN−N(Stirling の公式)を使うと、式 (2.5.8) と合わせて Sackur–Tetrode の式
S(N,V)=NkB[lnNλT3V+25](2.5.11)
になり、V/N だけで決まる示量的な形になる。
同じ気体を合わせたときに残るもの
ラベルを捨てた記述で、同じ気体の2つの容器を合わせたときのエントロピーの増加を、Stirling の公式を使わずに書くと
kBS(2N,2V)−2S(N,V)=2Nln2−ln(N!)2(2N)!=ln(N2N)4N=21ln(πN)+O(1/N)(2.5.12)
になる。これは 2.5.2 節の式 (2.5.5) で、全粒子数を 2N、x=1/2 としたもの 21ln(2π⋅2N⋅41)=21ln(πN) と一致する。2つの計算は、同じ「左室の粒子数がちょうど N という条件の驚き」を、一方は分布から、他方は分配関数から求めたものである。図 2.5.3 のように、1粒子あたりの増加はラベル付きでは ln2 のまま、ラベルを捨てると lnN/N の速さで 0 に近づく。

図 2.5.3 同じ気体の2つの容器(各 N 個)を合わせたときの、1粒子あたりのエントロピーの増加。破線はラベル付きで数えた ln2、点線は 1/N! を入れた厳密な値 ln(4N/(N2N))/(2N)、実線は Stirling の公式による近似 4N1ln(πN)
古典力学は N! を決めない
古典力学の粒子には軌道があり、原理的には番号を付けて追いかけられる。したがって 1/N! は古典力学から導かれるものではなく、「実験者は同じ種類の粒子の番号を使えない」という記述の選択である。番号を実際に読み取れる場合(大きさのそろったコロイド粒子に1つずつ印を付けた場合など)は、ラベル付きのエントロピー (2.5.8) の方が正しい記述で、印で選り分けられる膜があればその差 kBlnN! に応じた仕事を取り出せる。2.5.3 節と同じく、どちらの数え方が正しいかは使える操作で決まる。量子力学では、この選択が理論の側で決まる(次の節)。
例題 2.5.4 1モルずつの同じ気体を合わせる ★★
オリジナル同じ温度・同じ圧力の同じ理想気体を 1mol ずつ入れた2つの容器の仕切りを外す(N=NAv、NAv=6.022×1023 は Avogadro 数)。
- (1) ラベル付きの数え方 (2.5.8) でのエントロピーの増加を JK−1 で求めよ。
- (2) 1/N! を入れた数え方での増加を、式 (2.5.12) の最後の形で求めよ。(1) との比はどれほどか。
解答
(1) 2NkBln2=2Rln2=11.5JK−1。
(2) 21ln(πN)=21(lnπ+ln(6.022×1023))=21(1.145+54.75)=27.9 なので、増加は 27.9kB=27.9×1.381×10−23=3.86×10−22JK−1。(1) との比は 3.3×10−23 で、熱量計で測れる大きさではない。これは左右の容器の粒子数の揺らぎ(N/2≈5.5×1011 個の程度)による増加で、粒子数 1mol に対して相対的に 10−12 の揺らぎである。
近似の裏付け
型 B(極限) | 小さいもの 1/N→0(Stirling の公式 lnN!≈NlnN−N) | 証明 証明済み(Stirling の公式は誤差の上下界つきで成り立つ漸近展開) | 行き先 近似の数理 第7章
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