量子力学の様々な構成方法 第1部 第3章 §1.3.1 ★★★ ∣x⟩ は状態ではないが、完全系として使える。波動関数はその係数である
入門の授業では、量子力学を配位空間の複素関数 ψ(x,t) と Schrödinger 方程式から始める。この巻はその出発点を部として立てず、第1部第2章で置いた基準(状態ベクトルと演算子の公理 Q1〜Q6)の一つの書き方として扱う。この章は、その接続を受け持つ。部の型(出発点の要請 → 基本の対象 → 基準との同値 → 共通例題 → 得意な問題 → 限界)で言えば、この章は「波動関数」という構成について「基準との同値」と「共通例題」の段を一度に済ませる章である。
最初に示すことは、波動関数 ψ(x) が状態ベクトル ∣ψ⟩ を位置演算子 x^ の一般化固有ベクトル ∣x⟩ で展開したときの係数ψ(x)=⟨x∣ψ⟩ にすぎない、ということである。そのために 1.3.1 節で ∣x⟩ の扱いを決め、1.3.2 節で運動量演算子が −iℏd/dx になる理由を並進の生成子から導く。1.3.3 節では運動量表示とエネルギー表示を並べ、表示を取り替える操作がユニタリ変換であることを確かめる。1.3.4 節では共通例題③(自由粒子の伝播)を運動量表示で解き、ハミルトニアンが対角になる表示を選ぶと計算が短くなることを見る。1.3.5 節はこれを一般化し、「ハミルトニアンの一番大きい項の固有状態で表示する」という指針を、2サイトの模型で定量的に確かめる。1.3.6 節は橋の節で、位置表示と基準が両向きに同じ予言を与えることを証明し、表示の選択がほかの部(経路積分・位相空間・流体・幾何学的量子化)の出発点にどうつながるかを並べる。
この章は1次元を動くスピンのない粒子を主に扱う。3次元とスピンへの拡張は、添字を足すだけで済むので、必要な所で一言ずつ断る。
∣x⟩ は H に入らない
基準の公理 Q2 は、観測量を自己共役演算子で表し、測定値の確率をスペクトル分解の射影で与える。位置 x^ の測定値は実数直線の全体に連続に分布するので、固有値 x0 に属する固有ベクトルを H=L2(R) の中に探すと失敗する。x^ψ=x0ψ は (x−x0)ψ(x)=0 を意味し、これを満たす関数はx=x0 の1点の外で 0 であるから、2乗積分は 0 になり、H の元としては零ベクトルである。
それでも Dirac は、固有値方程式 x^∣x0⟩=x0∣x0⟩ を満たす記号 ∣x0⟩ を導入し、規格化を
⟨x∣x′⟩=δ(x−x′),∫−∞∞∣x⟩⟨x∣dx=1^(1.3.1)
と定めた1P. A. M. Dirac, Proc. R. Soc. Lond. A 113, 621 (1927)。デルタ関数と変換理論を導入した論文。。第1式をδ 規格化、第2式を位置の完全性の関係と呼ぶ。この2式を認めれば、任意の ∣ψ⟩ は
∣ψ⟩=∫dx∣x⟩⟨x∣ψ⟩=∫dxψ(x)∣x⟩,ψ(x):=⟨x∣ψ⟩(1.3.2)
と展開できる。係数 ψ(x) が波動関数である。有限次元で ∣ψ⟩=∑ncn∣n⟩、cn=⟨n∣ψ⟩ と書いたものの和を積分に、Kronecker のデルタを Dirac のデルタに取り替えたものにあたる。
∣x⟩ が H の外にある対象であることは、規格化 (1.3.1) からも読み取れる。x=x′ で ⟨x∣x⟩=δ(0) は有限でなく、∣x⟩ のノルムは定義できない。数学では、急減少関数の空間 S(R) を H の中に取り、その双対の緩増加超関数の空間 S′(R) を外に取ってS⊂L2⊂S′ という3つ組を作り、∣x⟩ を S′ の元(φ↦φ(x) という汎関数)として扱う。この3つ組を Gel'fand の3つ組と呼ぶ。この巻では、この構成に立ち入らず、∣x⟩ を含む式は「なめらかで速く減衰する ∣ψ⟩ と内積を取ったときに意味を持つ」と約束する。
Born の規則を位置表示で書く
公理 Q3 は、測定値が集合 B に入る確率を ⟨ψ∣P^(B)∣ψ⟩ で与える。位置のスペクトル分解は x^=∫x∣x⟩⟨x∣dx で、区間 [a,b] に対応する射影は P^([a,b])=∫ab∣x⟩⟨x∣dx である。これを Born の規則に入れると
Pr(a≤x≤b)=∫ab⟨ψ∣x⟩⟨x∣ψ⟩dx=∫ab∣ψ(x)∣2dx(1.3.3)
になる。入門で「∣ψ(x)∣2 は確率密度」と習った規則は、基準の Born の規則を位置の射影に当てはめたものである。規格化 ∫∣ψ∣2dx=1 は、完全性の関係 (1.3.1) を ⟨ψ∣ψ⟩=1 に挿入したものにあたる。1点 x0 を取る確率は a=b=x0 で 0 になる。∣x0⟩ が状態でないことは、物理の言葉では「位置がちょうど x0 の状態は準備できない」ことに対応する。
3次元では ∣r⟩、⟨r∣r′⟩=δ(3)(r−r′) とすればよい。スピン 21 を持つ粒子では x^ だけでは状態が決まらないので、x^ と σz の同時固有ベクトル ∣x,s⟩(s=↑,↓)を使い、波動関数は2成分 ψs(x)=⟨x,s∣ψ⟩ になる。一般に、表示に使う観測量の組は、互いに交換し、同時固有値を指定すれば一般化固有ベクトルが位相を除いて1つに決まる組(完全な可換観測量の組)に取る。
{∣x⟩} が正規直交基底でない理由:濃度と可分性
完全性の関係 (1.3.1) は、正規直交基底の式 ∑n∣n⟩⟨n∣=1^ と同じ形をしている。それでも族 {∣x⟩} は H の正規直交基底ではない。
この違いは、基底のベクトルが何個あるかを比べると見える。集合の要素に 1, 2, 3, … と番号を付けられるとき可算、付けられないとき非可算という。整数や有理数は可算で、実数の全体 R は非可算である(Cantor の対角線論法)。
対角線論法の筋は次のとおりである。区間 (0,1) の実数すべてに番号を付け、小数展開を並べたと仮定する。
第 n 項の小数第 n 桁だけを別の数字に変えた実数を作ると、この実数はどの項とも少なくとも1桁違うので、列のどこにも現れない。したがって番号付けは不可能である。位置のラベルは実数全体を動くので、族 {∣x⟩} は非可算個のベクトルからなる。
一方、L2(R) は可分である。可分とは、可算な部分集合 D で、どの元にもいくらでも近い元を含むもの(稠密な可算部分集合)を持つことをいう。
L2(R) では、係数の実部と虚部が有理数である Hermite 関数の有限和の全体が D になる。Hermite 関数そのものは可算な正規直交基底である(第1部第4章の命題)。可分な空間では、正規直交系の大きさに上限がある。
命題 1.3.1(可分なヒルベルト空間の正規直交系は可算 ★★)
H が可分なら、H の正規直交系は高々可算である。したがって、族 {∣x⟩}x∈R を L2(R) の正規直交系に取ることはできない。
証明
正規直交系を {eα} とする。異なる2つの添字 α=β について
∥eα−eβ∥2=∥eα∥2+∥eβ∥2=2
なので、どの2つのベクトルの距離もちょうど 2 である。各 eα を中心に半径 2/2 の開球を置くと、どの2つの球も交わらない。
稠密な可算部分集合 D は、どの球にも少なくとも1点を持つ。添字ごとに球の中の点を1つ選ぶと、添字の集合から D への単射ができる。D は可算なので、正規直交系も高々可算である。
∣x⟩ が H に入らないこと(前の小節)と、この命題は同じ事実の2つの面である。規格化 ⟨x∣x′⟩=δ(x−x′) は「ノルムが1」という条件ではなく、δ 関数規格化という別の約束である。では、可算な本物の正規直交系で ∣x⟩ に近いものは何か。次の3つを順に見る。
- (1) 箱関数。整数 j ごとに幅 Δx の区間を取り、その特性関数(区間の上で1、外で0の関数)から
Ij=[jΔx,(j+1)Δx),ej(x):=ΔxχIj(x),⟨ej∣ek⟩=δjk
を作る。台が重ならないので、異なる番号の積は恒等的に 0 になる。高さ 1/Δx はノルムを1にする。
幅を固定すれば番号は整数なので、この系は可算である。ただし張るのは幅 Δx の階段関数だけで、L2 の全体ではない。各区間での平均が 0 の関数は、どの ej とも直交するからである。2. (2) δ 規格化の出どころ。高さを 1/Δx に取り直した ∣xj⟩:=ej/Δx では
⟨xj∣xk⟩=Δxδjk,k∑Δx⟨xj∣xk⟩f(xk)=f(xj)
になる。第2式は Riemann 和で、Δx→0 の極限で ∫dx′δ(x−x′)f(x′)=f(x) に移る。内積 ⟨xj∣ψ⟩ は区間 Ij での平均値である。関数が連続なら、この平均は Δx→0 で点 xj での値に近づく。3. (3) Haar 基底。幅 Δx→0 の極限で得られる「箱の集まり」が基底になるわけではない。すべての階層の二進区間から
hn,k(x):=2n/2h(2nx−k),h:=χ[0,1/2)−χ[1/2,1)(n,k∈Z)
を作ると、これが L2(R) の正規直交基底になる(Haar 基底)。可算個の可算集合の和は可算なので、番号 (n,k) の全体は可算である。命題 1.3.1 とは矛盾しない。
∣x⟩ を含む式の正当化は2通りある。1つ目は前の小節の Gel'fand の3つ組で、リグド・ヒルベルト空間とも呼ぶ。そこでは ∣x⟩ を汎関数 ψ↦ψ(x) と読み、外側の空間に置く。2つ目はスペクトル定理で、本物の射影は区間 Δ の特性関数を掛ける演算子
E^(Δ)ψ:=χΔψ
である。(1.3.3) の射影 P^([a,b]) はこれで、完全性の関係は E^(R)=1^ の略記と読む。
1点の集合は長さ(Lebesgue 測度)が 0 なので、E^({x0})=0 である。これは、1点を取る確率が 0 という (1.3.3) の結果と一致する。
L2 の元は、測度 0 の集合の上で違うだけの関数を同じと見た同値類である。したがって1点の値 ψ(x0) は、L2 の元としては決まっていない。値 ⟨x0∣ψ⟩ が意味を持つのは、状態を S のなめらかな関数に限ったときである。
運動量の側では、可算化は境界条件で起こる。長さ L の周期境界 ψ(y+L)=ψ(y) を課すと、固有値は次の値に限られ、
pn=L2πℏn(n∈Z),un(y)=L1eipny/ℏ,∫0Lum∗undy=δmn
の {un} が L2([0,L]) の本物の正規直交基底になる。直交は符号の打ち消しによる(m=n では、1周期にわたる e2πi(n−m)y/L の積分が 0)。L→∞ では間隔 2πℏ/L が 0 に近づき、(1.3.9) の δ 関数規格化に移る。
例題 1.3.1 古典的に入れない領域にいる確率 ★★
オリジナル調和振動子の基底状態の波動関数は ψ0(x)=(πℏmω)1/4e−mωx2/(2ℏ) である(代数だけで導く方法は第2部第4章で扱う)。
- (1) 古典的な転回点 xc(エネルギー ℏω/2 の古典の粒子が止まる点)を求め、∣x∣>xc に見つかる確率を Born の規則 (1.3.3) で求めよ。
- (2) δϵ(x)=2πϵ1e−(x−x0)2/(2ϵ2) を考える。なめらかな φ について ∫δϵφdx→φ(x0)(ϵ→0)を確かめ、∫δϵ2dx を求めて、∣x0⟩ が H の元の極限として得られないことを説明せよ。
解答
(1) 21mω2xc2=21ℏω から xc=ℏ/(mω)。∣ψ0∣2 は分散 σ2=ℏ/(2mω) の正規分布なのでxc=2σ である。u=x/(2σ) と置くと
Pr(∣x∣>xc)=2∫2σ∞2πσe−x2/(2σ2)dx=π2∫1∞e−u2du=erfc(1)=0.157.
約 16 % の確率で、古典の粒子が入れない領域に見つかる。
(2) x=x0+ϵs と置くと ∫δϵφdx=∫2πe−s2/2φ(x0+ϵs)ds で、ϵ→0 で φ(x0)∫2πe−s2/2ds=φ(x0) になる。一方 ∫δϵ2dx=2πϵ21∫e−(x−x0)2/ϵ2dx=2πϵ1 で、ϵ→0 で発散する。δϵ は内積を取る相手 φ ごとには収束するが、ノルムが発散するので H の中には極限を持たない。∣x0⟩ は「S の関数と組にしたときの値」としてだけ意味を持つ対象で、1.3.1 節の Gel'fand の3つ組の外側の元にあたる。
例題 1.3.2 箱関数と Haar 関数で数える ★★
オリジナル区間 [0,1) の上で、幅 1/2 の箱関数と、階層 n=0,1 の Haar 関数を考える。
e0=2χ[0,1/2),e1=2χ[1/2,1),h0,0=χ[0,1/2)−χ[1/2,1),
h1,0=2(χ[0,1/4)−χ[1/4,1/2)),h1,1=2(χ[1/2,3/4)−χ[3/4,1))
- (1) 定数関数 1 と h0,0,h1,0,h1,1 の4つが正規直交系であることを確かめよ。
- (2) h1,0 が2つの箱関数のどちらとも直交することを示せ。幅 1/2 の箱関数の組が L2([0,1)) を張らない理由を説明せよ。
- (3) 階層 0 から N−1 までの Haar 関数と定数関数 1 を合わせた個数を求めよ。それが幅 2−N の箱関数の個数と等しいことを確かめよ。
- (4) 幅 Δx=1/2 のとき、∣x0⟩=e0/Δx のノルムの2乗を求めよ。幅 2−N ではどうなるか。
解答
(1) 正規化は、関数の2乗を積分すれば確かめられる。
∫01h0,02dx=1,∫01h1,02dx=2⋅41⋅2=1,∫01h1,12dx=1
直交は、次の2つの仕組みで出る。
- 符号の打ち消し。定数 1 との内積は、どの Haar 関数でも正の部分と負の部分が同じ幅なので 0 になる。
∫01h0,0dx=21−21=0,∫01h1,0h0,0dx=2(41−41)=0
第2式では、h1,0 の台の上で h0,0=1 を使った。h1,1 と h0,0 の内積も同じ計算で 0 になる。
- 台が重ならない。h1,0 の台は左半分、h1,1 の台は右半分なので、積は恒等的に 0 である。
(2) e0 との内積は符号の打ち消しで、e1 との内積は台が重ならないことで 0 になる。
∫01h1,0e0dx=2⋅2(41−41)=0,∫01h1,0e1dx=0
したがって、0 でない関数 h1,0 が、幅 1/2 の箱関数のすべてと直交する。完全な系なら、すべての元と直交するベクトルは 0 しかないので、この箱関数の組は完全でない。区間の中で値を変える成分は、この組では表せない。
(3) 階層 n には 2n 個の Haar 関数があるので、個数の合計は
1+n=0∑N−12n=1+(2N−1)=2N
で、幅 2−N の箱関数の個数と等しい。どちらも、幅 2−N の階段関数の空間(2N 次元)の正規直交基底である。Haar の側では、N を大きくしても前の階層の元はそのまま残り、新しい階層が足されるだけである。全階層の和集合を極限を取らずに基底にできるのはこのためで、和集合は可算である。
(4) ∣x0⟩=2χ[0,1/2) なので、ノルムの2乗は
⟨x0∣x0⟩=4⋅21=2=Δx1
である。幅 2−N では同じ計算で 2N になり、階層を細かくすると発散する。発散するのは対角の成分だけで、和 ∑kΔx⟨xj∣xk⟩f(xk)=f(xj) はどの N でも成り立つ。この極限が δ 関数 δ(x−x′) である。
1 P. A. M. Dirac, Proc. R. Soc. Lond. A 113, 621 (1927)。デルタ関数と変換理論を導入した論文。
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